人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

複合過去形と半過去形の使い分け

こんなわかりやすい説明、聞いたことない!

 NHKのまいにちフランス語の講座『マナと暮らすカンパーニュ』を頼りに、フランス語を毎日楽しく勉強している。復習もとうとう最後の月のテキストになって、これで終わりかと思うとなんだか寂しい。できればずうっと続いて欲しいとさえ思ってしまう、それくらい感情移入して、これまでずうっとマナの行動を見守って来た。マナは一体何のためにサヴォワ地方の村に来たのか、ずうっと気になっていたが、どうやらこのストーリーではそれには一切触れられず、この際それはどうでもいいことのようだ。

 思えば、この類のストーリーの登場人物は上昇志向で、自分のキャリアに役立てるためにフランスにやって来る。現地の語学学校に通って自分のフランス語力をブラッシュアップする目的のために、どこかの家庭にホームステイするというように、だいたいが相場は決まっている。だが、このマナの物語はそんな効率のいい背景は一切出てこない。純粋に”三本のリンゴの木”という名の民宿での田舎暮らしを楽しんでいるところがまたいい。マナは『私は、あなたの家の庭が大好きよ』と民宿の息子ポールに話しかける。昨日勉強したレッスンでは、ポールが愛猫のオスカーを見かけなかったかとマナに尋ねていた。オスカーが昨夜から家に帰って来ないらしい。ポールは『僕はオスカーが迷子になっちゃったんじゃないかと心配だよ』と気が気でない様子だ。実はこのポールのセリフでは接続法が使われていて、フランス語を少しでも勉強したことがある方ならご存じであろう、接続法と言うのは、何とも得体のしれない文法規則であり、一体いつ、どんな時に使ったらいいのか、理解に苦しむ代物だった。

 だが、講師の大塚先生によると、接続法を使うためのルールがあって、そのうちのひとつが今回出て来た感情を表す形容詞と一緒に使われるタイプだった。「心配している」や、「嬉しい」、「悲しい」などの感情を表す表現の後には必ず接続法が使われるというものだ。ポールのセリフは暗記しようと思わなくても、自然と頭に入ってきた。昔は接続法と聞いただけで、難しいというイメージがあって逃げ出したくなったが、ストーリーに組み込まれれば、なんのことはない、胸にストンと来るから不思議だ。

 それと、特筆すべき発見もあった。それは複合過去形と半過去形の使い分けで、その昔何度も何度もやってきて、分かっているつもりでいても、いざとなると、訳せなくて意味が分からなくなってしまった。テキストには『複合過去形は、過去の行為や出来事について言う場合に使い、一方の半過去形は過去の状態や状況、過去における習慣や継続して行われていたことを言う場合に用いる』とあるが、正直、これでは使えない。もっとわかりやすい説明はないものかと思っていたら、『コミュニケーションの鍵』というコーナーでその謎は明かされた。このコーナーは番組のパートナーであるトリスタンさんが担当していて、ネイティブの立場からフランスの文化や習慣について忌憚のない意見を聞かせてくれている。

 今回はその斬新な発想に特に目から鱗だった。例えば、あなたは今テレビを見ていて、その状態がしばらくの間続いていたとする。そこへ、突然電話のベルが鳴る。そうなると、あなたのテレビを見ると言う行為は電話のベルによって中断されることになる。普通、日本語ではこの状況を「私がテレビを見ていると、電話が鳴った」と表現すする。だが、フランス語では「私はテレビを見ていた、電話が鳴ったとき」と作文する。もうお分かりだろう、テレビを見ていたという継続して行われた行為は半過去形が使われ、その行為を中断した「電話が鳴った」という事実は複合過去形で表されるのだ。

 要するに、半過去形と複合過去形が一緒に使われると、そこで流れが変わる。つまり、半過去形で語られていた長い時は、複合過去形による突然の出来事で中断されるのだ。このトリスタンさんの今まで聞いたことのない斬新な発想、いや、どうしようもなく分かりやすい説明に私は雷に打たれたような気分になった。いやはや、そう言うことだったのか、と長年の謎が解けた気がしてとても嬉しかった。

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