人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

小説の書き方を学びたい

 

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書くことが楽しくてふと思ってしまって

 人なぜ本を読むのか、そんな問いを自分にしてみたら、その答えは「何かを発見したいから」でした。では何を、それは自分の知らない未知の何かであり、これからどう生きたらいいかに対するヒントだったり、ありとあらゆる事項に関する発見でした。実人生で役に立たなくても構わない、それは一瞬でもホッとさせてくれるものでもよかったのです。勉強のためなどではなく、心を満たしてくれる笑いでいいし、一時の気分転換をさせてくれれば十分でした。一番好きなのは、絵画を巡るミステリ―で原田マハさんの小説でした。絵のことなどさっぱりわからない私が、ルソーやピカソの絵画の秘密の迫るストーリーにドキドキしてしまうのです。考えてみれば、そんな昔のことなど、どうでもいいのではとも思えるのですが、そんな好奇心に水を差すような無駄な考えは浮かばないのです。心がワクワク感で満たされているので、できるだけ早く結末が知りたくてたまりません。当然本のページを捲る手が止まらないのです。

 以前スペイン旅行に出発する朝、立ち寄った空港の書店で見つけたのは原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』。嬉しくてもちろん買いました、旅のお供として。旅行の行き先としてバルセロナピカソ美術館にも行くはずだったので実にタイムリーな出会いでした。小説に書かれていた「ピカソの今にも飛び立ちそうな鳩」は展示されていませんでしたが、ピカソの鳩のデッサンはいくつかありました。それで私はそれらが本当に生きているかのように感じるのではと期待したのです。錯覚でもいいから、一瞬でもそう思いたかった。でも残念ながら、鳩はそこにいるだけで動いてはくれませんでした。それでも現地のカフェで本を開いて、小説の世界に浸っていると現実を忘れました。ふと気が付いたら、別世界に迷い込んだかのような景色が見えてきて。

 それで思ったのです、こんなに読者を虜にしてしまう作家っていいなあ、と。もちろん、その時は憧れであり、真似ができるわけがない、つまり作家になれるような才能も資質も持ち合わせていないのですから当然です。でも実際になれなくても、思うのは自由ではありませんか。思うだけでもいい、つまり書くことが楽しければ、それでいいのではとだんだん思えてきたのです。時間の無駄という指摘は的を得ていますが、なにも職業にしたいわけではありません。自分が楽しいからやっているだけで、辛くなったらそこでお終いです。何の役にも立たないし、時間の浪費でしかないように見えることが、ちゃんと心の平安を保つのにいい仕事をしてくれている、今はそう感じています。

 作家と呼ばれる人達はいったいどんな生活をしているのか、そのことに興味津々な私はある記事にくぎ付けになってしまいました。それは芥川賞作家の南木佳士さんのエッセイで、彼は医師でもあるのですが、当時は毎日毎日死んでいく人を見て心が壊れそうだった。それで何とかすがるものが欲しくて、どうしようもない思いを文章に書くようになった。書き続けていたら、幸か不幸か芥川賞を受賞してそれまでの生活は一変した。賞を受賞したことによって、文章にさらなるクオリティという無理難題を求められた。医師の仕事との二足の草鞋を履いて頑張ってきた。その結果40代でパニック障害を発症して勤めていた病院を辞めた。その後病気は快方に向かって、60代の今は非常勤の勤務医として静かな暮らしを送っているのだとか。まさに芥川賞作家の赤裸々な告白にほかなりません。世間では芥川賞は新人作家の登竜門で、その後は原稿料が上がるのだとか、いい事づくめのように聞いたことがあります。でも賞を受賞したからと言って、みんなが皆人生がバラ色になるわけでもないし、むしろそれからが大変なのだとつくづく思い知らされました。

 

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