人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

そろそろスペイン語の勉強を

 

スペインに行くのには訳がある

 7月になったので、そろそろスペイン語の勉強を始めなければならない。10月に行く予定の海外旅行は、パリから始まって、ロンドンに立ち寄り、最後はスペインのマドリッドから日本に帰って来るというものだ。どうしても、そのままパリから帰る気にならないのには訳がある。つまり、何日もの間、溜まりに溜まった食べ物に対する欲求不満を解消することなしには日本に帰りたくないのだ。正直言って、フランスに初めて行った時は見るもの聞くものすべてが物珍しくて感激した。散々スーパー巡りもして、あれやこれやと買い込んで味見して楽しんだ。安ホテルでナイフで朝食のバゲットを切る、ゾリゾリというあの小気味いい音を聞いた時はゾクゾクした。食べる前からもう美味しさが伝わってきたから。おそらく、近くにあるパン屋で焼き立てのバゲットを買ってきたのだろう。コーヒーとバゲットだけのシンプルな朝食だったが、それが何よりのご馳走だった。大変悲しいことだが、後にも先にもあんな美味しいバゲットに出会ったことはない。

 だが、今ではその感動もどこへやら、高い値段の割にはたいして美味しい物などないことに気付いてしまった。まあ、あくまでも私の個人的な意見だから気にしないで欲しい。要するに、パン屋のバゲットはもちろん、クロワッサンやショコラにも飽きてしまった身にとっては、隣国の”タパス”は青天の霹靂ともいえる食べ物だった。いやはや、信じられないことだが、素晴らしく美味しい。タパスは単にスライスしたフランスパンに様々な種類の具が乗っている、ただそれだけの食べ物ではない。そのただ乗っているだけとしか思われない具が、実にバリエーションに富んでいて病みつきになる。そうなのだ、私はスペインのサン・セバスティアンにタパスを食べるためだけに行く。

 そのためにわざわパリのモンバルナス駅近くに宿を取り、TGVに乗ってフランスとスペインの国境近くにある町アンダンテで降りる。そこで降りたら、すぐ近くにある私鉄に乗り換えて、30分ほどでアマラに着く。アマラはサン・セバスティアンバスク語だ。サン・セバスティアンと言うと、すぐに思い浮かぶのは映画祭で、町にある高級ホテルのマリークリスティーナは連日セレブ達で超満員になるとの噂だが、そんな催しがない限りは、人影もまばらだ。薄暗くなったら、町の外れにあるバル街にタパスを味見しに行くのだが、では昼間は何をすればいいのだろう。いやそんな心配はいらない、ホテルの部屋でダラダラして、パリでの疲れを癒やすもよし、列車やバスでグッゲンハイム美術館のあるビルバオに行くもよしと、退屈とは無縁なのだ。それに、町のあちこちにある飲食店はパリとは違って、何処も入りやすくて値段も安めで美味しい。その点において、サン・セバスティアンは私にとっては絶対に行くべき場所である。

 なので、必ず、そこに2,3日は滞在するのだが、さて、これからどうしようかと考えると、パリに戻るのは少々面倒だ。自然とこの際だから、スペインの空港から帰ろうと言うことになった。となるとバルセロナマドリッドのどちらかだが、コロナ前に行ったマドリッドでは体調不良でロクに見学ができていなかった。好奇心に誘われてついでに足を伸ばしたモロッコのレストランで、ナポリタンに当たってしまって激しい下痢と嘔吐に襲われ、バスルームで夜を明かした。それでもなんとかフェリーに乗れて、無事スペインに帰って来られたのは幸運だった。最初から変な匂いに気付きながら、構わずに半分ほど食べてしまった自分の不注意だ。この災難で得た教訓は「自分の感覚をもっと信用し、変だと思ったら絶対食べない」ということだ。お店の人に理由を聞かれたら、堂々と、率直に思ったままを言えばいいだけのことなのだ。いや、聞かれなくても、変な目で見られても、辛い思いをするよりましなのだから。

 マドリッドにやっとの思いで帰ってきてすぐに、街中にある薬局に飛び込んで下痢止めを買った。おかげでだいぶ良くはなったが、外国の薬は日本人の私には強すぎたのか、今度は胃がおかしくなった。時々胃がチクチク痛んだ。そのためマドリッドを本当の意味で満喫していなかったという思いが強いせいか、今回はマドリッドから帰ることにした。フランス語に熱中するあまりすっかり忘れていたが、スペイン語も旅行には必須だった。自慢にもならないが、スペイン語のイロハもろくすっぽわからない。綺麗さっぱり忘れてしまった。仕方がないから、ぼつぼつ勉強を始めるとしようか。

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