人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

出版社から速達が届いた

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最初は戸惑ったが、読み終ると破り捨てた

 先日、夕方家に帰ると、玄関のドアポストに一通の手紙が届いていた。差出人は誰でもその名前を知っている某有名出版社で、しかも速達だった。何だろうと不思議に思いながら封を切って、すぐに読んでみた。普通郵便なら、たいして興味を引かないが、速達という表示がその気にさせたのだ。書き出しは「あなたが応募なさった○○文学賞の選考はすでに終了しており、受賞者も決まっていることはご存じだと思います。あなたの作品は残念ながら選外だったわけですが、再度読んでみると、少し思うところがあって・・・」となっていた。これでは、さっぱり何のことやら、話が見えない。それでも我慢して読み進めると、「私は文学賞の選考には直接関わってはいませんが、たしかにあなたの作品には一部の方からの指示もありました」だなんてことを言う。

 この時の読み手である私の心境としたら、それで一体あなたは何をおっしゃりたいのですか?と聞き返したいし、前置きはいいから早く結論を言って欲しかった。イライラしながら、読んでいると、ついに手紙を書いた相手の目的がわかってきた。「もしも、作品のタイトルを変更したり、あるいは費用がかかっても差し支えなければ、一般の流通経路に乗せる選択肢もあり得ます」だなんて、是が非でも本を出版したい人にとっては飛びつきたいような有難いお言葉である。

 つまり私がどうしても自分の作品を出版したいと強く願うのなら、その夢を叶えるお手伝いをしましょうと言いたいのだ。ただ、「一般の流通経路に乗せられるかどうかは確約はできませんが・・・」と釘を刺すことを忘れない。文面ではそのような形で出版して一躍話題になったという本の題名がいくつか挙げられていたが、私はそれらの本の名前を知らなかった。もし、自分の本を出版することが一つの目標だったり、そのことで何かをやり遂げたという達成感が得られるのなら、大いにやるべきだ。出版社からの願ってもない申し出に快く応じるべきだと思う。だが、目の前にある人参にも私の心は動かない。以前の私なら、少しは心動かされたに違いない。出版にかかる費用にしたって、自分で何とかなる金額なら迷いはなかったはずだ。世の中には自費出版する人も大勢いるのだから。

 だが、以前朝日新聞の『ひととき』というコーナーに載った記事を読んでから考えが一変した。投稿者の女性は昔「空の写真集」を自費出版したことをすっかり忘れていた。なぜそのことを10年ぶりに思い出したのか。その理由は売れなかった本がごっそり自分の元にもどってきたからだった。突然のことだったが、まるで嫁に出した娘や家を出て独立した息子が帰ってきたような喜びを一瞬味わった。懐かしい気持ちでいっぱいになったが、すぐに我に帰って途方に暮れた。「こんな沢山の本をどうしたらいいのか」すでに親戚や友人、知人には配り終えたはずだった。いくら自分の分身と思える本でも、手元に大事に取って置くのはもったいない?いや、そうではなくて誰でもいいから見て貰いたいというのが本音なのだ。驚くべきことに、その人は市の施設や人が集まる場所においてもらおうと足を運んで頼み込んで回ったのである。たまには断られることもあったが、すべてさばけたと言うから感心する。

 私はその時知ってしまった、自費出版というのは売れなかった本は自分の元に帰って来るというシステムになっていることを。ある日突然売れなかった本が帰って来る、それを想像してみたら、さぞかしショックを受けるに違いない。おそらく私の性格では懐かしい友人に出会えたというよりも、穴があったら入りたいような恥ずかしさでいっぱいになるだろう。出版社からの手紙の最後には「もし私からの提案があなたにとって全くの的外れだとしたら、ご容赦ください」と書かれていた。手紙を最後まで読んでから、躊躇なく手でびりびりと破り捨てた。そして心に決めた、これからも自分の書きたいことを自由に書いていこうと。

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