人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ダラダラ過ごし、猫と遊ぶ

今週のお題「この夏のプラン」

いつもの規則正しい生活をリセットする

 また恒例になっている帰省の季節がやって来た。もう、両親も兄も亡くなってしまったが、義姉のミチコさんが待っていてくれる。それに、犬一匹とネコ二匹もいるので、とても楽しみにしている。犬は人間が大好きなタイプなので、それこそ全身で喜びを表して、初対面の人にでも誰にでもへばりついてくる。犬好きの人ならそれでも構わないのだが、そうでない人にも同じ態度なので、ミチコさんは困惑することしきりだ。人が大勢来る法事などの時は、犬は檻にに入れられて、おとなしくしている。

 その犬のことだが、小さい頃から、他の犬と様子が違っていた。普通犬というものは人がボールを投げたら、一目散に飛んで行って、そのボールをくわえて持ってくるものと決まっている。だが、実家にいる犬のチロは、いっこうに動こうとはしないで、人の顔をじっと見つめているだけである。おかしなことに、全くボールには見向きもせず、ただただ人間の顔色を窺っている。一番最初にこの光景を目にした時、今まで持っていた既成概念を打ち砕かれて、ショックを受けた。犬にもいろいろな性格の子がいるもので、まさにチロはそのタイプで、人間が大好きな犬だった。

 例えば、ミチコさんはたまに友達と一緒にチロをドッグランに連れて行くのだが、そこでもチロは他の犬と遊ぼうとはしないで、人間の側を離れようとしない。マルプー(マルチーズとプードルのミックス)であるチロは、まあまあ可愛い顔をしているので、人目を引いて、人にちやほやされることに慣れている。そんな体たらくだから、他の犬とは言うまでもなく、人とも遊ぼうとはしない。つまり、私だって、チロとは遊べないし、チキンとホタテのエキスが入った美味しそうなジェル状のドッグフードをお土産に持って行って機嫌を取るくらいしかないのだ。

 犬とは遊べないのはもうわかっているので、頼みの綱は猫2匹だが、悲しいことに彼らも相手にしてくれなくなった。いや、そうではなく、もちろん彼らも、仔猫の時は大いに猫じゃらしに食いついてくれた。あれやこれやとおもちゃを買い求め、試してみたが、意外に猫は既製品には見向きもしなかった。電池で勝手に動き回る小さな虫には、警戒して、逃げたまま、近づこうともしなかった。

 成長して、立派な身体になると、あれだけ飽きることなく夢中になったボンボンと鈴が付いた猫じゃらしにも、見向きもしなくなった。猫じゃらしを猫の鼻先に近づけると、面倒臭いなあと言わんばかりに、一応は手を伸ばしてくる。だが、猫じゃらしの紐が肉球から伸びた爪にぐいと引っかかって、万事休すだった。もはや、仔猫の頃のようにはリズミカルな動きは望むべくもなかった。となると、こちらとしても相手にして貰えないので、猫と遊ぶことは諦めざるを得なかった。

 大人になったら相手にして貰えないのは重々承知していたが、猫が本当に「遊びたくないかというとそうでもないのである。白猫のノンは時々いたずらをして、飼い主であるミチコさんにアピールする。「こっちを見てよ。私ともっと遊んでよ」と言わんばかりに、テーブルからテレビやビデオのリモコンを落とそうとする。頭でぐいぐいと押して、テーブルの端っこまで移動させ、最後に下に落とす。横になって寛いでいるミチコさんが「ああっ!」と声を上げて、起き上がるのが面白いらしい。ミチコさんに気づいてもらえるので、一日に何度もそのいたずらを繰り返す。

 私の帰省の目的はズバリ、ダラダラと過ごすことで、いつも規則的な生活をしているその反動で自然とそうなる。環境が変われば、身体も素早く順応し、いつものように5時15分に目が覚めることもない。ミチコさんが何でもやってくれるので、据え膳上げ膳の生活は夢のようだ。まあ、夢はすぐに覚めるもので、帰る頃には心も身体も徐々に現実に舞い戻る体制を整えているものなのだが。ブログのタイトルに書いた「猫と遊ぶ」は今ではもう実現できそうもないので、今回は人間と遊ぶことにした。何十年かぶりに人生ゲームでもやってみようかと思いついて、ネットで人生ゲームを註文した。

mikonacolon