人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

家族4人で手つなぎ歩く

今週のお題「あったか~い」

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インカ帝国の都クスコの中心、アルマス広場。NHKまいにちスペイン語テキストから。

忙しい朝にこの光景には驚いたが、あってもいいかなあと

 子供のいる家ならどこも朝は一番忙しい時間で、親の立場から言えばまるで戦場のようです。保育園に通う小さい子供を持つ親はなおさらで、できるだけ早く子供を保育園に送り届けたいはずです。だからママチャリなどが活躍し、子供をさっさと園に押し込んで、次は自分の職場に向かおうとするのです。でも、私が偶然目撃した家族は明らかに違いました。もう何年も前、仕事に行く前に散歩するのが日課だった頃、その家族と出会いました。初めは遠くから眺めていただけでした。30代ぐらいの夫婦の間に5歳くらいの男の子と3歳くらいの男の子がいて、4人で手を繋いで歩いていました。時々手を振りながら、何かの歌を歌いながら楽しそうに散歩していました。でも実際は散歩ではなくて、大通りの信号を渡った先にある保育園に向かっているのでした。

 でも、その夫婦は世の中の親たちがするように子供を急かしたりはせずに、子供と歩調を合わせてゆっくりと歩いていました。それで私から見たら、忙しい朝から親子で散歩とは「何それ?」なのでした。あの親子だけが周りの喧噪とは切り離された別世界に居るようでした。毎日のようにその親子に遭遇するわけではないのですが、かなりの頻度で会っていました。時にはすれ違うこともあり、もちろん私が彼らを追い抜くのですが、偶然に彼らの話を盗み聞きしてしまうこともありました。そのときの話題は餃子の作り方でたしか皮の作り方を5歳の子が母親に聞いていたのです。その子は料理に興味津々なようで、両親と一緒に作るのが楽しくて仕方ないようでした。今から思うと、あの親子の散歩は朝の貴重な時間で、親子の唯一のコミュニケーションだったのかもしれません。共働きで平日はゆっくりと子供と話をする時間が取れない、でもその代わりに家から保育園までの大人が歩けば10分ほどの距離を子どもに合わせて歩くのです。

 しばらくして、彼らの住むマンションがどこかわかった頃、といっても通りを歩いていたら偶然中から出て来るところに出くわしただけなのですが。その頃から父親が抜けて、母親と息子の3人で朝の散歩をするようになりました。ある日、この母子が周りからどんな目で見られているか知る機会がありました。あの日大通りの交差点で母子は信号を待っていました。そこに保育園の友だちが通りかかりました。その子は母親のママチャリの後ろに乗っていました。「○○君、おはよう!」と声をかけるとその子も嬉しそうに朝の挨拶をしました。子供同士は仲良しで何の問題もないように見えましたが、親の反応は違いました。自転車の母親は普通なら挨拶ぐらいするのに「ふん!」と言ったまま、嫌な物でも見たように顔をしかめたのです。この本心を隠そうともしない態度には仰天したのですが、散歩中の母親は気づかないふりをしていました。

 すぐに信号が青になったので、ママチャリの母親は横断歩道を渡ってあっという間に姿が見えなくなりました。もしかしてこの母子は保育園で浮いている存在なのか、などとふと思ってしまいました。この話を友達にしたら、共働きで子供もいて忙しい彼女は「ありえない!」と驚いていました。でもそう言った後に、たしかに子供にとって親子で過ごす時間があるのが理想だと思うと本音を吐露したのです。毎日目の前のことに追いまくられて、忙しさにかまけて子供と話せていないと感じていました。平日の分を休みの日で取り返せているのかと考えたら、それも怪しいものでした。だからせめて保育園までの道のりだけはこどもと触れ合う時間にしようと決めているのだろう、そんなふうに親子の行動を理解しようとしたのです。

 忙しい朝に誰もが「早く、早く!」と躍起になっている中で、親子4人の姿を見たら、なんだか「いいなあ。この雰囲気が・・・」と思ってしまうのです。見るからに呑気そうで、穏やかで、ゆったりしている、まるで休日のような雰囲気は暖かいのです。

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