人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

A I 字幕がまどろっこしい

人の手で翻訳された字幕の素晴らしさを思い知る

 最近私はドラマを見ていて、それも中国の動画配信サービスでドラマを見ていて、つくづく思うことがある。それは人の手で翻訳された字幕がいかに素晴らしいかを改めて実感していることだ。今私が視聴している中国の動画配信サービスのアイチーイーは国際版なので、字幕の言語はほとんど英語である。それでも作品によっては韓国語、タイ語等の様々な言語で視聴可能である。たまに『成化十四年』や『マイクロスコープ』のように日本語字幕の作品もあるのだが、喜ぶのは早い。それと言うのも、字幕はどうやらAIが担当しているらしく、登場人物のセリフは時代背景も何もあったもんじゃないからだ。それに気持ちが悪くなるほどひどい日本語だ。「なんだ、これは!?」と最初は仰天したが、近頃では慣れてきて、自分の中でふさわしい、その場面にあったセリフに変換してドラマを見ている。そうやって何とか話の筋は追えているし、楽しめているのは、ドラマの内容が視聴者をドキドキさせてくれて、飽きさせないからだ。これがもしもテーマが恋愛ものだったりしたら、きっと退屈で見ていられないと思う。

 自動翻訳というものがどれほどひどいかはすでに経験済みで、もうこりごりだが、幸か不幸か、日本語字幕はそうはなくて、英語がほとんどである。今見ているのは『広起洛陽』というタイトルの中国の時代劇で、『海上牧雲記』に出ていたホワン・シュワンが主役を務めている。英語字幕なので、最初は辞書を引きながら見ていて、何度も停止を繰り返し、辞書で調べてまた見るのでなかなか進まない。一応、調べた単語はノートにメモしておくのだが、いちいちそれを見直すのは面倒なので、毎回毎回同じような単語を調べることになる。

 だが、そんな時間の無駄ともいえる作業をくり返しているうちに、あることに気が付いた。字幕に出てくる単語は意外にもある程度決まっていて、私には馴染みがなくてもそれが多用されていることだった。同じ単語を何度も見ていれば、例えば知らないうちにテレビのCMが頭に刷り込まれるように、ザル状態の私の頭の中にも記憶を残していたらしい。3月1日からドラマを見始めたが、複雑なやり取りや長い字幕以外はそのままで見られるようになった。あとはどれだけ心許ない記憶を頼りに知らない単語の意味を類推できるかにかかっている。目標というものがあるのなら、今は英語のままドラマを楽しむのがそれに当たる。ただ、どこかのテレビ局で早くドラマの放送が始まって、まともな人間の手による日本語字幕で見たいものだという気持ちは当然ある。要するに答え合わせをしたいのであって、「そうだったんだ!?」と謎解きをしたいだけなのかもしれない。

 でも、ちょっと待って欲しい。考えてみると、アイチーイーに登録した目的は中国語の勉強になるからだった。もちろん中国語字幕でも見れるが、それをしない訳はいつの間にか、目的がすり替わったからだ。つまり、中国に旅行に行くために中国語を勉強しだして、というより再開したわけだが、現実には中国には行けそうもない。それで、ヨーロッパに、それもパリに行くことにしたから、万国共通の英語の出番となったのだ。なんとも予想もつかない展開に我ながら呆れるが、本当いって結構楽しいのだからやめるわけにもいかない。ただ単にドラマの筋を追いたくて、英語の字幕をせっせと訳しながら見ている。あくまでも楽しみのためで、英語の勉強をしている感覚はないので嫌にはならない。それもこれもドラマが面白いからであってこその話だ。

 いま思いついたのだが、『慶余年』のチャン・ルオユンが主役の『マイクロスコープ』を日本語字幕で見て辟易したが、それなら英語字幕で見たらどうだろうか。そうか、その手があったことに今初めて気が付いた。これも英語字幕に慣れてきたおかげなのだろうか。もちろん、動画配信サービスのU-NEXTでは有料で多くの日本語字幕の中国ドラマが楽しめることは確かだが、それにはお金がかかりすぎる。なので、私は自分の身の丈に合った方法でドラマを楽しみたい。

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