人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

漢字で書く、理由は?

堂々と自己主張する文に、目を疑った

 子供は大人の予想をはるかに超えたことを考えるものなのだなあ、そう感じたのは朝日新聞の「いる?いらない?」という記事を読んだからだ。大人は知る由もないが、子供だってちゃんと感じていることに気づかされた。自分たちが生活する中で、「これはあったほうがいいけど、あれは要らないんじゃないか」と嘘偽りのない意見を寄せてくれている。吹田市立千里第二小学校の5年生の5人の生徒さんの中で、私が一番驚かされたのは、玉川新さんの「かんじでかく りゆうは?」だった。

 なぜかというと、玉川さんが、冒頭から「最近、宿題のプリントで、漢字で書くところをひらがなで書いて、33個ペケを貰いました。なぜ、漢字で書かないといけないといけないのですか」と堂々と書いているからだ。もちろん、玉川さんの文章はすべてひらがなで書かれていて、他の4人は普通に漢字を使って書いているのでなんだか異様に感じてしまう。玉川さんが言いたいのは、「ひらがなだと、もじがおおきくてよみやすく、ユニバーサルデザインにあたいする」と思うし、漢字は画数が多いので、ひらがなの方が効率がいいということだ。また、「ひらがなのほうがよみやすいし、ちっちゃいこでもよめます」とひらがなの効用をずばり指摘している。「おなじおもいのこどももいっぱいいるでしょう」と慮り、「おとなはわかっていないのです」と一刀両断しているところに衝撃を受けてしまった。

 正直言って、玉川さんの主張には一理あるし、別に漢字を覚えるのが面倒だし、覚えられないからという下世話な理由からではない。ただ、どうしても「漢字で書く」納得のいく理由が見つからないだけなのだ。文章の最後で「ほんとうにかんじでかかなければいけないのか、かんがえてほしいです」と私たち大人に厳しい質問をぶつけている。そんな鋭い、究極の質問を問いかけられても、「漢字の方が、パッと見てすぐわかるから便利でしょう」などという気の抜けたビールのような答えしか思いつかない。私たちはなぜ覚えるのかなんて考えることなどなく、ただ言われるままにやってきた。皆がそうしているから、同じことを文句も言わずにやることが当たり前だった。

 玉川さんのように臆することなく主張する小学生もいるのだとわかって、時代の流れをひしひしと感じてしまった。とてつもなく勇気がいることだ。自分で何も考えることなくやらされるのに慣れてしまった私などには、玉川さんの存在は青天の霹靂ともいうべきものだ。玉川さんの文章から察すると、どうやら玉川さんは漢字が書けないのでもなく、また読めないのでもないらしい。それとは関係なく、自分の主義に反することはしたくない、ただそれだけなのだ。玉川さんはどう見てもなかなか賢い子供であることは間違いない。

 考えてみると、韓国のハングル文字は日本のひらがなに相当する文字で、世宗大王が庶民のために考案したとされている。そのハングル文字が今では普通に使われているのに、日本ではなぜ漢字を使うのかは考えたことなどなかったが、言われてみれば不思議だ。今までは当たりまえすぎて、考える余地などなかったことだが、玉川さんの指摘は素直でありながら、いい所を点いている。そんなものだと思って生活してきた私のようなおばさんにとっては、漢字は必要不可欠なもので物凄く便利なものだ。以前、街なかで何かの看板がひらがなで書かれていたことがあって、それが何度読んでも意味が分からなかったことがある。ようやく意味が分かったとき気付いた、漢字の有難みに。

 子供の頃は漢字の書き順を覚えるのが嫌だった。ノートに漢字を何度も何度も書かされる宿題は退屈で死にそうになった。だが、そのおかげで大人になって恩恵を受けているのも事実なのだ。一度目にすれば、一瞬にしてその言葉の意味が理解できてしまうのが「漢字」という書式の持つ効用なのだから。以前韓流ブームの最中にハングル文字でそれをやろうと試みたことがあったが、文字を読むことなしには意味はつかめなかった。

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