人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

古本屋と絵本「くりとぐら」

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活字に疲れて、絵本に癒される

 都心の大型書店に行く途中に小さな古本屋があるのですが、そこがまた楽しいのです。目的はあくまで書店での座り読みなのですが、ついつい惹きつけられて立ち寄ってしまいます。その理由は店頭に、と言っても、店の外に様々なジャンルの本が並べられていて、どうしても気になってしまうからです。それでちょっとのつもりで本を手に取ったら、知らないうちに本の世界に没頭し、気が付けば1時間なんてあっという間です。推理小説もあれば、手芸のテキストもあります。CD付きのフランス語検定3級もあり、フラ動詞の活用表が乗っている清岡先生の本が1500円なのに300円で手に入りました。私が一番気に入っているのは絵本が置いてあることで、手に取ったらすぐに別の世界に行けてしまうところがたまらなくいいのです。特に活字をあまり読みたくない時に絵本は気分転換になって、おまけに癒されてしまうところが素晴らしいです。そうなんです、絵本は子供だけのものではないのです、大人が読むとかえって新鮮に感じてしまって思わぬ効用があるのです。

心の澱を浄化してストレスから身を守る

 新聞の絵本の広告欄を見ていたら、ある絵本の宣伝で読者の方のこんな声が載っていました。「大の大人の男が不覚にも涙をこらえきれませんでした。恥ずかしくて顔があげられなくて困りました」と40代のビジネスマンが本音を吐露。以前読んだ本の中で、ある精神科医が勧めるストレス発散方法は週末号泣でした。これをやれば、日常生活で我慢することを強いられる大人が1週間のストレスをリセットできるというのです。そう言われても、なかなか泣けないので映画やドラマ、あるいは絵本でも何でもいいので、何かの力を借りて涙を流せばいい。一度やってみると、確かになんだかすっきりした気がする。何かが解決できたわけではないのだが、少なくとも自分の気持ちだけはリセットできた気がするから不思議だ。

 考えてみれば、私たちの住んでいる部屋は時がたつにつれて、自然と埃が溜まってきますよね。心もそれと同様でだんだんと澱が溜まってくるのだそうです。だから涙を流すことで心を浄化できる、そんな考え方から生まれたストレス発散法なのです。

「くりとぐら」から思いだしたのは

 ある日、古本屋に立ち寄ったら、あの有名な絵本「くりとぐら」があったので読み耽ってしまいました。なぜこんなにも長く愛されるのかわかったような気がしました。まずお話が面白くて、絵が可愛らしくて大人でも惹きつけられてしまいます。非力なちびっ子のくりとぐらが大男に助けを求められるのです。小さな真珠を捜すのですが、大男には手が大きすぎて入らないので無理なのです。そこで2匹の身体の小ささが役に立って無事解決となりました。小さくても十分価値がある、生きている意味があるとのメッセージだと受け取りました。

 「くりとぐら」から思いだしたのは、羨ましいような子育て秘話で、新聞の投書にあった主婦の方のお話です。ステイホームで家の片づけをしていたら、くりとぐらの絵本が出てきて懐かしかった。息子たちがまだ小さい頃、毎日のように絵本の読み聞かせをしていた。特にくりとぐらは子供たちが大好きでせがまれてよく読んだものだ。あのカステラを大きなフライパンで焼く場面では、なぜか即興で「くりぐら、くりぐら」と歌ってしまった覚えがある。そう口ずさみながら、カステラを焼くいい匂いを子供に伝えたかったのかもしれない。

 それで現在は大学生と高校生になっている息子たちに何気なく聞いてみた。まさか二人とも覚えてないよね、そんな昔のことなんて。なのに、まさかの奇跡だとしか思えない。なんと二人は一緒に「くりぐら、くりぐら」と楽しそうに歌いだしたのだ。思いがけないことにびっくりして涙が出てしまった。

 こんな心温まる話を読んだら、このお母さんはすごい!と感心するしかありません。テレビ番組のなんでも鑑定団に例えると、まさに「いい仕事してますね」ならぬ、「いい子育てしてますね」と言えるでしょう。

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NHKドラマ「アンという名の少女」

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最終回もハラハラドキドキで

 毎週どうなることかと楽しみに見ていたドラマ「アンという名の少女」がとうとう終わってしまった。欲を言えばもっと見たかったというのが正直な感想です。なぜかと言うと、美しい村でののどかな物語を期待していたのにいい意味で予想を裏切られたからです。もう詳しいあらすじは覚えていないのですが、このドラマのように辛口ではなかったはずです。最初はアンをおしゃべりで、妄想癖がひどい変な女の子だとしか思えませんでした。考えてみると、あんなに次から次へと言葉が溢れるように出てくるのですからただ者ではありません。妄想癖も過去に読んだ物語が頭の中にいっぱい詰まっているからで、過酷な現実を忘れたいときはいつでもその世界に行けてしまうのです。アンは決して夢を忘れない、いいえ、大人からするとその現実逃避の策が生きていくうえで必要だったのです。読んだ本が人を救うだなんて、考えたこともありませんでした。

アンのストーリーテラーの才能はどこから

 信じられないことに、読んだ物語はすべて覚えているらしく、お話を作るのは朝飯前のようです。ある日学校で友達になったリリーと親友のサブリナとでお話クラブを作りました。そして1日に一つは物語を作って見せあいっこをして楽しむのはどうと提案するのです。でもアンのような読書好きでもない、普通の女の子のリリーは頭を抱えてしまうのです。当然です、誰もが頭の中に物語の王女が住んでいるわけではないからです。

 アンはすでにストーリーテラーの才能があるわけで、楽しんでやっているからこそ素晴らしいのです。思えば、現在活躍している作家の中にも子供のころからお話を作るのが大好きだったという方がいます。「好きを仕事にできればどんなにいいか」と誰もが思いますが、その夢を実現できるのはほんの一握りの人たちだけです。その中のひとりでもある作家の吉本ばななさんのエッセイを読んで発見したことがあります。それは夢に向かって努力するのも才能のうちなのかもということです。吉本さんは子供の頃にもう「作家になって食べて行こう」と決意したと言うのですから驚きです。その理由は身体が弱いとか学校になじめないとのことで自分の将来を想像してしまったからです。それまで吉本隆明の娘なのだから才能があるのは当然としか思っていませんでした。でも才能を受け継いだであろう人が必死になって努力していたことがわかってもうびっくりです。

忘れたはずの友情は続いていた?

 ドラマに話を戻すと、作物を積んでいた船が沈んでしまったせいで養父マシューが経済的に困窮に陥ってしまいます。その時アンはマシューに作ってもらったドレスを返しに行ってお金に換えようとするのです。町にある洋服店の女主人はどうやらマシューの知り合いで二人の間には淡い恋心も芽生えていたようです。詳しいことはドラマでは描かれていませんが、何十年ぶりかでマシューに再会した彼女の嬉しそうな顔がすべてを語っていました。はるか昔学校で一緒だった頃がとても懐かしいらしいのです。途切れてしまった縁が蘇ったような瞬間で、もしかしたら今でも想いは変わらないのではと錯覚してしまいました。

 その女主人がアンの心中をすぐに察して、店にあったお金をすべて差し出してしまうのです。マシューが病気で倒れたと聞いて堪らずの行動で、お見舞いに飛んで来てくれる、その気持ちがとても嬉しいではないですか。辛口なストーリーの中にも貴重な友情物語も織り込んだこのドラマは見てよかったと思える作品のひとつです。

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モスクワで買ったユニクロのダウンコート

今週のお題「急に寒いやん」

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 寒くなったら何を着たらいいのか

 朝晩急に冷え込むようになると、朝何を着て散歩に行ったらいいのか服装に悩みます。天気予報を信じて着こんでいくと、やたらと暑くて汗をかいてしまうこともあるからです。本格的な冬が来たら、みんなが着るのがダウンのジャンバーやコートです。テレビのCMでやっているユニクロのウルトラライトダウンを着ている人も見かけます。でもたまに街角で綺麗な色の上等のコートを着てい人を見かけると、羨ましくなって見とれてしまいます。黒やグレーなどの暗い色ばかり着ていると、鮮やかな色がとても新鮮に感じられます。街路樹の紅葉と街を彩る服装の鮮やかさを楽しめるのですから、寒くなるのもそう悪いことでもないのです。

 冬になって私が着るのはダウンコートで、色は深緑で軽くて暖かいのです。このコートは友達が「ええ~、このコートなんでこんなに軽いの」と驚くほどです。見た目はふっくらしているのに手にしたら予想外に軽いのでそう感じるのでしょう。「どこで買ったの?」と聞かれたので、日本じゃなくてモスクワのユニクロのだと答えました。

 あれは何年か前の10月にモスクワに行ったとき、クレムリン近くを歩いていたら急に寒さに襲われたんです。冷たい風に震えながら、「とにかく何か暖かい服を買わなきゃ」と地下鉄で向かったのはショッピングセンターが隣接している駅でした。この時の私の服装はシャツに薄いジャケットを羽織っただけの軽装です。日本はまだ暑くてTシャツの人も歩いていたくらいで、冬服の用意は何もしていませんでした。

モスクワにユニクロがあって

 それでショッピングセンターに行ってみたら、「ユニクロがあるじゃない!」で早速中をウオッチングです。ロシアにユニクロの1号店ができたと聞いたことがありましたがまさか偶然に出会うとは。日本と値段を比べてみると、ロシアのユニクロはフリースでも何でも日本の2倍の価格でした。「ユニクロは安い」というイメージしか持っていませんでしたが、日本から来た私にとってはモスクワのユニクロは「高い!」と感じました。人だかりがする方に行ってみると、コートのバーゲンセールをやっているようで人が大勢いました。みんな熱心に試着してコートを選んでいるのですが、よく見ると日本のユニクロでは見たことがないものばかりです。

 この店はユニクロではあっても日本にあるユニクロとは売っているものが違うのです。もちろんユニクロの商品はあるのですが、モスクワの店ならではの特色があるのです。だから、そのおかげで普通のダウンコートを買うことができたのです。実を言うと、そのコートは人気がなくて誰も手に取らなかったものでした。でも買ってみたら軽くて暖かくて、小さく折りたためて持ち運びにも便利なのです。日本円で1万2千円くらいの値段だったのですが、今でも気に入っているコートの一つです。

 そのコートを着て行ったのは、前から行きたいと思っていた猫劇場で、ネコのサーカスを見ました。最初はネコがサーカスなんてできるの?と半信半疑でしたが、ネコも立派に、可愛く演技できるのがわかって目から鱗でした。もっと驚いたのは、観客はみんな子供で大人だけで見に来ているのは友だちと私のふたりだけだったことです。よく周りを見たら、大人たちはみんな子供の保護者のようで、猫劇場は子供のための劇場らしいのです、この国では。心なしか最前列の特別席に座っている二人は注目の的のようです。まあ外国人なのですから許されるのではと自分に都合よく解釈しました。子供が見る物だなんて知らなかったです!でも大人のネコ好きにはたまらない場所なのにもったいない、と不思議でしかなかった体験でした。

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雪の中での通学とスーズダリの思い出

今週のお題「急に寒いやん」

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 雪が降ると思いだすのは

 冬の足音がし始めると、今年は雪は降るのかどうかなんてことが気になります。子供の頃は雪が降ると嬉しくて外で遊びまわっていたのに。学校の体育の授業も雪の降る中、寒さなんて気にすることなく、校庭で雪合戦や雪だるまを作って遊んだものです。大人になったら、急に雪が迷惑なものになって、できれば降らないほうがいいだなんて思ってしまったりします。でも私は今でも雪が降るのを眺めているのが大好きです。

 思えば、田舎に住んでいた時は中学と高校は自転車で通っていたので、当然雪の日もいつも通りです。タイヤがシュルシュルと音を立てるのを聞きながら、懸命にペダルをこぎます。少しぐらいの雪ならへっちゃらで、あたり一面の雪の中を疾走するのは気持ちよかったです。降り積もったばかりの雪は柔らかくて、滑らないので転んでしまうこともありません。そう言えば、一度だけ自転車ごと田んぼの中に落ちたことがありましたが、ケガはほとんどありませんでした。ちょうど稲刈りを終えたばかりで稲の根元がクッションになったようです。靴の紐が緩んでペダルに引っ掛かり、絡まって前に進めなくなったのです。だから自転車は倒れるしかなかったのです。自分では何が起きたのかわからず、気が付いたら田んぼの中にいたので「怖い」とも何とも感じませんでした。

 雪が降り積もった中での通学は

 雪でも何ら問題ないと書きましたが、長靴がうずまってしまうくらい降ると自転車はもうダメです。片道1時間半の学校までの道を歩いて行くしかありません。あれは高校のときで、学校が大好きでもないのですが、「行かねば」ならなかったのです。雪の中を歩いていると、寒くて冷たくて最初はイヤでした。でも身体が熱くなってくるにつれて、不思議なことにだんだん楽しくなってきたのです。なんだか雪景色がきれいに見えてきて、白い世界にいる自分を面白く感じてしまったのです。大変だとか辛いとかという思い出は全くないせいか、雪に対して悪いイメージは持っていないのです。それにしても、あの時学校にたどり着いて驚いたのは、友だちがちゃんと自転車で来ていたことです。「どうやって、こんな時に自転車で来たの?」と仰天してしまいました。

ロシアのスーズダリの雪の中で

 大人になって、何かの縁でロシアに旅行に行くようになりました。そこで子供のころ見た懐かしい風景に出会うことになるとは夢にも思いませんでした。ロシアにはロシア人が死ぬまでに行ってみたいと願う「黄金の環」と呼ばれる村々の一群があります。ロシアの都会だけでなく、田舎にも興味があったので、スーズダリに行きました。村に多数ある寺院をみたかったのですが、3月下旬だと言うのに大雪でした。寺院の姿はどこにもなく、吹雪の中ひたすら歩き回るのが精いっぱいでした。誰も歩いていないし、足あとさえもない、まるで自分ひとりだけの世界のようでした。それでもある一軒の店を見つけて中に入ると、美味しそうな総菜が売っていました。その中で一番美味しかったのはキノコで、日本では見たことがない、エノキに似ているのですが触感が違います。日本に帰ってから辞書で調べてみたのですが、わからずじまいです。コリコリとして後を引く味に病みつきになって、その後もロシアの都会のスーパーで捜してみました。でも残念ながら未だにあの味に出会えていないのです。

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寒すぎる日本の家とロシアのホテル

今週のお題「急に寒いやん」

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冬に東北の家に行ってみたら

 またあの寒い冬がやって来る気配がしてきました。今朝も風が想像以上に冷たくて、思わずジャンバーのフードを被ってしまいました。外が寒いのはいっこうに構わないのですが、家の中が寒いのには参ってしまいます。冬なのですから寒いのは当たり前ですが、その分家の中は暖かくあって欲しいのです。日本の家はどうしてこうも寒いのだろうか、そうつくづく思った経験をしたことがあります。

 あれは冬に東北にある友達の実家に行ったときのことでした。東北地方に行くのは初めてなので楽しみにしていました。東北新幹線に乗って2時間45分ほどの田舎町、そこに彼女の家がありました。新幹線の駅を降りて、外に出るとさすがに寒くて震え上がりました。迎えにきてもらった車に乗り込むと、すぐに山道に入りました。しばらくの間鬱蒼とした山の中を車は進んで行って、急に明るくなったかと思ったらそこは集落でした。山奥にあるのどかな村、そんな言い方がぴったりの光景でした。駅から20分ほどで着いた友だちの家は広々とした敷地にある平屋でした。中に入ると居間に通されて、ストーブが燃えていてとても暖かでした。

暖かいのは居間だけ?

 ところが、トイレに行こうと部屋を出たら、寒い、寒くてたまらない、もちろんトイレの中も寒いのです。それから部屋に荷物を置きに行って、ようやく気付きました。ここの家で暖かいのは居間だけなのだということを。そう言えば、台所にもストーブがあったような気がしますが、広いので暖かくは感じられません。泊まることになった部屋にもストーブはなく、布団に潜り込んで寒さをしのぐしかありません。何枚もの布団を掛けて寝るのも重くてたまらなかったのを覚えています。

 寒い地方なのだから、家の中もちゃんと工夫がされて暖かいに違いない、そんなステレオタイプな考えが打ち砕かれました。初めて知りました、ここの場所で暮らす人にはそれが普通でもう慣れてしまっていることを。でも私には無理でした、寒い地方にある日本の家は寒すぎて。一緒に行った友達も、「もっと家の中は暖かいのかと思ったのに違うんだね」と驚いていました。

寒いロシアに行ってみたら

 冬のロシアと聞くだけで、「極寒の地」と言ったイメージが頭に思い浮かびますが、実際に行ってみると見事に裏切られます。少なくともモスクワやサンクトペテルブルクについては、思ったよりも寒くありません。街角の温度計がマイナス1℃でも「そんなに低いの?信じられない!」と不思議でしかなく、たぶん風がないから感じないのです。そんな寒いロシアのホテルの部屋は想像以上に暖かいのです。

 今までで一番暖かったのは、高級ホテルなどではなくて、都心から地下鉄で30分程度離れた安いホテルでした。朝食付きでいくらの格安ホテルでしたが、そこの部屋が暖かい、なんていうものではなく暑いくらいなのです。外は寒い冬でも、部屋の中はまさに常夏でパジャマなんて必要ありません。Tシャツで十分なのです。あろうことか、自然と冷たいものが、それもアイスクリームが食べたくなりました。それで一目散に駅へと走って行きました。歩いて15分ほどの駅に行かないと店がないのです。それがきっかけとなって「冬にアイス」に嵌ってしまいました。おかげでロシアのアイスの美味しさと100円程度で幸せになれる豊かさを発見できました。

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ネコ漫画とこたつの弱点

今週のお題「急に寒いやん」

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こたつで思い出した漫画は

 朝晩だいぶ寒くなって、こたつが恋しい季節になってきました。こたつで思い出すのは、たまたま本屋で立ち読みしたほのぼのとしたネコ漫画です。おばあさんが一人で暮らしていて、あるとき庭で七輪(しちりん)でサンマを焼いていたのです。するとその匂いに釣られたのか、一匹の野良ネコがやって来たのです。おばあさんは突然の来客が嬉しくて、自分のサンマを半分分けてあげました。そのことがきっかけでネコは遊びにくるようになり、やがておあばさんの家で一緒に暮らすようになりました。北風が吹くようになって、これから冬が来ますよと教えてくれると、おばあさんはこたつを出しました。ふかふかの座布団に座ってこたつでまったりしていたら、ネコが羨ましそうにじっと見ていました。「お前も欲しいのかい?」と聞いてみました。ネコの様子から何でも真似したいらしいのだと気付いたのです。それで自分と同じ模様の座布団をネコにも作ってあげたのです。おばあさんとネコがこたつでのんびりするイラストを見ていたら、幸せってこんな小さなことでいいのかもとふと思いました。すごく癒されたのです。

こたつの弱点は抜け出せないこと

 こたつが大好きな私ですが、残念ながらこたつにはどうにもならない弱点があるのです。それは一度入ってしまったらなかなか抜け出せないことです。なぜか立ち上がるのが辛いと感じてしまうのです。つまり座ったり立ったりを繰り返すのには向いていないのです。そこにじっとしていられる人だけがこたつに向いているのです。家事労働を一手に引き受けている知人などは、「動きたくなるから困るのよ」と嘆きながらもこたつは手放せないらしい。フットワークが軽いのを自他ともに認める彼女が言うのだから悩ましい。せめてこたつで食事をするのはやめたいのだが、家族の猛反対にあってダメだった。でも、家族が誰もいなくなって一人になったときは至福の時間を味わえる。「ひとりでごろごろするには、こたつが最高なのよ」と小さな幸せにとても満足そうだった。

こたつに入ると睡魔が襲ってきて

 もう一つの弱点はこたつが暖かくて気持ちがよすぎて、必ず眠くなってしまうことです。思えば昔からそうでした、こたつで勉強できたらさぞかしはかどると思い込んでいたのです。実際ははかどるどころか、まったく進まなかったのです。どうも集中力が必要なことには向かないようで、いつの間にかうたた寝をしてしまいます。その原因は私の意志が弱いからではなく、まわりの人たちも同様でした。やる気スイッチが効かないようで、それがわかってからはこたつは使いません。こたつはあくまでも家族団らん、あるいはリラックスするためのものなのだと考えればいいのです。

 最近テレビで”着るこたつ”という商品が人気があると知りました。エアコンの効いたソファで寝ころぶのが流行りだと思っていたので意外でした。私も以前電気ひざ掛けというものを買ったことがあります。カフェなどに行くと、しばらくすると下半身が冷えてくるのが気になります。そんな時ひざ掛けを持って行き、備え付けのコンセントに差し込んで使っていました。それにしても、従来のこたつの型からは想像もできない、細長い形の”着るこたつ”はとてもおもしろい発想ではありませんか。

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こたつのない冬なんて

今週のお題「急に寒いやん」

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 こたつを出したくない理由は

 街中で昼間でもダウンコートを着ている人を見かけると、もう冬なのだなあ、とつくづく感じるようになりました。冬と言えばやっぱりこたつにミカンです。そしてそばには猫がいて、「猫はこたつで丸くなる」と歌にもありますから。そんな光景が冬の定番かと思っていたら、どうも違うようなのです。先日ご近所さんの井戸端会議を偶然聞いてしまいました。「うちはこたつは出さないことにしてるの。あれがあると掃除が面倒で」とひとりが発言したのです。そしたらもうひとりがすかさず「そうそう、わかるわ。うちもそうなの」とこたつ出さない派同士で話が盛り上がっている様子。その場を通りかかった私はこたつ出す派なのだが、最近よく言われる同調圧力が働き、とても反論できなかった。

 正直なところ、綺麗好きな二人の奥様の”こたつが掃除の邪魔になる”という発想は私にはありません。だから、「快適な掃除のためにはそうなのか、なるほどねえ」とやたらと感心してしてしまった。掃除を少しでも楽にしたいと考えたら、こたつは諦めた方がいいらしい。ストーブ、それも石油ファンヒーターが特にコスパがいいらしい。でも冬にこたつでごろごろするのは至福のときではありませんか。その楽しみをたかが掃除ごときのために奪われるのはどうなのでしょうか。もっとも、これは掃除があまり好きでない私の戯言でしかないのですが。

年末にこたつのない家に行ったら

 以前、年末に友達の家で食事会をしたのですが、そこの家がとても寒すぎて震えました。川べりにあるマンションの5階で角部屋の窓が大きくて明るい部屋でした。リビングでテーブルに座って食事をしたのですが、じっとしているせいか寒くてたまりません。気をそらそうと話に集中しようとするのですが、やはり寒いのが気になって言ってしまいました、「ねえ、寒くない?」。するとそこの住人以外はみんな私と同じでどうやら我慢していただけなのでした。

 「じゃあ、エアコンの温度上げるね」と気を使ってくれたのですが、いっこうに暖かくはならなかった。あたりを見回すと、ファンヒーターも何も見当たらないので暖房はエアコンだけのようだった。冷え切った身体があのホカホカのこたつを恋しがって、早く家に帰りたいと訴えていた。もう我慢も限界だった、こんな寒い所はもうごめんだった。そしたら思わず「じゃあ、私はこれで帰るね」と言ってしまった。家の住人が「もう帰るの?」と驚いていると、ほかの友達も次々と「これで失礼するわ」と言い出したのです。

 駅まで行く途中、みんなで「あそこの家は寒すぎるね」とか「もう少しで凍りそうだった」と散々なことを言い合った記憶があります。「あなたが先に言ってくれてよかった」と感謝されたわけですが、私の考えは少し違うのです。もしかしたら、あの時の我慢はしなくてもよかったのではと思うのです。最初から、あの部屋に入ったときから「わあ、寒い!」と感じていたのに、すぐに住人に伝えようとしませんでした。我慢すればいいとその場を丸く収めようとしていたのです。もし失礼を承知ではっきり感じるままを言っていたら、事態は変わっていたのだろうか。

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