人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

葬式の後食べたカニ鍋

今週のお題「鍋」

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 暑い日に鍋を食べる

 普通は「鍋」と言うと、寒い日に食べて温まるものですが、私が忘れられないのは葬式の後夏に食べたカニ鍋です。カニから連想するものは、レストランのバイキングで見た、これでもかというくらいに積み上げられたカニです。そのカニの足はスカスカで、たいして身が入っていないのに、友だちが嬉々として食べているのが不思議でなりませんでした。なぜ暑い夏に鍋なのか、それは亡くなった叔父のお気に入りの店がたまたまカニの店だったから、ただそれだけの理由です。

 その店は田舎のある地元ではなく、川を渡って他県に入るとすぐの場所にありました。何ら普通の家と変わりない2階建ての店舗で、大きくて派手な看板が遠くからでも目立っています。なぜこの店なのか、みんなが行くから間違いがない、人気店だったからです。店に入り2階の個室に案内されると、そこは静かで落ち着ける、なかなかいい雰囲気の部屋でした。カニの専門店なので、言うまでもなくカニの足にはぎっしりとカニの身が詰まっています。「ワア~ッ」と歓声が上がり、一瞬みんなの目が輝きました。

いつの間にか哀しみを忘れて

 誰もが黙々と食べている中で、一人だけやたらとテンションが高めの人がいました。それは寺の住職でビールをグイッと飲んでカニ鍋を食べ、またよくしゃべる。叔父が野球が好きで、同じ地元の球団を応援していたとか、ゴルフに一緒に行った話とかを。姉などはあの住職はちょっと変わっている。普通は会食が始まったら静かに食べ、折り合いを見て早々に帰るのが常識なのにいっこうに帰ろうとはしない、と嘆いていた。

 やがて、住職のおしゃべりが伝染したのか、私の目の前に座っていた親戚の男の人も嘘のように話始めたのです。おとなしそうで静かな人だとばかり思っていた人が、突然饒舌な別人に変わりました。たしか、「そうめんは何が一番美味しいのか?」などと言うたわいない話でその場が盛り上がったのです。それからは、この会食が葬式の後だなんて信じられないような楽しいものになりました。

死を覚悟したら怖くない?

 叔父の葬儀の時は不思議と涙は出ませんでした。亡くなる1か月前にお見舞いに行って、もう何も食べられなくなった姿を見ていたからです。突然の死ではなく、誰もが予想できて、諦めていた死でした。病院ではなく、自宅で椅子に座っていた叔父はガリガリなのに、穏やかで死への恐怖なんて何もなかった気がします。あくまで入院を拒否して自宅療養を続けていたのに、ある日医師に「あとどれくらい生きられるのか」と尋ねてしまったのです。すると、医師に「あまり長くは生きられない」と本当のことを言われてショックを受けたみたいです。人間の心は不思議なもので、そう言われた途端、食べ物が喉を通らなくなったのです。

 家人によると、叔父は死の恐怖に苛まれて苦しむこともなかったようです。自分の人生はこれで終わっていいのだと満足していたのです。以前何かの本で読んだことがありますが、死にゆく人は周りのことにはもう関心が無くなる。自分の世界にだけ生きているので、心の平安を乱されることはないから安心していいのだと言うのです。考えてみると、叔父は自分の納得いく死を選んだのですから、あんなに穏やかだったのですね。

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一番美味しかった鍋の思い出

今週のお題「鍋」

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子供の頃の光景が蘇って

 「鍋」で思い出すのは、子供の頃の親戚が集まったときの光景です。うちの父は長男でもないのに家を継いでいて、何かにつけ兄弟が集まって賑やかでした。冬になると、決まって鍋を囲み、その鍋も子供心に豪華なものでした。仕出し屋から取り寄せたスープとエビ、カニ、貝類、魚類などの新鮮な具材が入っているので、とても美味しかった記憶があります。テーブルにド~ンと置かれた、うずたかく盛られた鍋の具材を見てびっくりし、早く食べたくて待ち遠しかったあの頃。

 一口食べてみて「なんてこの魚は美味しいのだろう」と感じた魚は、果たして何だったのか、もしかしたらあれは鱈だったのか。エビも食べたのかもしれないが、ではいつからエビアレルギーになったのか。カニも美味しいはずなのに今はあまり食べたいと思わないのはなぜかなどと疑問が次から次へと湧いてきました。やはりだし汁だけではダメで、海鮮の旨味がプラスされないと美味しくないのだと知ったのは大人になってからです。溢れんばかりの山盛の具材の上に、串に刺さった銀杏が飾りで置かれていたのを今でも覚えているとは!「さぞかし高いのだろうなあ」と思いながらも、一時のごちそうに心を奪われていたのです。今にして思えば、父は兄弟たちのために奮発したのです。みんなが集まったときの父は終始上機嫌で、普段から叔父や叔母の悪口を言うのを聞いたことがありません。

みんな上機嫌で鍋を囲んで

 父は子供の私から見ても親孝行で兄弟想いの人でした。当時、大人たちは鍋を囲み、おしゃべりしながらお酒を飲んで、楽しくやっていました。美味しい鍋という最高の酒の肴があるからこそですが、みんな本当に仲が良かったのです。酒に酔った拍子に愚痴が出て、その場の雰囲気を壊す人などいませんでした。だからお酒というのは人を楽しい気持ちにさせてくれるものだとばかり思っていたのです。父の一番下の兄弟の叔父は酒があまり強くはないらしく、顔が赤くなったと思ったら寝てしまいました。「あんなにすぐに寝ちゃうんだ、お酒って!」としか思いませんでした。そんな無害な人たちばかりではないことを知ったのは大人になってからです。

 鍋が冬の団らんに欠かせないものだった頃が懐かしいです。今はもう父もその兄弟たちも亡くなってこの世にはいないのでなおさらです。正直言って、普段は冬に家で鍋を囲む習慣はないのですが、外食ではよく食べていました。以前はファミレスでひとり鍋というのが流行っていて、友だちと別の味を食べ比べして楽しんだものです。もう忘れてしまったのですが、確かコラーゲン鍋とか言うものあって女性に人気がありました。でもまた食べたいと足を運んだら、すでにそのメニューは無くなっていたのです。

 コロナ禍でファミレスもだんだんと店が無くなってきているようです。たとえ店がやっていたとしても人々が利用するかどうかはわかりません。冬なのに換気が必要で、寒いのを我慢しなければならないなんて!まさに非常事態と言うしかありません。

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「片足だちょうのエルフ」が教えてくれること

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なぜかダチョウがヒーローに

 だいぶ消えかかってはいますが、表紙には「優良図書」の文字が見えます。無造作に置かれた本たちの隙間から「かたあしだちょうのエルフ」の絵本が顔を出しました。ダチョウが主人公になっている本なんて珍しいので、興味本位に手に取りました。それが古書店でのダチョウのエルフとの出会いでした。ダチョウと言うと、私の中ではダチョウの卵とか、スピードランナーの誉れ高き動物だとかというイメージしかありませんでした。ストーリーも楽しい話を期待していたら、見事に裏切られました。

 子供向けの絵本にしては残酷でリアルな話なので、果たして子供たちはどう受け止めたのか。この本はたしか1967年に出版されたもので、もう50年以上もの時が流れています。それでも、今読んでも古臭くなく、十分に新しい、むしろコロナ禍の今こそ読むべき絵本なのかもしれません。楽しく面白いだけの本でなく、少し毒がある、現実を感じさせるような本だって子供は大丈夫です。彼らは見かけほど軟ではなく、内に秘めた強靭さを持っているのだと児童心理学者が書いていたのを思いだしました。

ダチョウがライオンと戦う?

 物語の舞台はアフリカのサバンナで、そこに1羽のダチョウが仲間とワイワイ仲良く暮らしていたのです。優しくて思いやりがある性格のいいダチョウの名前はエルフでした。ある日いつものようにみんなと楽しく遊んでいたら、突然ライオンが襲ってきたのです。みんな我先に逃げようと必死です、でもエルフは「みんな、早く僕の背中に乗って!」と自分のことより周りにいる動物たちのことを心配するのです。そして、あろうことか、恐ろしいライオンと戦おうとするのです。ライオンが襲い掛かると、あの太くて頑丈な鈍器のような足でキックして、蹴散らします。石をも砕いてしまう鋭い歯でライオンの肉を食いちぎって応戦します。何度やられてもエルフの戦意は衰えません。ライオンが諦めて立ち去ると、みんなが「わ~い、エルフが勝った」と大喜びです。まさにエルフはみんなにとってヒーローなのです。ダチョウなのに「ライオンハート」を持った動物、勇敢で大地のような広い心を持った称賛に値する存在だったのです。

突然、天国から地獄へ

 ところが、ライオンと戦ったエルフは片足を食いちぎられていたのです。その日からエルフはもうみんなとは遊べなくなり、天国だった日々は苦しみに変わりました。片足ではエサも満足に探せなくなり、最初のうちはみんなから食べ物を分けてもらっていました。でも誰もが自分のことで精一杯なので、やがてみんなから忘れられていったのです。エルフの身体は衰弱していき、豊かに茂っていた羽根もいつしか乾いて枯れ木のようになりました。それなのに、なぜか背だけは高くなっていき、まるで一本の木のようにも見えたのです。

 ある日孤独な日々を送っていると、「助けて!クロヒョウがやって来た!」。エルフの耳にそんな叫びが聞こえて来たのです。いつ命が消えてもおかしくないエルフなのに、また戦おうとします。みんなを守りたいという気持ちを変わらずに持ち続けていたのです。最後にエルフの身体は大きな一本の木になって、木の根元には小さな水たまりができました。それはしだいに池になって湖に・・・。たしかその水はエルフが流した一生分の涙を表しているようでした。

 この絵本の作者は画家のおのき・がくさんで、ある1枚の写真にインスピレーションを受けて、その情熱に突き動かされるままに絵本を描いてしまったと言うのです。その写真はアフリカのサバンナにバオバブの木が生えているというもので、その瞬間頭の中を映像が逆映写してしまった。信じられないことに、日常生活に戻るのに6か月もかかってしまうほどの後遺症があるとは。こんなあとがきを読んだら、当時の画家の並々ならぬ情熱が伝わってきて感動必至です。動物描写も力強く、生態が良く表現されていて必見の絵本です。ただ、残念なのは、私が買おうと思ったら一足遅くて、今手元にないことです。

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若林正恭さんとキューバ

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家庭教師を雇って世の中を知る

 古本屋で絵本を買おうとレジに行こうとしたら、目に留まったのは若林正恭さんの本でした。それはちょうど新聞の広告で見たばかりの「表参道のセレブ犬とカバーニヤ要塞の野良犬」でした。「ええ~?もう古本屋に出ているの?」と驚きましたが、それは以前に出版されたものでした。帯に「キューバへ」とあるので旅ごごろを刺激されてしまい、衝動買いしてしまいました。と言っても200円の出費なので懐に響くわけもなく、「まあ、いいか」と気軽に買ったのです。

 若林さんと言えば、私がテレビでよく見るのは、「激レアさん」です。そこでの若林さんはいつもゲストにツッコミを入れて、番組を盛り上げています。はっきり言ってそんな若林さんしか見ていなかったので、この本を読んで彼の隠された部分を少しだけ垣間見た気がしました。軽いノリの人としか思っていなかった彼は、意外に(大変失礼な言い方ですが)真面目で勉強熱心な方なのです。

 例えば、彼は1年ほど前から家庭教師について学んでいると言うのです。それで、なにを、やはり英会話とかですか?いいえ、世の中の事を東大の大学院の先生から教えてもらっているのです。それを知ってびっくり仰天、それにしてもどうしてそんなことを思ったのか、興味津々です。新聞の記事を読んで理解しようとしてもまるで意味がわからなかった。それで自分は世の中の事を知らなさすぎると痛感したというのです。

 「どうして今のような格差社会になったのか」とか「同じ仕事なのに正規非正規の区別があるのはなぜなのか」と言った質問を先生に矢継ぎ早にぶつけました。そしたら、「まず高校の現代日本史の教科書と経済学入門を読んでからにしてください」と言われてしまったとか。やはり必要な知識がない限り、事実を把握し理解することは難しいらしいのです。

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▲若林さんはサンタマリア・ビーチでカリブ海を満喫しました。本のグラビアから抜粋。

広告のないキューバに行きたい

 若林さんがキューバに行きたかった理由は、「資本主義にはない街に行ってみたい。社会主義の国の人達ははたして幸せなのだろうか?」と思ったからです。はっきり言って人気お笑い芸人である彼が、今も売れないころの鬱屈とした敗北感を抱えているなんて、だれが想像できるでしょうか。ある日仕事でニューヨークに行くと、そこは日本にはない派手で巨大な広告塔がひしめいている世界でした。若林さんはその光景に違和感を覚えてしまい、楽しもうという気持ちが萎えてしまったと言うのです。目の前の景色が「夢をかなえましょう!常にチャレンジしましょう!」と人々に囁き続け、それが励ましと言うよりも脅迫に近いと感じたのです。

 夢に向かって努力する、そして夢をかなえる、ぞれは素晴らしいことです。そして常に「もっと、もっと高く」と願って満足することを知らないようです。向上心が人々の生きる原動力になっているのも事実です。でも「やりがいのある仕事をして、お金を手に入れて生活を楽しみましょう!」などという価値観を押し付けているようにも感じるのです。そんな価値観を肯定できるのは成功者だけで、そこからあぶれた大多数の人たちは諦めるしかないのです。

 キューバに行った若林さんは、そこでも貧富の差があるとわかって目から鱗が落ちたそうです。遊びに行った豪邸の隣にトタン屋根の家があるのはなぜなのか不思議に思いました。後日その理由が、なんでも政府の要人とコネがあると優遇されるらしいのだと知りました。社会主義国と言ってもこの有様なので、もしかしたら人間は人と差を点けたくなるよう生まれついているのかもと実感したそうです。

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「かわせみのマルタン」で自然観察

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▲信じられないことですが、この本は1965年に福音館書店から出版されたものです。55年の年月を経て運命的に出会えたことは奇跡としか言いようがありません。

気が付けば、森の中で谷川の風に吹かれて

 都心の大型書店が本の森なら、町の小さな古本屋は本の宝箱と言えるのではないでしょうか。そんなことを思うのは、絵本の「かわせみのマルタン」に出会ってしまったからです。その本は目立たなくて、たくさんの絵本と一緒に平積みしてありました。ステレオタイプな見方をすれば、「どうせ、鳥のお話だろう」と思う程度です。たいして興味を引くタイトルでもないので見過ごしてしまいます。あの時も帰り際についでに手に取ったのです、この「かわせみのマルタン」を。

 ところが、本を開いて実際に読んでみると、そうなんです、この本は他の絵本とは一線を画していて、まさに読む自然観察日記なのです。魅力的なさし絵を楽しみながら、読み進むにつれて、いつしか森の中の小川のせせらぎが聞こえてきます。川を渡って心地いい風も吹いてきました。ちなみに、この本の中身はこんな感じです。

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▲この絵本の著者が空よりも海よりも青いというかわせみが釣りをしているところ。

自然界の生き物の生態が面白い

 この絵本の主役はもちろんかわせみなのですが、他の生物の命の繋ぎ方、つまり獲物を捕る方法がとても興味深いです。例えば、マスたち、谷の入り口の滝の下には岩の滝つぼがあり、そこはマスたちの寄合い所です。彼らはそこでじっとおとなしくしていて、眠っているかのように見えます。それに騙されてはいけません、彼らは獲物を待ち伏せしているのです。容赦なく襲い掛かり、目の前を通り過ぎる物は絶対に逃しません。そして、二本のポプラがある小島を根城にしているカワウソは、昼間ではなく、なんと夜に探検に出かけるのです。眠っている魚たちに襲いかかるためです。寝込みを急襲されたら、おちおち寝てもいられないではありませんか。安心して眠ることができるのは有難いことなのだと思い知らされます。

かわせみに心を奪われる

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▲「空よりも青く、絹よりもつややかな」という形容がぴったりのかわせみの挿絵。かわせみは愛情深く、狩りのときはもちろん、いつでもパートナーと一緒で仲がいいのです。それにしてもサファイアブルーが美しいです。

 さて、それまで自分の王国だと密かに思っていたら、どこからかかわせみがやってきて占領されてしまいました。ウナギの子が川を上って来るのに見とれていた隙にです。「ガラスのように透き通った、指ほどもない小さな冒険者たち」の想像もつかない、果てしない旅に想いをはせていて、気づかなかったのです。

 かわせみのマルタンは賢く、魚たちの暮らしをよく承知していて、その習性を利用して釣りをします。「雑魚たちが川岸近くの砂でごく浅くなっているところに、ギッシリとかたまっていることも知っています。そういうところは水が他よりも暖かいし、浅いので、スズキがやってきて雑魚に飛び掛かることもないからです。そいつはトラのように恐ろしい魚なのです」。

かわせみの巣は空に近い所ではなくて

 不思議なことに、かわせみは空に近い木の枝ではなくて、なんと地面に穴を掘って巣を作ります。一羽が穴を一生懸命掘り続けると、もう一羽は掘り出されたものをどこかに運んでいきます。一日中、その作業を繰り返して、夫婦で協力して共同作業で完成させます。その穴は1メートル以上にも及ぶトンネルです。どうやら卵を産む季節がやってきたようで、マルタンは魚を捕って巣に運ぶ作業を繰り返すのです。

 でもある日、魚を捕るのをやめたので、不思議に思っていたら、今度はハエやトンボを捕まえ始めました。ヒナが孵ったのです、「赤ん坊は魚では育てることはできません」。そのままではヒナに食べさせることはできないので、無視の羽根はむしり取ってやらなければなりません。万一のどに詰まりでもしたら大事な子供たちが死んでしまいますから。土の中ではかわせみの子は黒いトゲが生えていて、醜い様子をしています。でもひとたび外に出て日の光を浴びると、黒いトゲは輝くようなサファイアブルーに変わると言うのです。まさに自然の神秘です、こんな奇跡に出会えたことは幸運としか言えません。

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ねこのおるすばんと駆け巡る妄想

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ねこが留守番ですることは

 町の本屋さんに行ったら、絵本コーナーに「ねこのおするばん」という面白そうな題名の本がありました。表紙にある茶色のお茶目そうなねこの絵が私をじっと見つめています。帯には「ネコがおとなしく留守番していると思うなよ」と書かれていました。そうなるとどうしても中身を見たくなってしまうのですが、残念なことにビニールが掛かっています。普通は1冊ぐらいは見本があって、手に取って試しに読むことができるはずなのですが。よく見てみると、絵本はすべてビニール掛けがしてあり、購入しなければ読めないようになっているのです。確か以前は絵本は読めるようになっていたのですが、コロナ禍での感染予防対策なのでしょうか。それとも売り上げのことを考えてのことなのか、とにかく、ひとまず好奇心を抑え込んでその場を立ち去るしかありません。

 考えてみれば、コロナ禍で子供の本が良く売れたそうですが、計算ドリルや図鑑などのすぐに役立つようなものばかりです。親が子供のために買いたい本は勉強関係のもので、絵本や児童書ではないことがわかってがっかりしました。

ねこも人間と同じ行動をする?

 ある日久しぶりに都心にある大型書店に行った時のことです。絵本のある階で「梨の妖精パッピーナ」を読んで楽しんだ後、別の棚に行きました。そこに「ねこのおるすばん」の絵本をみつけて、帯をよく見たら、「ねこがおとなしく留守番してると思ったら・・・」と書いてありました。「思うなよ」じゃなかったのです、私のまったくの勘違いでした。でも幸運なことにビニールの掛かっていない見本があったので、興奮して一気に読みました。

 その内容は、作者の妄想が縦横無尽にはじけて、頭の中を駆け巡り、ねこも退屈ばかりはしていられないのだと教えてくれます。絵もユーモラスで実に楽しいお話です。ねこは人間が出かけた後まず何をするか、どう過ごすのか興味がありますよね。この猫は外に出かけて?全く人間と同じようなことをするので、思わず笑ってしまいます。でもどうやって外に行くのか、気になりますが、心配いりません。ちゃんと洋服ダンスの中に街に続く抜け穴があるのですから。

ねこは本も映画も大好き?

 そして、密かに街路樹にある穴から抜け出したねこは本屋にふらりと立ち寄るのです。どうやら本が大好きらしい、ここで「ええ~?ねこが本好きだなんて聞いたことがないよ」と不思議に思います。ページを捲ったら、ねこが本の角にスリスリしていかにも幸せそうな絵が現れて、なるほど「ねこは本好きなのは正しい」と納得です。このねこは釣り堀に行って自分の好きな魚を調達しようとし、無理だとわかると回転ずしで「まあ、いいか」と満足するのです。バッティングセンターに行って気分転換しようとし、映画館では目をランランと輝かせ、恍惚の表情で夢のような世界を彷徨います。当然です、ネコはめったに旅行に出かける機会はありませんし、ましてや恋愛現場を目撃するなんてこともありませんから。

 一通りのことをやり終えたねこは「そろそろ家に帰るか」と街路樹の穴の中に消えました。さて、飼い主の人間が家に帰ってみると、玄関にはねこがちゃんとお出迎えです。人間が帰って来るのに合わせて自分も家に戻るのがねこの仁義だとでも言いたそうです。それに秘密も守らなくてはいけないのでから。今まで何をして楽しんでいたか人間が知ったら、きっとびっくり仰天するでしょう。それを思ったらねこは内心ニヤニヤして笑いをこらえているのかも、などと想像するの絵本の楽しみです。

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イタリアの絵本の梨園の娘

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梨園の娘をかごの中に忍ばせて

  久しぶりに行った大型書店の絵本コーナーでイタリアの絵本を読みました。洋梨で有名な地方が舞台になっていて、毎年収穫の時期には王様に梨を大量に納めなければならないのです。ところが、荒れた気候のせいか凶作でその年はかごに3つ半しか梨が取れなかったのです。困った農園主は自分の一番末の娘をかごに忍ばせて王宮にもっていきました。食糧庫で娘はお腹が空くと梨を食べ始めたので、すぐに家来に見つかってしまうのです。それで小間使いとして王宮で働くことになるのですが、この娘が賢くてとても役に立つのでたいそう喜ばれたのです。いつしか王子と仲良くなってしまい、それをよく思わない王様が娘を追い出そうとします。

 娘が邪魔な王様はどこにあるかもわからない、梨園にあるという宝箱を持ってこなければ王宮には戻って来るなと言うのです。理不尽なことを言われた娘は絶望に打ちひしがれますが、そこは梨園の娘なので妖精が味方してくれるのです。このお話での心強い味方は梨園に昔から住みついている伝説の魔女でした。まるでシンデレラが舞踏会に行くのを手助けするように、宝箱への進むべき道を示し、必要なアイテムまで用意してくれるのです。ここではわらのほうきと褒めちぎる言葉とたっぷりの生肉、そしてラードです。

待ち受ける障害物が義理堅くて面白い

 一番最初に出会ったのは、かまどを炊く女たちで仕事に一生懸命で娘の話を聞こうともしません。なかなか道を通してくれそうもないので、持っていた袋からほうきを取り出すと大喜びでした。なんと自分たちの髪の毛を抜いて掃除をしていた?のでほうきに夢中です。その隙に通り抜けて進んでいくと、次は恐ろしい血の川が流れていてぞっとしました。それでも娘は勇気を出して「なんて、美しい川なのかしら、こんなきれいな赤は見たことないわ」と褒めちぎったのです。魔女に教えてもらった通り実行したら、不思議なことに通り抜けられました。その後も獰猛な狼たちには生肉を与え、宝箱がある宮殿のもう何年も開けられたことのない錆びた扉にはラードが役に立ちました。

 宝箱を手に入れた娘が来た道を帰ろうとすると、宝箱が「この娘を通すな、邪魔をしろ」と命令してくるのです。娘に意地悪をしようとするのですが、何年振りかに開いた扉も、狼たちも血の川もかまどの女たちもみんな義理堅いのです。娘に恩を感じていて宝箱の言うことなどに耳を貸さないのです。この本の絵を描いている酒井駒子さんは「意地悪なのに義理堅い者たちが登場することが可笑しくもあるし、興味深い」と感想をあとがきに書いています。

最後は娘は王子と幸せに

 魔女の助言のおかげで無事王宮に戻った娘は、宝箱を王様に差し出すと何事もなかったかのように歓迎されました。財宝に目が眩んだのか、それとも娘を認めたのか、王様は娘が王宮に留まることを許してくれました。何でも望みをかなえると言われると、地下にある古い箱が欲しいとお願いしました。その箱を開けると、なんとその中から王子が飛び出してきてびっくりです。王子の計画でした。それでこの絵本の物語はめでたしめでたしで終わりです。絵本を読み始めると、すぐに梨園の娘の運命が気になって仕方ありませんでした。娘が賢いのは生きる上で必要なことですが、それだけでは十分でないことは明らかでした。梨園の娘という運命からか、魔女の助けは不可欠で、義理堅い者たちも登場させて物語に彩りを与えてくれました。

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