人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

東北の田舎で食べたそうめん

今週のお題「そうめん」

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そうめんを食べながら、聞いた話はドラマのようで

 夏の暑い日のお昼に何が食べたいと聞かれたら、「そうめんに限る」と答えます。でも、あの冷たくて、ツルツルといくらでも喉を通ってしまうそうめんにも一つだけ欠点があります。それは食べ終わった瞬間は満足するのですが、悲しいことにすぐにお腹空いてしまうことです。考えてみれば、見るからに細くて儚げなので、腹持ちが悪いのは仕方ありません。腹の虫が暴れて「お腹が空いた」と騒ぐので、私などは必ず何か別のものを追加で食べてしまいます。それでも、ついついそうめんを茹でてしまうので、「まあいいか」と許せてしまうのです。

 それから、ある日テレビのクイズ番組をぼんやりと見ていたんです。そしたら、うどん、そば、そうめん、この3つの中で一番カロリーが高いのはどれかなどと言う問題が出ました。私はすぐに「うどんでしょう」と思いました。でも正解はそうめんで、あれは見た目は細くてヘルシーに見えるのに意外とカロリーはあるのだそうです。また、うどんが3つの中で一番低カロリーなのだという事実には愕然としました。食べ物も人と同じで、見た目で判断してはいけないようです。でも、そうめんがカロリーが高いからと言って、「だから、食べるのやめる」などと言うことにはなりません。頭の中でカロリーのことなど考えていたら、食べ物が美味しくないではありませんか。この際カロリーのことはすっかり忘れて、ひたすら冷たいそうめんを味わいたいと思うのです。

 以前、真夏に東北の親戚の家に行ったら、お昼にそうめんが出ました。ふと見たら、そうめんがお皿にひと塊づつ綺麗に巻いて置いてありました。これは食べる方としては一口分が取りやすくて確かに食べやすい。でも、一方ではその作業をする側にとっては手間がかかって面倒です。どうやらここの家では、そうめんの出し方はこのやり方のようでした。まるで、ざるそばを食べるときのような盛り方を見たのは初めてでした。そうめんは普通は涼感のあるガラスの器に入れて氷など浮かべて出すもの、そう固く信じていたので少し戸惑ってしまいました。でも今思うと、あの家は小さな子供が多かったので、子供にも食べやすいようにと考えて工夫していたのかもしれません。

 子供が大勢いる中で、その家のお嫁さんが2歳くらいの男の子にそうめんを食べさせていました。そうめんを細かく切って食べさせていたのですが、その子はうまく呑み込めず、ゲホゲホして苦しそうでした。「そうめんはダメみたいだから、別のものにするわ」。お嫁さんの話によると、その子は親類の娘の子供で、母親が働いている間だけ預かっているのでした。母親は市議会議員の娘で何不自由なく育ち、親のコネでゴルフ場に就職もしました。ゴルフ場ではキャディーとして働いていました。明るくて機転も利くのでお客さんからは喜ばれていました。しばらくしてフロントに居る男性と付き合うようになりました。その後結婚したのですが、仕事は辞めないで働き続けました。それというのも家には義母がいて、仕事を持っているにも関わらず、完璧に家事をこなしていたからです。

 「私はなんにもしなくていいの。お義母さんが全部やってくれるから」。会うたびにそんなことを言っていました。結婚しても独身の時と変わらない生活をしている彼女を見ていたら、少し羨ましいとも思ったのです。朝起きて、お義母さんが作ってくれた朝食を食べて仕事に行き、帰って来たら夕食を食べてお風呂に入って寝る、その繰り返しで毎日が過ぎて行きました。何年か経ったある日、家を建て替えることになり、彼女はしばらく実家で生活することになりました。そのうちこんな噂が親戚の間で囁かれるようになりました、「あの家には戻らないつもりみたいだよ」と。つまり夫婦仲がうまく行っていないようで「もうダメかも」と彼女が落ち込んでいたらしいのです。結局、新しい家ができても彼女は嫁ぎ先ヘは戻りませんでした。

 では、その後再婚して子供ができたのかと思ったら、そうではありませんでした。実家で生活する間に仕事で知り合った男性と付き合うようになったのでした。それなのに、相手の男性は子供ができたとわかると彼女に別れを告げて去っていきました。まるで映画かドラマのような展開に私は話を聞きながら、呆然としてしまいました。その男性の子供が今目の前にいる可愛い男の子なのでした。「子供に罪はないから」と彼女の父親は娘を受け入れたのですが、さすがにけじめをつけるために一緒に住むことは許しませんでした。だから、今は市営住宅で母子二人で暮らしているのです。

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井戸水で冷え切ったそうめん

今週のお題「そうめん」

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 そうめんにはいろいろな思い出が詰まっていて

  田舎で育った子供の頃、夏の食べ物の定番はそうめんとスイカでした。そうめんと言っても、今食べているような麺ではなくて、もっと太い形状のもの、つまり冷や麦です。考えてみると、子供の頃、私の周りでは皆そうめんではなく冷や麦を食べていたような気がします。でもここでは、そうめんということにして話を進めることにします。母が鍋いっぱいのお湯で茹でたそうめんは、水道の蛇口から出る井戸水に晒らして冷やします。井戸水は冷凍庫にある氷のように、思わず手を引っ込めてしまうほどの冷たさでした。主食なのに、まるで美味しいデザートのように、身体中の熱を瞬時に取り去ってくれる魔法の食べ物、子供の頃はそんな風に思っていました。それから、麺に色が付いているものが数本あって、それを食べたくて仕方がなかったのです。袋に入っている白い乾麺の中にピンク、ブルー、グリーンの色を見つけると、絶対今日はこれを食べるぞとワクワクしていました。食べて見ると白い麵よりも、数倍も美味しいような気がしたものでした。実際は色だけ目立っていて、味は何もついていなかったのですが、子供の私はそれなりに楽しかったのです。

 そうめんにはその家の個性が出るものです。近所に一つ年下の女の子がいて、その子の家は農業で生計を立てていました。いつも遊びに行くと、その子の両親は畑から取ってきた野菜を洗ったり、何かしら作業をして忙しく働いていました。夏休みだったと思うのですが、遊んでいたらいつの間にかお昼になっていました。帰ろうとすると、おばさんが「ご飯食べて行ったら」と言ってくれました。おばさんはいつもは不機嫌な人なので、きっと人当たりがよくて優しいおじさんが気を使ってくれたのです。この家の夫婦はまるでテレビドラマに出て来る人達みたい?だと子供心に思っていました。おばさんは見るからに意地悪そうで、私には皮肉しか言いませんでした。でも。そんなときにすぐに笑顔で慰めてくれるのはおじさんでした。「気にしなくていいからね」とニコニコして言われるとすぐに気持ちを切り替えることができました。

 今思うと、この夫婦はちゃんと調和がとれてうまく行っていたようです。そして、幼馴染の女の子の性格がまた、おばさんにそっくりでまさに親子だったのには笑ってしまいます。その子と私は別に仲がいいわけではなくて、近所に同年代の子がいないという、それだけの理由で仕方なく遊んでいました。それでも、ひどい喧嘩をすることもなくうまく付き合っていました。学校から帰って来ると、その子の家に飛んで行って、ゴム飛びや石けりをしました。雨の日はビニールハウスでお人形ごっこや着せ替えで遊びました。遊んでも遊んでも、心の距離は少しも縮まることはありませんでしたが、二人共そんなことは望んでいませんでした。このままでいいと思っていたのだと思います。

 農家のお昼ごはんは普通の家より何倍も豊かでおいしい、それが私の子供の頃の感想です。その日のお昼はちょうど、汗ばむ季節には口当たりのいいそうめんでした。井戸水で冷え切ったそうめんのほかにテーブルの上は野菜のおかずでいっぱいでした。ホウレンソウの胡麻和えや、ナスの炒めものやピーマンとハムの炒め物などで見ただけでお腹がいっぱいになりました。どの皿にも山盛に盛られたおかずをつまみながら、冷たいそうめんを口の中に流し込んだら、身体の熱がたちまち吹き飛んでいきました。幼馴染の兄弟3人と私を含めた総勢7人が食卓を囲んで、たわいもない話をしながら楽しいひとときを過ごしました。それにしても、採れたての野菜はなんて美味しいのだろうとあの家に行くと思ってしまうのはなぜなのか。あの家の雰囲気がそう感じさせて、野菜の味に影響を与えてしまうのか、不思議というよりほかありません。「あの家の野菜はとにかく美味しかった」と今でもそう思える懐かしい思い出の一つなのです。

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先生になれなかった吉川先生

 

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中学生のときに出会った教育実習生に感激して

 中学生のとき、クラスに教育実習生の人が研修に来ました。その人は短大に通っている19歳の女性で美人でスタイルもよく、頭の回転も速くて、たちまち人気者になりました。いつも笑顔で生徒たちと接する姿は先生というよりも近所のお姉さんの雰囲気でした。先生たちも彼女のことを褒めていて、欠点を捜すのが難しいほど完璧な人でした。私はそんな彼女の姿を、家で飼っている野良出身のネコのように、遠目で関心のないふりをして観察していました。中学生の男子というのは思春期真っ盛りで、自分の周りにいる女子よりも美しい年上の女性に興味を抱くのは当然のことです。

 休み時間になると、特に男子が彼女を取り囲んで話しかけました。それは別に先生と生徒の和気あいあいとした微笑ましい姿で、何の問題もありませんでした。ところが、ある日、ひとりの男子生徒が先生の髪を撫でたり、肩に触れたり、時には背中に手を回したりするのを目撃してしまいました。その子は私の幼馴染で、村に唯一ある薬局の息子の松本君でした。彼はどちらかと言うと、話しやすくてとてもいい子でした。それで私はなんだかドキドキしてしまって、彼の行動の危うさに衝撃を受けてしまったのです。それなのに当の先生は気にする様子もなく、嫌な顔一つ見せず終始笑顔でした。

 普通なら、嫌なことをされたら、「やめて!」というのは簡単なことです。たぶん先生は不用意な言葉で松本君を傷つけたくなかったです。だから彼のするがままにさせているのだと当時の私は思いました。でもそんな先生の大人びた対応が余計に私に「近寄りがたい人」というイメージを増長させたのも確かなのです。だから、先生に笑顔で近づいて来られても、頑なに心を閉ざして話をしようとはしませんでした。先生は完璧すぎて、話をしても自分の気持ちなどわかってもらえない気がする、そんな風に思っていたのだと思います。

 ある日、隣のクラスにいる友達に「うちのクラスの先生は完璧すぎて私には無理なの」と打ち明けました。すると友達が「じゃあ、うちのクラスに来ればいいよ」と言うので、早速隣の教室に行ってみました。そうやって出会ったのが吉川先生でした。先生は私のクラスの先生とは全く違うタイプで、彼女がバラなら、先生は野に咲く花でした。先生は隣のクラスから来た私を歓迎してくれて、見るからに親しみやすい人柄が私には好ましく思えたのです。それからは休み時間になると、いつも隣の教室に遊びに行きました。友達が先生に「家に遊びに行ってもいい?」と遠慮なしに言うと快く承知してくれました。偶然友達の家が先生の家の近くなのがわかったので、彼女は自転車で行くことになりました。一方の私は遠くて田舎なので交通手段がありません。すると、先生は「じゃあ、私が迎えに行ってあげるから」と自ら車を運転して私の家まで来てくれました。

 田園地帯を車で30分ほど走ると先生のお宅に着きました。先生は3人姉妹の長女で、小柄でどちらかというとふっくらしているのに、妹さんたちは背が高いのには仰天しました。二人とも背が高くてミニスカートからは長い脚が伸びていました。私たちが何を思っているのか気づいて、「なぜなのかわからないけど、私だけチビなのよ」と先生が苦笑いしています。先生の家の庭にあるテラスでお昼をご馳走になり、その後デザートにメロンを食べました。たわいもない話をして、笑い声をあげてひと時を過ごしました。特に有意義な時間を過ごしたわけではありませんが、とにかく先生といると心地いいと思えたのです。そもそもそこに意味があるとかないとか、そんなことを考えること自体、ばかばかしいことなのでした。

 教育実習が終わってからも手紙や電話で私たちは連絡を取り合いました。それからしばらく経って、クラスの誰かが、先生が教員試験に残念ながら落ちたことやあのバラのような人が予想通り合格したらしいと言っているのを耳にしました。そんなことを聞かされても、私の先生に対する思いが変わるわけはありません。ただ、あんな人が先生だったら、どんなにいいか、生徒は救われるのにと暗澹たる気持ちでいっぱいになったのでした。

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酒場の人間模様

 

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 酒場でアルバイトしたら、面白い人たちに出会って

 学生だった頃、興味半分で酒場でアルバイトをしたことがありました。酒場と言っても、そこはバーとかパブのような気楽な店でした。繁華街にある雑居ビルの最上階にその店はありました。たしか、マルタとかキプロスとか、そんな島の名前の店でした。私はそこで夕方6時から11時までウェイトレスの仕事をしました。白いロールカラーのブラウスと黒のロングドレスを身につけて、毎日広い客席を忙しく歩き回りました。初めて店に仕事に行って「こんにちは」と言ったら、この業界では「おはようございます」というのだと注意されました。着替えてカウンターの方に歩いて行ったら、そこにはすでに二人の女性がいて何やら話をしていました。ひとりは金髪でボーイッシュ、でも化粧が濃くて、特に目がきつすぎてなんだか怖い人のように見えました。もうひとりは、彼女とは対照的でおとなしいボブの髪型をした優しそうな人でした。

 私が二人に挨拶をすると、金髪の人が、この人は後からゆかりさんという名前だとわかるのですが、いきなり「こんなところで働くの?」と言ったのです。そんな言葉を浴びせられた私は言われている意味がわからず、呆然としてしまいました。「ここはやめたほうがいいよ。まあ、いいけど。私はもう辞めるから」などと散々なことを言うのを聞いていたら、不安な気持ちでいっぱいになり、どうしたらいいかわからなくなりました。そして、ボブの人に向かって「アヤカちゃんももうすぐ辞めるのよねえ」と促すと、そのアヤカさんという女性も「私も辞めて、もっといい所に行くの」と答えたのです。この店はいったいどうなっているのかと頭の中を疑問が駆け巡りました。入ったばかりの私に向かって、まるで沈みゆく戦艦から逃亡するかのような雰囲気を漂わす二人の女性、面食らって絶句するしかありません。

 それからゆかりさんは「あのバアサンがうるさくて」と嫌でたまらないと言った顔をしました。バアサンとは店長から店を任されているマネージャーの原口さんで、アルバイトの女の子たちと比べるとどう見ても年上の女性でした。仕事をしてみてわかったのですが、ゆかりさんは原口さんの指示に従わないのです。でも原口さんは心得たもので、慣れているのか見て見ぬふりをして咎めることはありませんでした。最初私は彼女から仕事を教わったのですが、てきぱきとした感じのいい人でした。

 結局ゆかりさんは彼女の言葉通り店に来なくなりました。でもアヤカさんはその後も来ていて、ある日更衣室で偶然一緒になったことがありました。私がドアを開けて入って行ったら、アヤカさんが手づかみでケーキを食べていました。人目をはばかることなく「美味しい!」とかぶりついていました。ケーキの箱には有名な高級洋菓子店の名前が書いてあって、店に来る途中で買って来たのでした。ものすごく痩せていて、スタイルがよくてモデルさんのようなアヤカさん、そんな彼女がケーキを何個も頬張る姿、とても想像できませんでした。「時々無性に甘いものが食べたくなるのよね」とため息をついていた彼女の表情が忘れられません。彼女の言う「もっといい所」というのはどこなのか、果たして目指すところにたどり着けたのかどうかは知る由もありません。

 ゆかりさんとアヤカさんが店に来なくなると、新しい女の子が入りました。美紀ちゃんと言って、北海道出身で彼氏と一緒にアパートに住んでいました。初めて会ったときは、彫が深い顔立ちの上に、目のアイシャドウが濃すぎてなんだかキツイ性格の人にしか見えませんでした。恐る恐る話しかけてみると、意外にも甘くてかわいい声なのには外見とのギャップを感じて嬉しくなりました。話をするにつれて、彼女がとても純粋で優しい少女のような人なのだとわかってきました。「私はね、お金を貯めて彼とアメリカに行きたいの」と目を輝かせていたのを今でも覚えています。いつだったか、帰るのが一緒になって外に出たら、美紀ちゃんの彼氏が待っていたことがありました。ふと見たら、彼女より年下の男性で私にはなんだか頼りなく思えたのです。でも美紀ちゃんが幸せになれますようにと心から祈ったのでした。

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芸術肌の友との出会い

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 初対面で「お金貸して」に仰天して

 東京に住むことになったとき、故郷の友達が心配して自分の知り合いを紹介してくれました。それが、当時デザイン研究所に通って美術を勉強していた妙ちゃんという20台半ばの女性でした。妙ちゃんは昼間は銀座にある千疋屋でアルバイトをしていました。彼女の仕事の休憩時間に会うことにして、店に訪ねて行きました。テーブルに座って待っていたら、ショートカットの小柄な女性が近づいてきました。人なっこい笑顔で「○○さん?」と私の名前を呼びました。初対面にしては馴れ馴れしい態度に少し戸惑っていると、あちらはお構いなしに友達のことを話し始めました。それで私も気を取り直して、彼女がどういう人なのか知ろうとしたのです。

 妙ちゃんは伊勢神宮のある三重県の出身で、東京の芸大に入って絵を勉強するのが夢でした。何度か受験したのですが、どうしても学科試験で落ちてしまうのでした。それでも絵に関わる仕事がしたくて、アルバイトをしながら勉強を続けていたのです。でも私が出会った頃の彼女は芸大に入ることを心のどこかで諦めていたような気がしました。当時の彼女は家族に上京することを反対されていたのですが、2年という期限付きなら許すと父親は条件を付けたのでした。でも結局2年たっても彼女は家に帰りませんでした。様々なアルバイトで生活費を稼ぎながら東京で生活していたのです。

 そんなとき美術の専門学校で知り合った友達から私のことを聞いたのでした。気さくで話しやすい彼女と意気投合した私たちはそれから互いのアパートを行き来して付き合うようになりました。私は今まで絵を描いているような人達とは付き合ったことがなかったせいか、正直言って興味津々でした。でも彼女が初対面の私に「お金、貸してくれない?」と気軽に言ったときは仰天しました。たしか「2千円貸してくれない?すぐ返すから」とそう彼女は言いました。知らない人だけど、まあ2千円ぐらいならいいか、とそう思いました。断るという選択肢などなくて、面白い人だなあと言うのが本音でした。芸術家というのは普通の人と違って、飛んでる人が多いと聞いていたので、彼女もそのうちのひとりかと私は認識してしまったのです。後日、当時のことを聞いてみたら、あの時はちょうどお金がなくて、そんなつもりはなかったのに、ついつい「お金貸して?」と口から出てしまったとか。私なら、この人なら断られることはないと見抜いていたのだろうか、いずれにしろ今となっては笑い話でしかありません。

 千疋屋はアルバイトにも特典があって、パフェが従業員割引で食べられると喜んでいました。それから、場所が日比谷高校に近いので、そこの女子学生もアルバイトに来ているのだと聞いたこともあります。そんな彼女がある日、新しいアルバイトを見つけてきました。それは、なんと24時間保育園での子供の世話をする仕事でした。俄かには信じられずに「ねえ、保育士の資格持ってたっけ?」と聞かずにはいられません。すると、学生の頃に保育士の講座を受講したことがあるそうで、それを履歴書に書いてアピールしたら、採用になったのです。そこでの仕事は夜勤もあって、夕方からは保育園に泊る子供の身体を洗ったり、食事の世話で忙しくなります。子供によっては親の都合で何日も預けっぱなしになっている子もいました。働きながら子供を育てることの大変さを痛感し、それでも子供のことを思うと複雑な思いが頭から離れません。

 絵を描くのが得意なので、部屋に貼る動物のイラストを描いていたら、ある一人の保護者から声をかけられました。その女性はイラストレーターで会社も経営している人でした。「よかったら、一緒に仕事しない?」と誘われて、任された仕事はイラスト関連ではなくて総菜屋?でした。知り合いが市場で人に任せてやっていたのですが、ちょうど人が辞めて困っていました。それで、「とりあえず、やってみないか?」と口説かれて始めることにしました。なんでも面白がる性格もあってか、誰かに使われるのではない、自分ひとりでできる仕事なのが気に入りました。その女性と付き合ううちにやがて彼女が十分信頼に値する人物であることもわかってきました。一見関係ない場所での出会いだと思われたのに、後から考えてみたら、明らかに縁がある出会いだったのです。幸運にも、その出会いをきっかけにして妙ちゃんは自分が本来やりたかった絵の仕事をすることになったのでした。

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小倉トーストで思い出す友

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羨ましく思えた友が実は心の葛藤を抱えていて

 先日友達が電話で「コメダ小倉トーストを久しぶりに食べたら美味しかった」とかなんとか言っていたのをふと思い出したのです。そしたら、急に 遥か昔の記憶が蘇ってきて、ある一人の友の面影で頭の中がいっぱいになりました。その人の名前は船橋さんと言って、私はいつも佳子ちゃんと呼んでいました。彼女は小学生の高学年の時に私のクラスに転校してきました。今でも覚えているのは彼女のスカートがオレンジ色で、子供の目から見てもはっきりと手作りだとわかるものだったことです。彼女はそれ以来学校にはいつもお母さんの手作り服を着てきたのですが、目立っていても気にする様子は微塵もありませんでした。それにみんながびっくりするくらい勉強もできて、しかも図工の時間に先生に褒められるほど絵が上手かったのです。

 私は偶然にも彼女の隣の席だったので、先生から「いろいろ教えてあげるように」と言われていました。それで自然と私たちは話をするようになり、仲良くなっていきました。ところが、どこのクラスにも目立ちがりやでおせっかいの輩はいるもので、そんな人種のひとりと言える清川さんが私にいちゃもんをつけてきたのです。「船橋さんのお世話は私がするからあなたは関わらないで」などと何度も嫌がらせをしてきました。頭にきて、我慢も限界になった私は佳子ちゃんに「あなたとはもう付き合わない。清川さんに任せることにする」と言ってしまいました。

 すると彼女は「そんなことを言うのはおかしいでしょう。私が誰と付き合おうと清川さんには関係ない。だから気にしなくていいんだよ」。今にして思えば、どう考えたって彼女の言う通りでした。それくらいあの当時の私は自分というものがなかったのです。人にとやかく言われるとすぐ気にして、言われないようにおっかなびっくりしていて、まるで怯えている小動物のようでした。彼女に励まされて、考え直した私はもう清川さんのことなど気にしないようになり、私たちは親友になりました。

 中学生になると、幸運にも同じクラスになったのですが、部活動は彼女は卓球部、私はバレー部と別れました。勉強ができる彼女は授業中に先生に当てられると必ず卒なく答えていました。しどろもどろになり呆然としてしまう私とは雲泥の差がありました。世の中には家で勉強しなくても、学校の授業だけですべて理解してしまう人がいるらしいと聞いたことがあります。当時の私は彼女もそのタイプだと信じて疑いませんでした。羨ましくて、自分もああいうふうになれたらどんなにいいだろうか、そんなことばかり考えていました。自分の親友が天才のように感じられ、さぞかし毎日楽しく過ごしているのだとばかり思っていたのです。でもその後何年か経って、久しぶりに再会した時にそれがとんでもない誤解なのだとわかって衝撃を受けるのでした。

 中学を卒業した後高校は別々になったので、私たちは自然と疎遠になりました。お互いに連絡をとりあうこともなく過ごしていたのですが、ある日駅でばったり会ったことがありました。その時は電車の時間が迫っていたし、彼女の方も自分の友だちに声をかけられて、ゆっくりと話をすることができませんでした。でも、それから何年かして、社会人になったとき同窓会で偶然に出会って、昔話で盛り上がったのです。彼女は今は化粧品会社に勤めていて、顧客の美容指導が主な仕事なのだと教えてくれました。あれからどうしてたという話になって、高校時代の話題になったとき、彼女の受けた大学がレベルの低い大学なのに少し驚いたのです。優秀な彼女にはふさわしくないエスカレーター式の女子大だったからです。それでも担任の先生は「私には無理だって言うのよ」などと信じられないことを言って、私の頭を錯乱させました。

 「ねえ、いったいどうしちゃったの?」と思わず聞いてしまいました。あんなに勉強ができたのになぜそんなことになるのか、その理由が知りたくてたまらなくなったのです。すると、彼女は「勉強するのが嫌になったの」というではありませんか。そんな理由ではさっぱりわかりませんでした。中学の時はあんなに勉強ができたし、楽しかったでしょうと畳みかけると「そうではない」のだと言うのでした。

 彼女によると、中学の時はすべてを我慢して、他のことをやりたいのに真面目にやって来た結果、傍目には「勉強のできる子」だと思われていたに過ぎないのでした。羨ましがられて嬉しいはずなのに、本当は苦しかったし辛かったのです。自分で最大限の努力をしているのにも関わらず、学年では5番以内に入れません。自分がどう頑張ってもできることは「あの程度なのだ」と虚しくなった時もあったのです。そんな気持ちに拍車をかけたのは、高校のクラスメートたちでした。彼らは皆いい大学に入ることに余念がありませんでした。すべてを犠牲にしてでも、目標に向かって突き進む彼らは眩しすぎました。そんな彼らの姿を見ていたら、同調する気になれずに「もういいや」と思ってしまったのです。

 私には予想もできなかった胸の内を明かしてくれた彼女は小倉トーストを美味しそうに頬張っていました。私たちは同窓会を抜け出して、近くの喫茶店に入りました。そこでも話が尽きなくて、場所を変えて別の喫茶店でさらに話し込みました。結局、お店の人から「もうそろそろ閉店の時間なのですが」と促されるほど、時間を忘れて濃密な再会を楽しんだのでした。

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隣に住む美しい人

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 アパートで出会ったその人は謎に包まれていて

 私がその女性に出会ったのは、アパートに引っ越してきて間もない頃でした。それまでは一人暮らしだったのですが、デザイン事務所に勤めていた友達と一緒に住むことにしました。疲れて帰ったらすぐにシャワーを浴びられるようにと風呂付きの部屋を借りたのです。荷物を運び終わった私たちは、早速菓子の包みを持ってご近所に挨拶に行きました。まず隣の部屋からと、玄関のチャイムを押すと、現れたのは30代後半と思われる美しい人でした。知的な雰囲気をもつその女性は、まるで映画やドラマに出て来る女優さんのようでした。

 その後、近くの商店街に買い物に行って、八百屋で何を買おうか迷っていたら、なんとその人に偶然出会ってしまったのです。あちらも私たちのことを覚えていたみたいで思わず口元から笑みがこぼれました。もちろん、その時はあいさつ程度で終わりです。でも、小さな偶然が続くと、自然と親しみが生まれて、なんだか以前からの知り合いのように思えてきて気を許してしまうものなのです。私たちも同様で、休みの日にちょくちょく出会うようになって親しくなっていきました。

 私たちは二人とも平日は仕事が忙しいので、休みの日ぐらいは朝寝坊をしてグタグタしたいと思っていました。でもあの日友達が気分転換をしようと近所にあるカフェに行こうと誘ったのです。休日なのになぜ朝早く起きなければならないのかと文句を言いながら、嫌々ついて行きました。ちょうど桜の季節で、目の前には公園があるのでカフェのテラスからお花見ができるのです。店に入って、お目当てのテラスの席に座ろうとしたら、偶然近くの席にあの人がいることに気がつきました。声をかけようかと迷いましたが、ひとりを楽しんでいるようなのでお邪魔かと思ってやめました。できるだけあの人から視線をそらして、私たちは自分たちの会話に集中することにしたのです。

 そうしていたら、近くで「あら、あなたたちも来ていたの?」と爽やかな声が聞こえました。「よかったら、一緒に話をしない?」と言われたのがきっかけで毎週のように美しい人と朝食を共にすることになりました。最初のうち、その人はほとんど自分の事を話しませんでした。大抵は会社の人間関係に悩んでいる私の話や、デザイン事務所でのやってもやっても残業が付かない虚しい毎日を面白おかしくしゃべる友達の話に耳を傾けていたのでした。それに私たちは根掘り葉掘り尋ねるようなことはしませんでした。でも、ある日突然、自分の事について語り始めたので、私たちはその内容に衝撃を受けてしまったのです。

 その人の話によると、彼女の職業は世間でいう水商売と言われるもので、キャバレーのホステスをしていました。キャバレーと言われてもどんなところか想像もつかないので興味津々です。ドラマによく出て来るような高級クラブしか思い浮かびませんが、どうやら、そんなに敷居が高い所ではないようでした。誰でも気軽に遊びに来られる場所、それがキャバレーというところの良い点なのだそうです。その店はビルの地下にあって広いスペースにたくさんのテーブルがあり、大勢のホステスさんがいて連日繁盛していました。彼女も自分のお客さんを持っていて、それなりに自分の仕事にプライドがありました。どんな人が気分転換に遊びに来るのか、聞いてみると会社の社長からサラリーマンまで多種多様です。彼らとたわいもないおしゃべりを楽しんだり、ダンスを踊ったりして、自分の指名客のテーブルを渡り歩く、だから毎日忙しいのだと彼女は笑うのです。

 ドラマのように水商売の人は夕方美容院に行くものだと思っていたら、彼女は違いました。家で自分で髪をアップにしてしまうのだと聞いて仰天しました。あの美容院で髪をセットするときに使うお釜を持っているので、自分でできるのだとか、なんと器用なことかと驚かされました。「楽しいわよ、毎日今日はどんな感じにしようかと鏡の前で考えるの」と涼しい顔で言ってのけるのです。そんな彼女を見ていたら、まるでいたずらっ子のように新鮮に感じてしまいました。それから、仕事ではパーティーで着るような丈が長いドレスを着るのですが、それもクリーニングには出さないで自分で洗うのです。その理由はお店の人に自分が水商売だと知られて、色眼鏡で見られたくないからでした。彼女の故郷は秋田で、時々親類が訪ねて来ることがあります。身内には知られたくないのに、そんなときはどうするのか。さぞかし困るのではと思ったら、押し入れにズラリと掛けてあるドレスをカーテンで隠すようにしてあるので問題ないのだそうです。

 今では記憶の彼方にあって、あれからどうなったのかもう覚えていません。でも美しい人の面影だけは今も頭の片隅に住み着いて離れないのです。

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