人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

子供の頃飲んだ抹茶

今週のお題「好きなお茶」

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バルセロナにあるガウディによるグエル邸。NHKまいにちスペイン語テキストから。

遊びに行くとおじいさんが抹茶をご馳走してくれて

 考えてみると、今ではもうお抹茶を飲む機会はほとんどありませんが、子供の頃は違いました。田舎に住んでいた頃は近所に住むおじいさんの家でよくご馳走になっていました。その人はキクさんと皆が呼んでいる白髪頭の元気な老人でした。キクさんは息子さん夫婦と一緒に広い家に住んでしましたが、隠居していたわけではありません。毎日のように畑に行って農作業をして、野菜を市場に卸していました。どうやらすべて自分ひとりでやっていたようで、息子さんたちが手伝う姿は見たことがありませんでした。 と言うのも、キクさん家の畑は私の家の畑のすぐ隣だったからです。家の畑は当時の火葬場のすぐ近くにありました。父が勤め人で母が畑をやっていた兼業農家の我が家の畑と違って、キクさんの畑は整然としていました。見比べてみれば、違いは明らかで、我が家の畑は雑然として見苦しく、雑草があちこちに生えていました。

 自分の家で食べるためだけに育てている野菜と市場で商品になる作物との差は子供でも分かります。我が家の畑と一線を画しているキクさんの畑は子供の目から見ても美しかったのです。綺麗に土が盛られて、草ひとつ見当たらないネギの畝は今でも記憶に残っています。今思うと、こんな立派な畑の隣に草ぼうぼうの畑があるなんて、さぞかし迷惑なんだろうなあと感じてしまいます。思わず見とれてしまうキクさんの畑ですが、私が知る限り大人同士の諍いは記憶にありません。隣同士互いにいろんな思惑はあったのでしょうが、そこは丸く収まっていたと想像できます。

 そんな働き者のキクさんの楽しみはお抹茶を立てて飲むことでした。近所の子供が勝手に自分の家の庭に入ってくるのにキクさんは嫌な顔一つしませんでした。きっとキクさんは子供が好きだったのです。キクさんの家には孫がいなかったせいか、余計に子供たちが遊びに来るのが嬉しかったのです。近所の人たちが噂をしているのを聞いたことがありました、「あそこの嫁は後妻で、自分の子供を置いてきたんだって」。でもそのお嫁さんは子供にとっては普通の人で、特に性格の悪い人でもありませんでした。

 ある日、近所の子供2,3人とキクさん家の庭を覗くと、「今日は饅頭があるぞ」と声がかかりました。早速家に上がり込み、皆神妙に正座をして待っていました。正直言って、抹茶が特に好きと言うわけではありませんが、お茶をご馳走になれるのですから断る理由はありません。それに手加減して少し砂糖を入れてくれるので、渋みにも慣れて来て、いいえ、その渋みが心地よいと思えてくるのでした。また、別の日にはキクさんは庭で何やら一生懸命やっていたので、「何だろう?」と思いました。よく見ると、それはニワトリのガラでした。大きな石の台の上にガラを乗せて、それをトンカチで潰していたのでした。見る見るうちにガラはミンチのようになって行き、うず高い山が出来上がりました。すると、キクさんは今度はそのミンチを丸い団子のような形に握り始めました。結構な数の小さな丸い団子をあれからどうしたのか、「こんなに作ってどうするの?」と絶対に質問したはずです。でも残念ながらキクさんの答えを思い出すことができません。

 大人になって故郷を離れて、キクさんのことをすっかり忘れていました。でも抹茶と聞くと遠い記憶の彼方から、じわじわと思い出が蘇ってきました。この間、叔母の葬儀のために実家に帰ったとき、偶然にキクさんの家の近くを通りました。懐かしい気持ちで一杯になり、思わずその一角に目をやると、あろうことか、家はなく更地になっていたのでした。

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お茶が美味しすぎる家

今週のお題「好きなお茶」

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マドリードにある聖母グアダルーペ教会堂。NHKまいにちスペイン語テキストから。

高校の時親友の家に遊びに行って、お茶の美味しさに感激

 暑い、暑すぎると嘆いていたはずなのに、最近はめっきり秋らしくなってきました。そんなときは、やはり急須で入れた緑茶が飲みたくなります。熱い濃い目の緑茶を飲んでいると、なんだかホッとした気持ちになれるからです。私の好きな茶葉は1年に一度しか出ないお茶で、年末に買い出しに行く市場にある問屋さんで売られています。そのお茶との出会いは偶然で、以前11月ごろに刺身を買いに行ったら、ついでに海苔とお茶もということになりました。その時の店員さんのお勧めがそのお茶で「冷凍八女茶」と言う名前でした。春に収穫した茶葉を初冬まで冷凍して熟成させるのだそうです。驚きました、普通は新茶を飲むのが一番だと思っていたので。

 店員さんが強く勧めるので、試しに1袋買って家で飲んでみました。正直言ってたいして期待していませんでしたが、封を切ったときに漂う深い香りに「これは当たりかも」と直感しました。値段が一袋830円と安い割には味はその何倍も価値があるお茶だと思いました。店員さんによると、このお茶は人気があって皆が毎年待ち望んでいるらしいのです。ただ数量限定の商品なので、大量に買うことはできないのですが、友人にあげたらとても喜ばれました。今年もお茶を買いに市場の問屋さんに行くのが楽しみです。

 美味しい緑茶で思い出すのは、今ではもう会うこともない親友のことです。実を言うと、私にとってはあまり思いだしたくもない記憶でした。人間は自分が嫌なことは記憶の底に埋めて閉じ込めて、頭の隅にすら浮かんでこないようにしておきます。そうすることで、辛い気持ちから自分の心をそらして誤魔化すのです。もう何十年も前の高校時代の出来事なので、今ではもう時効になっています。それでも、あの頃の自分に戻ると、胸を刺すような痛みを感じるのですから、人間の心は不思議です。

 高校生になって新しい友達が二人できました。自転車通学をしていた私たちは学校までの道が途中まで同じでした。3人の中で一番家が遠かったのは私で、一番近い家に住む親友の家に学校帰りに立ち寄ることもありました。親友の家は父親が雀荘を経営し、母親も仕事をしていて、昼間は両親は留守のようでした。遊びに行くと親友は必ず緑茶を出してくれました。そのお茶が綺麗な黄緑色でとても美味しかったのです。それ以来頭の中に「あの子(親友のこと)の家のお茶は凄く美味しい」という記憶が刻まれて、家に行くのが楽しみになってきました。「ねえ、このお茶って何のお茶?」と聞きだそうとしても親友は教えてくれません。「どこにでもある普通のお茶だよ、お茶なんてどうでもいいじゃない」と言うばかりで取り合ってくれませんでした。

 高校時代、親友と私は「いつまでも友だちでいよう」と誓ったはずでした。私たちほど気が合って、一緒に居ると楽しいふたりはいなかったはずでした。でも、今思うと彼女にとって私との関係は高校時代限定だったとしか思えないのです。普通はそんなもので、関係が消滅してしまうのはよくある事なのかもしれません。でも当時の私は目の前の現実を受け入れることができませんでした。親友から音信不通なのが信じられず、クヨクヨ悩んで憂鬱な日々を送っていました。いくら電話しても繋がらず、ある時偶然にデパートで他の友人といる親友に出くわしました。やっと会えたのに話もできずに避けられてしまいました。そのことがあってから私は少しづつ「何とか繋ぎ止めたい」という気持ちを手放すようになりました。

 何年かして、共通の友だちの家に遊びに行った時、親友が結婚して近くのマンションに住んでいることを聞かされました。「あの子(親友)は自分の子供が可愛くないと言ってるよ。あまりここには来ないけど、会いに行ってみる?」。そう言われても、本当なら嬉しいはずなのにもう会いたい気持ちは湧いてこないのでした。当時は親友の口から本当の気持ちを聞きたかったのに、今では理由などどうでもいいのでした。私たちの関係は当の昔に終わっているのは確かなのですから。

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ロシアのチャイが美味しい

今週のお題「好きなお茶」

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アントニ・ガウディが手掛けたキハーノ邸『奇想館』。NHKまいにちスペイン語テキストから。

チャイとはただの紅茶だとばかり思ったら、奥が深くて

 私が初めてロシアのチャイと出会ったのは、もう十何年も前のことです。サンクトペテルブルクにあるエストニアからの長距離バスが発着する駅の側にあるスーパーでした。そのスーパーは駅の前にあるわけではなく、むしろ人目を避けるような場所にありました。ではなぜスーパーがそこにあるのかわかったのか、それは大勢の人が建物の陰から大きなレジ袋を抱えて出て来たからでした。「何だろう?」と好奇心に駆られて見ていると、次々と人がそちらの方に向かって歩いて行くではありませんか。それで確信したのです、何か大きな店があるのに違いないと。

 早速、横断歩道もない道を車に跳ねられないように気をつけながら渡り、大きな建物の陰から脇道に入ると、驚きました、そこにはDENTAという看板の大型スーパーがあったからです。バス停からは全く隠れて見えなくて、まるで別の世界に存在しているかのようでした。スーパーの入口に行くまでには何台もの車が置ける広々とした駐車場がありました。どうやらここはメガスーパーのようで、店内には53台ものレジが並び、リフトで商品の出し入れをしていました。

 スーパーの店内の一角にチャイナ・ローシカというファストフード店がありました。ロシア語でティースプーンという名のその店は当時はサンクトぺテルブルグの街中に溢れていました。甘いのはもちろん、イクラ入りの食事にもなるロシア風クレープが食べられるのですが、特筆すべきはお茶の種類の豊富さです。ただの「チャイをください」の一言で済むと思ったのに、意外にも「茶葉を選んでください」と言われて戸惑ってしまいました。茶葉を選ぶって、それ何?と固まっていると、ブラック(紅茶)かグリーン(緑茶)かどちらにするかということでした。それで断然紅茶がいいと思ったので「ブラック」と答えると、店員が指で差したのは茶葉が何種類も並んでいる棚でした。見ると、そこにはフルーツや花の色とりどりの美しい茶葉が詰まったガラスの容器がありました。それぞれ名前が書いてあるのですが、読めないし、どれにしたらいいのかさっぱりわかりません。でも店員さんはじっと私を待っていてくれるので、どれでもいいかと適当に茶葉を指さしました。

 そしたらこれが幸運にも大正解で、美味しかったのです。それは濃厚な味で今までに飲んだことがない味、絶対にフルーツティーのような軽くて、さっぱりした味ではありませんでした。お茶の色も茶色ではなくて、まさに黒っぽく、茶葉の深い味が余すことなく出ているのですが、それがいったい何なのか謎でした。茶葉の種類が豊富なのが面白くて、グリーンティーの棚を眺めていました。十数種類の茶葉が並んでいて、それらはすべて、日本で見たことのある茶葉と何ら変わりありませんでした。

 当時今まで飲んだことがないお茶に出会えた私は感激し、その後何度もその店に通いました。でも、何年かしたら、その店がスーパーから消えてしまったのです。時代の流れなのでしょうか、人々の嗜好が変わったのでしょうか、手軽な値段で食べられるチキン店に様変わりしていました。気付いたら、サンクトペテルブルクネフスキー大通りからもチャイナローシカの店は姿を消しました。その代わり出現したのは低価格のコーヒーの持ち帰りの店で、人の出入りが激しく繁盛しています。試しに入ってみると、座って飲める椅子もあるのですが、落ち着かなくて私は早々に退散しました。

 「美味しいチャイが飲みたい」という私の願望は叶えられそうもありません。以前スペインのグラナダに行った時、アルハンブラ宮殿近くの通りを歩いていたら、何やら芳醇な香りが漂ってきました。何かと思ったらお茶屋さんでした。店先のいい匂いに惹きつけられて人々が集まってきました。まさに「匂いが美味しい」と思える体験でした。みんなその場で味合うだけで誰も買おうとはしない中、私は茶葉を買ってホテルの部屋で味わおうと思ったのです。つまり、「あの味よ、もう一度!」とロシアのチャイのような味を期待したのです。それなのに、予想に反して私の試みは失敗に終わったのでした。だからこそ、あの当時のロシアのチャイがどうしようもなく心に残っているのです。

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ペットボトルのお茶が美味しすぎる

今週のお題「好きなお茶」

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マドリードにあるプラド美術館の内観。NHKまいにちスペイン語テキストから。

今の一押しのお茶は天保元年創業の「なだ方の日本茶

 毎日の早朝散歩のお供はペットボトルのお茶で、いちばん安い自動販売機で買っています。同じ商品なのに高いところは140円で、私が買うのは110円で最低価格です。「なだ方の日本茶」とラベルに書いてあるので、試しに買って飲んでみたら、適度な渋みと苦みがあって美味しかったのが始まりでした。このお茶は普通のスーパーに売っているお茶と飲み比べてみると、違いは歴然としています。スーパーのお茶が色を付けただけの茶色い水に感じてしまうのです。

 そもそも冷たいお茶がどうしてこんなに美味しく感じられるのか、それ自体不思議です。考えてみると、緑茶は本来熱いお湯で入れる飲み物でした。冷めて冷え切ってしまったお茶はお世辞にも美味しい飲み物ではありませんでした。アツアツのお茶はたとえ真夏であっても「美味しく感じられる飲み物」だったのです。暑い時は熱い飲み物を飲んだ方が身体にいいと言うのは誰もが言うことです。でも理屈ではわかっていても、身体が冷たい物を欲しがってどうしようもないのです。理性でもって我慢しているのですがついつい冷たい、それもギンギンに冷え切った飲み物に手が伸びてしまいます。

 街中にある自動販売機の誘惑に勝てずに、お金を入れてボタンを押してしまうのです。「たまにはいいか」が気が付けば、いつしか毎日になり、とうとう今日まで続いてしまいました。でも最近は朝晩めっきり涼しくなって、今朝も感じたのですが、冷たいお茶がさほど美味しくないのです。どうやら冷たいお茶のペットボトルとさよならする日が近いようです。秋風が吹いて冬の予感を感じたら、暖かいペットボトルのお茶よりも断然急須で入れる緑茶が恋しくなるからです。でも美味しい緑茶を楽しむのはそんなに簡単ではありません。一番の問題は茶葉で、人が美味しいと言っている茶葉を自分もそう感じられるとは限らないからです。

 ある時私は近所のスーパーに置いてあるお茶がどれも美味しいと感じられず、近所の人に不満を漏らしました。すると、その人は商店街にあるお茶専門店を教えてくれて、「あそこなら間違いなく美味しいよ」と太鼓判を押しました。ところが、期待して行ったのに、あれこれ試飲したのにも関わらず、どれもあまり美味しく感じられないのです。とりあえず、「これならまあいいか」と思った1600円の煎茶を買ってきて飲んでみました。適度な苦みも濃くもあるのに、なぜか素直に「美味しい!」と脳が認識してくれません。お茶はどこに出してもおかしくない有名な専門店の物なのに、となると私の舌がどうかなっているのではと悩みました。

 そんなとき、知り合いから出張のお土産にお茶を貰いました。静岡に行ってきたそうで、「これでも飲んでみるか」と試しに飲んでみたのです。そしたら驚きました、その美味しさに。黄色ではなく深い緑色、すっきりしているのに、味わい深いその味に魅了されてしまったのです。おそらく私だけでなく皆に配ったのでしょうから、そんなに値段も高くはないはずです。たぶん、このお茶はお客さんが来た時に出すものではなく、普段から飲んでいいお茶なのです。さすがお茶の産地、静岡ならではの話です。

 緑茶のペットボトルで一番仰天したのは、ウィーンのスーパーに行った時でした。飲み物のコーナーを眺めていたら、ラベルにグリーンティーと書いてあるものがありました。「緑茶がある!」と思わず声をあげ、外国でお茶のペットボトルを見つけて嬉しくなりました。早速飲んでみると、なんだか味が変です。甘い、どうやら砂糖入りのようで、一口飲んだら気持ちが悪くなってきました。緑茶に砂糖を入れるという発想はいったいどこから来るのだろうかと考えたら、子供の頃を思い出しました。近所のおじいさんが遊びに行くと必ずお抹茶を立てて出してくれました。子供たちには抹茶はそのままでは苦すぎると思ったのでしょう、少しだけ砂糖を入れてくれたのです。そのおかげで、抹茶が大好きになり、皆、「あそこの家に行くと抹茶が飲めるぞ」と楽しみにしていたのでした。

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従業員の不満が爆発

今週のお題「爆発」

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マドリードにあるE. トロッハによるサルスエラ競馬場。NHKまいにちスペイン語テキストから。

日頃の不満がある日突然噴火して、皆で辞めることに

 映画やドラマを見ていると、従業員が雇い主の理不尽な態度や自分たちの不当な待遇に抗議して、一斉に職場をやめてしまう場面が出てきます。でも現実には滅多に起こりえないことだと思っていました。誰もが「もしそんなことができたら、どんなにスッキリするだろう」などと短絡的に考えてしまいます。でも心で思うのと、実際に行動するのとでは雲泥の差があります。それでもやってしまって後悔する方がいいのか、やはり、もっと冷静になったほうがいいのか。でも現実は我慢も限界で、このままでは状況は何一つ変わらないことは誰もが承知しているのです。

 まだ若かった頃、飲食店、と言っても商店街にあるうどん店でアルバイトしていたことがありました。当時その店は1年ほど前に開店し、モチモチの讃岐うどんを売りにしていて、店の女主人は服飾関係の会社の社長夫人でした。以前から食べ物屋をやりたかったようで、自分でやっていた洋装店をうどん店に改装したのでした。要するに素人なのですが、調理場を任せるために雇った従業員の意見を尊重しませんでした。ワンマンで従業員を大事にしなかったので、よく彼らと口げんかをしていました。それでも、「ここのうどんは美味しいね」と言ってくれる常連のお客さんも増えてきて、何事もなく店は続いて行くものだと思っていました。

 調理場には、無口だけど真面目で優しい清(セイ)さん、いつも冗談を言って皆を笑わす山ちゃん、「僕は太っている女性が苦手なんですよ」が口癖の青山さんの3人の従業員がいました。清さんと山ちゃんは料亭とかの色々な場所で板前さんをして経験を積んできた人たちでした。二人とも奥さんと子供が二人いて、特に山ちゃんは自分の奥さんの写真を見せてくれて「美人だろう?」と自慢していました。青山さんは異色の人で若い頃は服飾関係の会社に勤めていましたが、不幸にも潰れてしまったので、急遽飲食関係の仕事に転身したのでした。そのせいかものすごくおしゃれで、180cmを超す長身には何を着てもカッコイイと感じました。「まるでモデルさんみたい」と皆が褒めると、「モデルはもっと痩せてなきゃだめなんだよ」と意外なことを口にしました。

 そして、店のカウンターをひとりで仕切っていたのは皆がアネゴと呼ぶ中年の女性です。お昼のピークのうどん店を口も手も同時に動かして、誰が見ても見事な働きっぷりでした。広島出身で原爆2世だという彼女は身体はがっちりとしてびくともしないように見えたのに、実は身体が弱かったのです。だから、皆から「見掛け倒しだね」と揶揄されていました。彼女はまるで暴走族のリーダーのような風貌で、竹を割ったような性格で皆から好かれていました。店の女主人とも話を合わせて、傍から見たらうまく行っているように見えました。

 ある日の夕方店にアルバイトに行ったら、従業員4人で何やら相談をしていました。何かと思ったら、皆で明日店を辞めるのだと聞かされて仰天してしまいました。思わず「どうしてそんなに急に辞めるの?それに皆が全員辞めちゃったら店が困るでしょう」と思った通りに口に出しました。すると、清さん以外の3人が、こんな非常手段は急に思いついたのではなくて、以前から考えていたと言うのです。つまり、女主人を懲らしめるというか、自分の態度を少し反省させるためなのだと・・・。突然店の従業員が皆辞めてしまったらどんなに困るか思い知らせてやりたいとも言います。

 ストライキではなくて、話し合おうとしても無駄だと判断して「突然辞める」ことを選択したのでした。でも清さんだけは彼らとは違いました。「俺はそんなひどい事はできないよ。大変だけど、俺は残るよ」と店のことを心配しました。翌日、いつも通りに出勤してきた3人は何も知らない女主人に「今日で辞めさせていただきます」と告げました。その時の彼女は信じられないと言ったように目を見開いて声さえ出ませんでした。

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忘れ物の才能が爆発

今週のお題「爆発」

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▲スペインのバレンシアにある芸術科学都市水族館。NHKまいにちスペイン語テキストから。

まさかの精神科医が忘れ物が悩みという事実に仰天

 昨日の日経新聞の夕刊のコラムを読んで衝撃を受けました。あの精神科医きたやまおさむさんが自身の悩みを告白しているのですが、それがなんと忘れ物が多いということだったからです。全く意外で信じられないことなのですが、子供の頃から親に叱られてばかりいたそうです。「お前は反省していない、反省していないから繰り返す」のだと言われ続けていたのです。大人になったら少しは治るかと思っていたら、相変わらず忘れ物をする才能の爆発は収まらなかったようです。忘れ物が多いということは、やたら物を無くすということです。きたやまさんが失くすものは財布、メガネ、鍵、切符で、メガネは別にして他は大事な物ばかりです。

 それらを失くしてしまった状況を自分の立場で考えると、ほとほと困り果てる姿を容易に想像することができます。人はできるだトラブルは避けて穏やかに暮らしたいものです。それなのに日常的に次々と困難に会わなければならないとしたら、もし自分だったら心が折れてしまいます。正直、新聞のコラムで堂々と書けるのですから、呆れるのを通り越して感心してしまうほどです。忘れ物の爆発にもめげず、りっぱに精神科医としてお仕事をされているのですから。長い間忘れ物と格闘してきたきたやまさんは、今では有効な対策をしているので、若い頃よりは悩み軽くなりました。

 それでも、新幹線の切符に関しては、気が付いたらもう手元にないことが多いのです。この切符というのが一番問題で、「見つからなかったら全額払っていただきます」と言われてしまいます。でも幸運なことに車掌さんたちのおかげで最後には9割がた見つかってホッとします。このコラムには落ちがあって、自分の恥ずかしい話を大勢の人が読んでくれる新聞に書くのは対処療法?になるというのです。つまり自分の恥は隠すよりも勇気を出して曝け出した方が有効だと言いたいのです。事実、きたやまさん自身、散々人に言い散らかしていたら、気が付いたら「問題は確実に減ってきた」そうなのですから。

 私の場合、以前はよく傘を失くしました。電車に乗ってとりあえず近くに置いておくと、降りるときには傘の存在を忘れてしまうのです。「しまった!」と思ってももう遅いし、駅員に連絡するのも面倒なので諦めてしまいます。それで「雨の日を楽しく」などという目的でお気に入りの傘を買うのを断念しました。最近は「傘を絶対に手から離すな」と自分に言い聞かせているおかげで、何とか面倒なことにならずに済んでいます。

 そういえば、電車の中の忘れ物というと、どうしてもわからないのはお骨を忘れる人がいることでした。そんな大事な物を忘れるなんて、どう考えてもどうかしているとしか思えなかったからです。精神的に不安定でついやらかしてしまうのだと認識していました。それがつい最近そうではないのだとわかったのです。先日ラジオを聞いていたら、偶然その番組には葬儀屋さんの愚痴を聞くコーナーがありました。何か面白い裏話が聞けるのかと思って興味津々でいたら、お骨の話になりました。葬儀の事前相談というのがあって、その時にお骨についてある人がこんなことを言ったそうです。「骨はいらないから、全部焼き切って貰えないだろうか」。つまりその人は故人が嫌いで、だから骨も欲しくないのです。故人を骨という形でも受け入れたくない、できればこの世から消えてもらいたいと願っているのです。だから、「電車にお骨を忘れてしまうのは決して偶然ではなく、故意にしているのだ」とラジオの人は主張していました。まさか!そんなことがありえるのでしょうか?この発言には一瞬考え込んでしまいました。

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コロナ禍のショッピングセンター

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▲スペインのレオン県にあるアントニ・ガウディによるアストルガ司教館。NHKまいにちスペイン語テキストから。

久しぶりに町へ出たら、人がいないことに驚いて

 コロナウイルスによる感染拡大で、できるだけ出歩かないようにして生活してきました。でも先日ふと思い立って隣町にあるショッピングセンターに行ってきました。コロナが流行して以来行っていなかったので、たぶん2年ぶりでした。移動しない方がいいのに、なぜ行こうという気になったのかというと、鏡に映った自分の姿が何だかパッとしなかったからです。つまり自分が着ている服がだいぶ古ぼけてきたと感じたのです。今ままで気にもしないで着ていた服に嫌気がさしたので、思い切って捨てることにしました。新しい服を買ったら、気持ちまで変わる気がしたからです。

 そう思ってみたものの、私の心ときたら「めんどくさい」だの「あんな遠くに行きたくない」だのとケチをつけるのでした。どうやら長引く外出自粛のせいでだいぶお尻が重くなってきたようです。それでも悪態をつきながらも家を出ました。以前なら1時間ほどの距離を歩くのは平気なのですが、今は状況が違います。正直言って歩きたくないのですから、電車で行くより仕方ありません。それに実を言うと、私は買い物はあまり好きではないのです。理由は選ぶのに疲れるからで、その割には自分の欲しい物が見つからないからです。

 さて、ショッピングセンターの玄関を入ると、すぐにパン屋があったのを思い出しました。ちょうどお昼の時間なので大勢のお客さんで賑わっているかと思ったのですが、誰もいません。予想外に静かすぎて近づくのをためらってしまいました。ふと見ると確か以前はテイクアウトのコーヒーのコーナーもあったのですが見当たりません。それにこのショッピングセンターの中にはイートインのスペースもありました。スーパーやお店で買った物が自由に食べられる場所で誰でも利用できました。でもその場所には「コロナの感染拡大防止のため閉鎖します」という張り紙が貼られていました。しかもまるで工事中のように中が見えないようになっていて、誰一人入れないように囲いがしてありました。今まで感じたことがなかった異様な、人が近づけないような雰囲気に驚かされました。

 子供たちがいつも遊んでいたゲームコーナーもなくなって、あるのは飲み物の自動販売機だけでした。買い物の休憩用に置かれていた椅子も取り払われていました。肝心の買い物の方は人がほとんどいないせいか、洋服の試着も何回でも自由にできました。普通なら試着室が2つしかないので順番を待たなければならないのにその時は独占できました。こんな店内は今まで見たことありません!。試着室に居たら、聞き耳を立てているわけでもないのに、誰かの話している声がやたら大きく聞こえました。近くで商品を見ているお客さんかと思ったら、それは少し離れた所にあるレジの中に居る店員同士の話声でした。彼らの話の内容まではっきりと聞こえるほど、静かで人の流れがない空間なのでした。

 店内にはお客は私を含めて2~3人しかいませんでした。洋服を3着ほど選んでレジで会計を済ませると、なんだか居心地が悪いのでさっさと店を出てしまいました。以前なら買い物の後にお茶をするのですが、今となっては過去のものになりました。コロナ禍でいったんそれまでの習慣が中断すると、容易に元には戻れないものなのだと実感しました。久しぶりにショッピングセンターに出かけたおかげで、いい気分転換になったのは事実です。でもそれ以上に現実の厳しさに直面して目から鱗でした。

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