人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

お弁当作りは母親の義務ですか

今週のお題「お弁当」

f:id:mikonacolon:20210423175446j:plain

▲美味しそうなお惣菜が店内に溢れている光景を見ると、お腹が鳴ります。(NHKのまいにちフランス語のグラビアの写真から)

お弁当作りにこだわらない人たちがいることを知って

 私自身はずうっと「母親は子供の弁当を作るのが当たり前」だと思って生きてきました。でも、友だちから高校時代の話を聞いて世界中の人がそうは思ってはいないことがわかったのです。自分の常識は世界には通用しないと知って目から鱗でした。それは母親だからと言って、無理してまでお弁当を作る必要はないということです。もちろん、しないことに後ろめたさや罪悪感など微塵もないのです。

 友達が高校の時クラスに転校生が入ってきたそうです。その女の子はリンさんという中国人で、まだ日本語が片言しか話せませんでした。中国人と言っても、リンさんのお父さんは日本人でお母さんが中国人なのでした。今までずうっと中国で暮らしていたのですが、お父さんの仕事の関係で日本で生活することになりました。日本語はまだ達者ではないようですが、クラスメートと意思疎通をするには困らないようでした。放課後には学校で日本語の授業を受けていました。そんなリンさんのお弁当はいつもパンでした。コンビニやスーパーに売っているようなどこにでもあるような菓子パンでした。クリームパンやアンパンを美味しそうに食べるリンさんに「パンが好きなのね、でも飽きないの?」と尋ねてみました。すると、「お母さんが作れないから、仕方がないからパンなの」と意外なことを言うのです。

 リンさんの話では、学校まで電車で1時間以上もかかるので、お母さんは早く起きなければならないから無理だというのです。その言葉の意味を「母親は時間がなくて作れないのだ」と友達は理解しました。それで「お母さんは働いてらっしゃるのね」と返したら、「働いてはいない」と言われたので困惑してしまいました。では、どうして?とどうしようもない疑問が頭の中を駆け巡ったのです。要するに、リンさんのお母さんは朝起きられないから、ただ単にお弁当を作らないだけだったのです。でも、弁当を作るのが当たり前という固定観念を持っている友達や私などにとってみれば、この母親の態度はありえませんでした。子供のためなのだから早起きして、頑張ってお弁当を作ればいい。その後でいくらでも寝られるのだから、などと勝手なことまで考えてしまうのです。それに、周りの子たちが皆お弁当なのに、自分だけパンでは肩身が狭いだとか、もし自分なら毎日パンだなんて絶対嫌だとか、そんな余計なことまで次々と不満が沸き上がってきます。
  でも、よく考えてみると、リンさんの母親は弁当作りをそんなに重要事項だとは思っていないのです。自分は朝が弱い性質なのに、無理して早起きしてお弁当を作ることなど考えられないのでしょう。つまり、我が子に弁当を作ることが愛情を証明する行為だという認識はないのです。友達からリンさんの思い出話を聞いた頃、ちょうど新聞に『弁当作りは母親の愛情の証ですか』などと言う記事が載りました。その中で、日本で仕事をしている中国人の女性は、「弁当なんて私でなくても作れる」と言っていました。日本人の母親はどうしてそんなに弁当作りにこだわるのかが理解できない。もちろん私だって娘のために作ってあげたい、でも残念ながら時間がない、だからパートの人に頼んでいる、でも本音を言うとそれは私でなくてもいいことなのだと主張するのです。

 では彼女の最優先することは何なのかと言うと、それは娘と時間を共有することでした。娘の母親である自分でなくてはダメなことであり、娘が母親にどうしてもと望むことです。例えば、学校の学芸会の劇で張り切っている娘の姿を見学し、家に帰ってからああだこうだと感想を言って親子の時間を楽しむ。そんな時、母親の代わりは私以外にはいないのだと実感するのです。「ママじゃなきゃ、ダメなの」と娘が懇願することが彼女の最優先事項と言えるのです。でもそれはお弁当作りではないことは明らかなのでした。

mikonacolon