人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

親子の不思議さと隣の娘さん

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

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連日の親子喧嘩が蘇ってきた

 先日、久しぶりにお隣の家の娘さんを見かけました。今ではどこから見ても、りっぱな大人、仕事にも慣れて颯爽とした女性になりました。母子家庭で育ち、休みの日はお隣さんともよく一緒に出かけているらしいのです。ふ~ん、今はあの頃と違って仲良しなのだなあ、とふと思いました。そしたら、娘さんがまだ小学校4年ぐらいだったあの頃が頭の中に蘇ってきたのです。すべては年月、つまり時間が解決してくれる、そんな言葉を証明するかのような、親子の現在の良好な関係。親子関係の不思議さをつくづく感じ、他人にはわからない当人同士だけが持つ感情に振り回されっぱなしだった当時を懐かしく思いだしました。

 遠い記憶の彼方から蘇ってきたのは、「ねえ、お願いだから、出て行かないで!」と泣き叫ぶ娘さんの声でした。それは二人の間で起こっている諍いの終わりの合図のようなものでした。先ほどから続いていた親子喧嘩の騒音はすべて娘さんの母親に対してのSOSでした。聞こえてくるのは娘さんの声と物音だけで、母親の声は聞こえてはきませんでした。どうやら、母親は娘の必死の呼びかけに応じないようなのです。娘は母親にストレートに感情をぶつけているのにそれを無視して避けようとしているのです。「喧嘩するほど仲がいい」とよく言われるのは、喧嘩がお互いの感情がぶつかうコミュニケーションの手段だからだそうです。でもそれは喧嘩の後で笑顔になれる場合だけに限定されると思うのです。嫌な思いをするとわかっているのなら、逃げるが勝ちなのです。

母親が喧嘩の最中に退場して

 あの時、母親は娘の果てしなく続く叫びに、どうにもならないと嫌気がさして逃げ出したのです。娘さんの「行かないで」の後は玄関のドアをバタンと閉める音がしたものです。母親がいなくなってしまったので、喧嘩は終わり、お隣は静かになりました。この「子供から逃げて家から出ていく」という行為が私には予想外でした。自分の経験から言うと、私のわがままが原因で喧嘩になったときは、親と最後までやりあったからです。喧嘩の最中での親の退場はあり得ないのです。お隣の親子のいざこざですが、いつも聞かされるとなれば、まさに近所迷惑以外の何ものでもありません。「あの親子はどうなっちゃうの?」などと余計な、でも他人事ながら心配になってしまったものです。

 はっきり言って、お隣さんは礼儀正しくていい人です。だからご近所に迷惑をかけていることに対して「すみません」の一言ぐらいあってもいいのではとみんな思っていたはずです。でも実際に顔を合わせても後ろめたいとか、そんな素振りは全くありませんでした。だから、それなら「まあ、いいか」で気づかないふりをしていました。そしたら、幸運にも時間が解決してくれたようで、娘さんは何事もなく成長したのです。

ひとり暮らしは楽しくない?

 そんな時、お隣さんから、「うちの娘は今度一人暮らしをすることになったの」と言われました。何でも娘さんの大学が家から遠いらしいのです。「あの子も親離れするのか。一人暮らしにあこがれる年ごろだよね」と内心そう思っていたのです。ところが、しばらく経ったある日の朝、家の前で娘さんとばったり出くわしました。「あれ?一人暮らしをしているはずじゃ」と思わずポロリと言葉が出てしまいました。すると娘さんの口から信じられないような発言が飛び出したので、仰天してしまいました。「一人暮らしは思ったほど楽しくないのだとわかった」と言うのです。だから家に舞い戻ってきたわけなのです。こちらは、「そんな馬鹿な、せっかく親から離れるチャンスなのに」と言いたいのを必死に堪えて、「ああ、そうなの」と返すのが精一杯でした。またもや驚かされてしまったのです、隣の家の親子関係に。

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