人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

同姓同名の友

絲山さんのコラムで思い出したのは、子供の頃

 日本経済新聞に『交遊抄』というコラムが連載されていて、その日は作家の絲山秋子さんが自分の友について書いていた。タイトルは『イトヤマ会』で、こちらは、なんのこっちゃと訝ったが、よく読んでみると、3人のいとやまさんが集う会の名称だった。二人の糸山さんともう一人はご本人の絲山さんの3人で、もう10年余りも旅行に行ったりして、友だちとして付き合っていると言う。三人が集まるきっかけとなったのは、本やネットで絲山さんのことを知った二人の糸山さんが連絡をくれたのが始まりだった。正直言って、私には意外で、とても不思議だった。同姓同名と言うだけで、親近感を持って、近づいてきた人たちと付き合うだなんて、そんなことがあるだろうか。それこそ小説によくあるような展開だなあと錯覚してしまいそうになる。

 もっとも、絲山さんによると、会ってみたら、まるで以前から友達だったように感じて、一緒に居るととても楽しかった。「旅行や食べ物の話、昔の恋の話などをしていると、何時間一緒に居ても飽きることがない」らしく、大好きな人たちなのだそうだ。同姓同名という不思議な縁で結ばれた3人なのだが、実は絲山さんの場合は、絲山というのはペンネームで、母方の祖母の旧姓を使っていた。他の二人は正真正銘の本名なのだから、偶然とはいえ、出会うべきして出会う運命だったのだ。まさか、そんなことがと、どうしても第三者は思ってしまうのだが、まさに”真実は小説よりも奇なり”である。

 同姓同名というと、世間でよく聞く話は、病院で間違えられて手術されてしまったとか、と言ったロクでもない話ばかりだ。なので、同姓同名って大変なんだというイメージしか持ち合わせていなかった。そう言う場合の同姓同名は迷惑なだけで、決して歓迎されるようなものではなかったからだ。もし世の中に自分と同姓同名の人がいたとしても、それをあえて捜し出し、友好を深めたいと思うだろうか。そんなことを考えたこともなかったので、絲山さんの話には目から鱗だった。

 同姓同名で思い出したのは、子供の頃のことで、田舎の小学校のクラスには同姓同名が多かった。と言っても、クラス編成の段階で大人が面倒なことにならないようにちゃんと別のクラスになるように配慮していた。山田とか,佐藤とか、田中とかの良くある名字ではなく、地域特有の苗字の子が多かった。今では遥か昔のことで、はっきりとは思いだせないが、それでも忘れられない名前もある。それは”はっとりひとみ”という名前で、私が知っている、というか、いつも顔を合わせる女の子だった。私たちの村では朝学校に行くときに、皆で決められた場所に集まってから登校することになっていた。彼女は村の外れにある村営住宅に住んでいて、物をはっきり言う子だったので、私は彼女が怖かった。きついイメージだけが先行していたので、普段あまり話したこともなかった。

 ある日、私は忘れ物をしてしまい、家まで取りに行くように先生に言われた。当時の小学校では忘れ物をしたら、家まで走って取りに行くことが当たり前だった。気を付けてはいても、忘れ物と言うのは避けられないもので、その時も別に不安などなかった。子供の足で歩いて片道30分以上かかる道を往復すればいいだけのことと簡単に考えていた。でもその日は違った。川沿いの砂利道を家へと急いでいたら、ある女の人に声を掛けられた。「自転車に乗せてあげようか。おばさんが家まで送って行ってあげる」とその人は私の姿を見かねて声をかけてくれたのだ。おそらく親切心から言ってくれたのだろうが、「いいんです」ときっぱり断った。普段から母から「知らない人には付いて行ってはダメだよ」ときつく言われていたし、また実際に子供をさらっていく事件も起きていた。

 私があまりにも頑なに拒否するものだから、その人は「おばさんはB組のはっとりひとみちゃんのお母さんだから大丈夫だから」と説得しようとした。B組のはっとりひとみちゃん?、ああ確か隣のクラスにそんな子がいたと思うが、顔もすぐには思い浮かばなかった。間抜けな私はおばさんに「村営住宅に住んでいるはっとりひとみちゃんのお母さんなの?」と聞き返した。するとおばさんは困ったような顔をして「違うけど、B組のはっとりひとみちゃんのお母さんだから大丈夫だから安心していいよ」と畳みかけて来る。どうやら説得するのを諦めるつもりはないようだった。そんな不毛な言葉の応酬が続いたあげく、首を縦に振らない私の頑固さに嫌気がさしたのだろう。おばさんはプリプリして一瞬呆れるような目で私を見つめると、すぐに自転車に乗って行ってしまった。

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