人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ツアーでバスに置き去り

今週のお題「人生最大のピンチ」

安全安心のツアーのはずが、目を覚ましたら・・・

 私は今まで海外旅行のツアーというものは、お気楽なものだとばかり思っていた。なにしろ、すべてあなた任せで、人の後をついて行けばいいので楽ちんこの上ない。だから、特に困るようなこともないと信じていた。単独行動を慎み、添乗員に従っていれば、トラブルなど起こりようがないと固く信じていた。私と同様に叔母もそう信じて疑わなかった。ところが、以前叔母と海外旅行の話をしていたら、バスに置き去りにされたことがあると言うので仰天した。叔母にとって、あれは人生最大のピンチと言っても過言ではないという。80歳になっても、頭はしっかりしているし、気丈な叔母も、あの時だけはパニックになった。

 あれはドイツだかどこだかのツアーで、と叔母は言うのだが、そんな青天の霹靂のような体験をしたのに、はっきり覚えていないとは!?何たること!と私が指摘すると、あまりにも沢山のツアーに参加したので、どれがどれやら詳しいことは覚えていない。それまで家の仕事一筋でロクに海外旅行にも行っていなかった叔母は、夫の死後、狂ったように海外旅行に出かけた。今までの分を取り返すように1年にいくつものツアーを申し込んで、しょっちゅう海外に出かけていた。

 まだ叔母が若い頃、といっても60代だったが、ドイツの有名な古城を巡るバスツアーに参加した。叔母にはいつも一緒に行く知人がいて、その時もバスの席は隣同士だった。災難はそのバスツアーの最中に起きた。ツアーというのはたいてい朝が早い。貴重な一日をどれだけ無駄なく充実したものにするかが追及されているためだ。好奇心旺盛な叔母はもちろん朝から元気いっぱいだが、不覚にもバスの中でうとうとしてしまった。どうやら叔母は少しの間眠ってしまったらしい。目を覚ましたらバスの中で、隣にいる知人に話しかけようとしたら、その人の姿がない、寝ぼけ眼で辺りを見渡すと、何と添乗員さんも、一緒に来た人たちも誰も居なかった。その時初めて、叔母は自分がバスに置き去りにされたのだと気が付いた。右も左も分からない異国で、自分だけひとりバスの中に置き去りにされた。普通なら、その恐怖が半端ないことは想像するに難くない。

 いつも冷静な判断ができる叔母もこの状況にはパニックにならざるを得なかった。ようく考えれば、皆はどこかの古城を見学に行っているので、待っていれば戻ってくることは間違いない。だが、頭が混乱している叔母は慌てて立ち上がり、もつれる足でバスの出入り口まで行った。何としても知人のいる皆のところに行かなければとの思いで必死だった。バスを降りようとしたら、車内に運転手が残っていたらしく、その人に止められた。叔母は無理やりにでも外に出ようとしたが、「NO!」と言われて無理だった。まあ、どう考えても、その運転手の判断は正しいが、叔母は一体バスを降りてどこに行こうとしていたのか。叔母が外に出てうろうろして、ゆくえ知れずになってしまったら、それこそ大問題だ。

 見知らぬ運転手と車内で二人きりでいることに、不安と恐怖が入り混じった気持ちを抱えてひたすら待った。1時間、いや2時間くらいは待っただろうか、とにかくその時間がこの世の終わりのように感じられて長かった。無限ループに嵌ったかのような時間?が終わったのは、談笑しながら嬉しそうに帰ってきたグループの人々の気配を感じたときだった。叔母は何事もなかったような顔で、知人に尋ねた。「どうして起こしてくれなかったの?私も見学に行きたかったのに」

 すると知人は悪ぶることなく「よく寝てたから起こすのは悪いと思って・・・」と笑って答えた。内心では叔母は、だからと言って、ここは日本ではなくて、何が起こるか分からない外国なのだから、もう少し考えてよと憤慨していた。だが、眠ってしまった自分にも非があるし、このままわだかまりを持つのは良くないと考えて水に流すことにした。それにしても、こんな時に添乗員は何をしていたのか、あの後気遣いの言葉も何もなかった。そこで叔母はツアーのパンフレットにあるご意見・ご感想のページに自分がどんな目に合ったかを書いて旅行社に送り付けた。もちろん、返事などいっさい来なかったのは言うまでもない。

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