人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

目を覚ましたら、誰もいなかった?

今週のお題「ゾッとした話」

海外旅行のツアーのバスで置き去りに

 当時、私の叔母は夫を亡くし、夫の「好きなように生きろ」との遺言に従って、海外旅行三昧をしていた。もっとも、叔母が海外に行くのは、いつもツアーと決まっていて、誰かと一緒の時もあったし、ひとりの時もあった。私の海外旅行のツアーに対して持っていたイメージは、皆について行けば安心、というものだった。大人しくして、自分勝手な行動をしない限り、滅多に怖い思いなどしないとだろうと思っていた。ただ、同僚などがたまに海外ツアーに参加して、スーツケースを取られたという話も噂に聞いていた。ガイドブックでよく注意喚起される、置き引きである。自分の荷物は自分で守るというのが暗黙の了解らしく、万が一、荷物が紛失するようなことがあっても一切責任はとらないというものだった。

 そんな話を聞いて、ツアーというのもなかなか大変なんだなあと人ごとのように思っていた。どうやら皆について行けば安全安心というものでもないらしい。そう言えば、ああいったツアーの添乗員さんはひとりぐらいしかいないらしいから、全員に気を配るのはできるわけもないし、またそんな重い責任を負わされるのもかなわないだろう。とにかく人命第一で、無事ツアーに参加した人たちを日本に連れ帰るのが使命なのだから。

 新聞で海外旅行の広告を見ていると、「海外ツアー説明会」というイベントをよく見かけるが、あれもツアーに参加する心構えを顧客に一から教えるために必要なものだなのだろう。おそらく、今流行りの”自己責任”というものに、はたと気付かされて、少し緊張感を抱いてしまうこともあるだろう。それでも、個人旅行に比べたら、背負わなければならない緊張感は月とすっぽんで、羽目を外さなければ、大船に乗ったつもりでいればいいし、何も考えなくてもいいから楽ちんこの上ない、と信じて疑わなかった。

 だが、ある日電話で叔母と海外旅行の話をしていて、「バスの中で怖い思いをした」との発言に仰天した。それはバスの中で目を開けたら、周りを見渡したら、誰もいなかったというのだ。要するに、叔母は海外で何処かに見学に行くバスの中で、居眠りをしてしまったのだ。そして、はっと目を覚ましたら、自分しかいないことに気付いて、慌てまくった。いつもは気丈なあの叔母が、気が動転したのか、早くとにかく皆のところに行こうとして、バスの乗車口に飛んで行って降りようとしたのだ。当然のことながら、車内には運転手がいて、どこかに行かれたら困るので、必死に叔母を止めた。もちろん、言葉は分からなかったが、ここから出てはいけないことは態度からわかった。

 それで叔母は観念した。皆が見学から戻って来るまで、バスの中で待つしかないと諦めたというのだ。考えてみれば、見知らぬ外国でバスの中で、目を覚ましたら、一人ぼっちだったとしたら、これは明かにゾッとする事態である。でも、話を聞いているこちらとして、どうしてそんな状況になったのかが、不可解だった。叔母のその時の気持ちに共感するよりも、そこに至るまでの経緯が知りたかった。そもそも、叔母はそのツアーに知り合いと参加したのだから、当然叔母の隣りには誰かがいたはずだった。

 「隣の人はどうしたの?」と素朴な疑問を投げかけると、その知り合いに「一応は起こしたけど、起きなかったから一緒にバスで待とうとした」と言われた。だとしたら、叔母は怖い思いをしなくても済んだはずだが、この話には続きがある。その時、添乗員が声をかけてきて、「そのままにしても大丈夫、だから構わず、見学に行きましょう」と宣ったそうだ。どんな発想でそんな発言をしたのか理解に苦しむが、そんな提案に素直に従う知り合いも知り合いだが、添乗員のお墨付きも貰ったから、まあいいかとなったのか。一緒にツアーに行った知り合いの「私は心配だったんだけど、添乗員さんに言われたから仕方なく」の言葉で、一転、叔母の怒りの矛先はその知り合いではなく添乗員に向かった。旅行から帰ってきて、すぐに旅行会社に憤懣やるかたない思いを書き綴った手紙を送りつけたのだ。それにしても叔母は懲り懲りするということがない人だ。あんなことがあったにも関わらず、その後もその知り合いとツアーにたびたび参加している。その理由を尋ねると、その人がどうのこうのよりも断然好奇心の方が勝るからだという。

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