人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

白髪染めからの卒業

今週のお題「〇〇からの卒業」

f:id:mikonacolon:20210318074441j:plain

白髪染めをやめてみたら自由になれた

 先日の朝日新聞の声欄のお題『失って得たもの』の記事の中に67歳の村上ちえ子さんの投書を見つけました。そのタイトルは「白髪染めやめ 心と時間に余裕」です。還暦を過ぎて仕事を辞めたのがきっかけで、それまで習慣にしていた白髪染めをやめたというのです。でもそんなに突然に、思いきりよくやめることができるものなのか。そんな考えが一瞬頭をよぎったのですが、どうもこの方は今までずうっと疑問を抱いていたらしいのです、髪を染めることに。髪が白くなるのは年を取れば当たり前で、ごく自然なことのはず。それなのに、素のままの自分の髪を自分でみっともないと思うなんて悲しすぎる。世間は見た目を重視するのはわかっている。誰でも白髪が目立つようになると、周りから染めた方がいいよと指摘されてしまう。白髪は目障りとでも言わんばかりに煩く言われてしまうのだ。だから、他人から自分の髪のことをとやかく言われないためにも白髪染めをしてきた。つまり身だしなみとして、人に不快感を与えないように、化粧と同じような感覚で毛染めをしてきたのだ。そうすることによって、自分が嫌な思いをすることから逃れてきたことも事実なのだった。

 だが、村上さんにとって月1回の白髪染めは面倒で時間がかかるので、かなりの負担になっていた。それで、やめることにしたと宣言したら、周りの親しい友達や美容師さんには大反対された。老けて見えるからやめたほうがいいとみんな口をそろえて言うのだ。年齢に不釣り合いな見た目の若さがそんなに大事なのかと疑問に思った。自然で自分らしくありたいという気持ちが猛烈に湧いてきた。そんな中で、毛染めを辞めるのに背中を押してくれたのは母親の存在でした。自分の母親が美しい白髪なので、もしかしたら自分もと期待したら、幸運なことにピタリと当たった。先日も『髪がきれいですね。ずうっと染めていないのですか』などと同年代の知らない人に声をかけられた。その人も『染めるのをやめたいのだけれど思い切れなくて』と本音を漏らしていた。それからは思ってもみなかった白髪に関しての井戸端会議が始まって、アッという間に時間が過ぎて楽しかった。本当はコロナ禍にあっては立ち話はNGなのだけど、ついつい盛り上がってしまった。村上さんは言う、『確かに見た目の若さは失ったかもしれませんが、髪はむしろ元気になった気がします。服の色もずうっと自由に選べるようになりました。得たものは数えきれません』。

 一方で、白髪染めを続ける人にはそれなりの確固とした理由があります。私の84歳になる叔母は年金生活ではない、金銭的に余裕がある人なので月1回必ず美容院に行くのです。叔母の髪は黒々として綺麗にカールもしてあって、とてもいい感じに見えます。それに動作がとてもきびきびしていて、私なんかよりもスタスタ歩けるので感心してしまいます。もし自分が叔母の年齢になって、同じことができるかと想像すると甚だ疑問です。その叔母が外見を若く見せたい理由の一つは、年寄だと思って、自分を馬鹿にする人達がいるからだそうです。どうやら、年寄りだと損をするような目に会ったようなのです。その経験から嫌な思いをしないように、予防策としての若作りをしているのです。それでも惨めな思いをすることは避けられないようなのです。例えば、叔母はよく海外旅行のツアーに参加するのですが、そんな時、添乗員の態度に憤ることがあったそうです。その添乗員が、「その年でよく外国に行くね」と言わんばかりの蔑むような眼で自分を凝視したとか。その話を聞いた私は「まさか、考えすぎだよ」と笑ってしまったのですが、当の叔母は真剣そのものでした。

mikonacolon