人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

おまけのコレクション

今週のお題「わたしのコレクション」

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大人がやるとなんだか複雑な思いがして

 以前、会社の昼休みに同僚が、よかったら食べてと皆が取り囲むテーブルの上に小さな箱10個ほどを置いた。皆はこれはいったいと不思議そうに箱を見てみたら、それはおまけ付きの子供向けの菓子だった。箱を開けてみると、中には小さな丸いチョコレート菓子が入っていたが、かと言って大人が「美味しそう!」と手を付けるほどの物ではない。皆で眺めてはいるが、誰も食べようとはしなかった。皆はなぜこのようなものを会社に持ってきたのか、本当は聞きたかった。でもその理由を面と向かって言い出すのは憚られた。まあ、どうでもいいか、何を持ってこようと自由だし、それを食べるかどうかもこちらの自由なのだから。そんなことを内心考えていたら、率直な先輩が「こんなにたくさんどうしたの?」とあっけらかんと尋ねた。さすがに先輩だ、この人は怖いものなしで、性格がさっぱりしていて表裏が無いところが私は好きだった。

 すると相手は娘がこのお菓子についてくるおまけを集めていて、大量に買って来た。でも欲しいのはおまけで、子供だましみたいなお菓子は要らないから持ってきたのだとそれは言う。今ではおまけのコレクションは流行らないと思っていたが、もっともそれは私の勝手な考えで、その人の娘はれっきとした大人の女性だった。たしか、その時のおまけはピングーのシリーズで娘はそれをすべて集めたくてしようがないのだ。箱に何が入っているか分からないので、大量に買わなければシリーズ全部は集められない。せめて何が入っているかわかれば、食べたくもないお菓子を買わなくてもいい。だがそれでは箱を開ける楽しみ、ワクワク感は到底味わえないではないか。

 おまけを目当てに子供向けの菓子を大人買いする、これって他人が何もとやかく言うことでもないし、当人の自由だ。でも、だからと言って、要らなくなったお菓子の行きつくところが、会社の同僚のお茶菓子とは!持ってきた主は「ここに持ってくれば、きっと誰かが食べてくれる?と思って」と言いながら涼しい笑みを浮かべている。私たちは家に置いておいても邪魔になるだけのお菓子を食べてくれる救世主のような存在らしい。確かに子供なら喜んで食べただろうが、残念ながら大人の心は複雑で、皆それぞれ好みというものがあるので通用するわけがない。誰も食べた形跡はなかったが、そのうち自然とお菓子は消えていたので、もしかしたら持ってきた主がそっと家に持ち帰ったのかもしれない。

 おまけの大人買いはお金の力で、コレクションを強行すると言うか、できるだけ早く集めて満足感に浸りたいとしか思えない。その点でいうと、子供の頃のおまけのコレクションはゆっくりと時間をかけて、その過程を楽しんでいたのだと思う。そりゃそうだ、子供なんてお金を稼げないから、親に貰った少ないお金で何とかするしかない。それでも、それだからこそ自分が買ったおまけ付きのお菓子が愛おしかった。おまけと言えば、すぐに頭に浮かぶのがグリコであの小さな箱に入っているおまけが大好きだった。子供はお菓子よりおまけに魅力を感じるものだ。でもだからと言って、キャラメルなんてどうでもいいかと言ったら否である。キャラメルもおまけと同様に一粒一粒味わって食べていた。

 あの頃のおまけで一番好きだったのはピンクのハイヒールで、セルロイドの光沢が光っていて、履けやしないのだがまさに”シンデレラの靴”で私に夢を見させてくれた。それを自分の宝箱の中に入れて、時々眺めていた。子供心にも美しい物は心の栄養で、希望の光だったように思う。子供の頃はやたらとおまけがついているお菓子を欲しがった。まあ子供だから当たり前のことなのだが、大人になるとその子供心が理解できないらしい。大人はそんなものは無駄だとばっさり切り捨てる。子供の心を無視して、ちゃんとした食べ物を買いなさいなどとつまらないことを言い出す。子供はそんなに食い意地ははってはいない。いつだって何か面白そうなもの、楽しい何かを捜しているだけなのだ。

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