人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

気が付けば、また旅行の計画を

今週のお題「上半期ふりかえり」

もう行けない、と嘆いていたのに

 考えてみると、今年の1月ごろは去年行った海外旅行の余韻にまだ浸っていた。余韻と言っても、恍惚感などではなく、無残に打ちひしがれた後悔の念にどっぷりとつかっていた。信じられないような、変わり果てた光景を散々見させられて、わざわざ高いお金を払ってまで、外国に来た甲斐があったのかとさえ思った。まるで、罰ゲームのような感がある旅行だった。道理で皆海外旅行に行かないはずだと、妙に納得した。自分が見聞きしたこと、経験したことを散々ブログで愚痴ったが、結局のところは心底懲り懲りしていなかったと見える。

 パリではあんなに避けていた地下鉄に乗らざるを得なかった。要するに、パリの街を縦横無尽に走っていたバス路線が廃止になっていたせいで、他に有効な交通手段がなかったからだ。もちろん、タクシーもあるが、パリの街でそう簡単にタクシーが拾えるとは思えない。いや、実際に試してみたこともあるが、日本のようにはいかなかった。パリの地下鉄は”悪の巣窟”とばかり思っていたが、現実にはそうではなく、初心者には手ごわ過ぎた。要するに、乗り場の表示が私のような異邦人にとってはわかりにくい事この上なかった。地下鉄構内をウロウロし、誰かに聞こうと思っても、当たり前のことだが、誰に聞いたらいいのか迷う。皆忙しそうに通り過ぎるだけで、声をかけられる隙などありはしなかった。それでも、何とか親切な学生らしき女性に出会えたことは幸運だった。

 今回ショックだったことのひとつに挙げられるのは、空港からオペラ座までのバスが以前と違って、オペラ座の真ん前に止まらなかったことだ。バスから降りた途端、ここはどこ?である。今自分がどこにいるのかさえ分からず、暫し呆然と立ち尽くした。いつまでもそうもしていられない。頭上を見上げ、辺りを見渡して、オペラ座レリーフを探した。すると、あった、あった。目の前にある大通りを挟んだ通りの向こうにオベラ座の象徴のようなレリーフが輝いていた。ようやくホッとして、一目散に走りだした。

 その次に挙げられるのは、白タクに危く騙されそうになったことだった。駅前にずらっと並んでいるタクシーがすべて白タクだと分かったときは仰天した。正規の料金が2,3千円くらいの場所であっても彼らは一万円以上を要求する。最初何も知らなかった私は、なぜ皆が誰一人乗らないのか、不思議でならなかった。こんなことになるのも、日本と違ってタクシー乗り場が駅の真ん前にないからだし、また「あったらいいのに」といつも思う交番という便利なものがないからだ。不慣れな場所でタクシーの存在がどれほどありがたいか身に染みている私にとっては、まさに不測の事態だった。そうなると、頼れるものは我が身だけで、一か八か、清水の舞台から飛び下りたつもりで、地下鉄に乗ってみると言う選択肢を試すしかなかった。

 日本では到底信じられないだろうが、地下鉄の駅に行き、さあ切符を買おうと思っても券売機がどこにもないことがある。万事休すである。幸い私は4年前に買った回数券の綴りを持っていたので、それで乗れたが、現在ではカルネというその回数券の綴りは販売停止になっている。なんとも嘆かわしいことだ。特筆すべきは、お金も、クレジットカードも持っているのに、切符が買えないことだ。要するに、現金は小銭しか使えないと言う、何とも理不尽なシステムになっている。日本のクレジットカードはなぜか使えなかった。自由にどこにでも行きたい。なのに切符が簡単には買えないことは外国人にとって大きな障壁であることに変わりはない。そうなると、どうしてもパリに行きたければ、カード会社に相談してみるしかないだろう。どうやら世界はキャッシュレスが物凄いスピードで進みつつあるようだ。だが、現実に外国人がICカードを作るとなると、ハードルが高そうだ。

 また愚痴に似たようなことを書いてしまったが、結局今年も海外旅行に行くつもりである。つもりというのは、すでに、航空券もホテルも予約済みで、あとは中身だけが決まっていないという状況である。

mikonacolon