人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

誰も幸せにならないという予感

「silent」は最終回で一気に予想を覆した

 初回からドラマ「silent」を見てきて、正直退屈な時もあったし、どうしてそうなるのと疑問に思うことも多々あった。新聞やネットで話題になったように、登場人物の気持ちを丁寧に描きすぎていて、イライラすることもあった。どの回も既存のドラマと違って時間がゆっくりと流れていた。興味津々だったのは、青葉紬と佐倉想の物語をどう終わらせるかで、そのせいで最後まで見てしまった。脚本が賞を取ったからということで、どこかいいところがあるに違いないとか、あるいはそのいい所を探しながら見ていた。最終回は想像を覆すほど嘘のように明るいシーンが多くて愕然とした。今まで闇の中に居たはずの佐倉想がなんと微笑んでいて、なんだか幸せそうだった。一体全体何がどうなったのか、さっぱりわからなかった。

 佐倉想をこれほどまでに変えたのは何なのか、会えば苦しいからもう会わないと言っていたではないかと聞きたいくらいだった。その点において、最終回はあっと驚く急展開の様相を帯びていた。これも青葉紬の自分を思う気持ちに応えた形での幕切れなのか。二人の関係に今まで暗雲が漂っていたのに、一気に晴れて青空になったのでこちらは慌てふためいた。佐倉想が青葉紬のおかげでようやく光の中へと一歩踏み出したようだ。想が行きたいところがあると言って紬を高校の体育館に連れて行く。高校生の頃檀上で自分が書いた作文を朗読する想を誰かがじっと見つめているのを感じた。皆退屈していて早く終わればいいのにと思っている中でその子の視線は自分に向いていた。その子は青葉紬で、その頃まだ名前も知らなかったが、ずうっと心に残っていた。懐かしい思い出の場所で話をするうちに、これで最後になると思いきや、一転、想の口から前向きなひとことが飛び出した。「それでも、今は一緒に居たい」。それは”とりあえず”のことだろうが、後先考えない事だろうが、想の偽らざる正直な気持ちに他ならない。

 どうしてもわからないのは、奈々さんと手話教室の春尾先生との関係だ。二人が知り会ったのも8年前で、聾者とボランティアの大学生という出会いだった。奈々さんの大学の授業を筆記して手助けするバイトをしていた春尾先生は、本格的に手話を習おうとする。その理由は自分が手話を身に着けた方がより相手を理解できるからだった。もっと聾者との意志疎通をスムーズにしたいと考えた春尾先生は、友だちを誘って手話同好会も作った。それが奈々さんの逆鱗に触れてしまった。奈々さん曰く、「手話はお遊びじゃないし、私たちは可哀そうな人たちなんかじゃない。聾者を馬鹿にするにもほどがある」と。それ以来、奈々さんと春尾先生は絶縁していたが、偶然にも再会を果たした。

 奈々さんは見た目は清楚だが、実は相当に頑固な人なのだ。あくまで私の勝手な想像だが、春尾先生は奈々さんのことが好きで、それでもっと話したくて、わかり合いたいくて、そのために手話を勉強したいのだとばかり思っていた。だが、私の予想は外れた。春尾先生は奈々さんのことをそんなふうに女性として意識したことは一度もない!?などと実に残念なことを言うのだった。かと言って春尾先生にとって奈々さんは友人でもなく、ただの知り合いで、でも手話を仕事にするきっかけになった人であることは間違いない。また当の奈々さんも春尾先生に恋愛感情など抱いてはいなかった。久しぶりに再会しても、焼け木杭に火が付くわけもない。以前燃え上がったわけでもないから、燃えカスもないので火もつかない。要するにこのドラマにはあちらこちらで恋が芽生える隙がないらしい。

 そんな中で唯一ほんわり暖かいのが佐倉想と青葉紬のいるフィールドだったが、そこさえもどうなるかわかったものではなかった。だが、最終回でひとまず落ち着くところに落ち着いてホッとしたというのが正直な感想だ。ドラマの途中、ドキッとするセリフはすべてメモしながら見ていた。ドラマの終了後は余裕が出たのか、もし自分が中途失調者になったらどうするだろうかと考えるようになった。

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