人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ひとり○○

 

朝日新聞連載の「サザエさんをさがして」から。

 先日の朝日新聞の土曜版に載っていたのはひとり○○の漫画で、なんと焼鳥屋の屋台にまで、個室が出現した。「サザエさんをさがして」と題したコラムで1968年に長谷川町子さんが当時を風刺して書いた漫画が載せてある。今でこそ、ひとり○○は人々の支持を得ているが、当時としては「それって何?」でありえないことだった。だいたいが屋台に一人で来るのは見知らぬ誰かと話したいからではないか、などと勘繰ってしまうのはステレオタイプな考え方だ。屋台でだって、ひとりで誰にも邪魔されずに飲みたいと思う人だっているかもしれない。だから、漫画にあるような仕切りの箱が作られたと言うわけだ。一目見て、吹き出しそうになったが、ある意味人間の心の奥底を突いているなあと感心する。コラムにも「人間が孤独を愛するのは今も昔も変わらない」と冒頭に書かれている。

 ひと昔前にブックカフェが流行ったことがあった。私のお気に入りの店は飲み物を何か一品頼めば、時間制限なしでいられた。席はボックスで仕切られていて、それぞれ二人ぐらいで利用できるスペースがあった。そこの何が一番気に入っていたかと言うと、熱帯魚の水槽が置かれていたり、鉢植えが置かれていたりして、目のまえの植物や魚を眺めてぼんやりしていられることだ。もちろん勉強でも、読書でも何をしてもいいのだが、おしゃべりだけは禁止だった。そこへはいつも友達と一緒に行ったが、目的はお茶を飲みながらグッピーネオンテトラを眺めることだった。ソファにもたれて、楽な姿勢で水槽を眺めるなんてめったにできることではない。ただ魚の動きを目で追うだけの無の時間が心地よかった。店は午後からしか開かないので、それまではドトールか何かでお昼を食べて待っていた。

 ある日、いつものように熱帯魚の水槽を眺めていたら、隣の席にスーツ姿の大柄の男性が座った。だが彼は座った途端、テーブルに突っ伏して顔を伏せた。そのままビクとも動かず寝てしまったようだった。せっかく目の前に水槽があるのにと自分勝手なことしか思えなかったが、彼はあの時すごく疲れていたのが私にも見て取れた。幸いこのブックカフェは店内が植物で溢れていて、それらが目隠しになっているためか、誰が何をして居るかなんてわかりはしない。彼にとっては安心して休める空間なのだろう。ただ、悲しいことに、彼にとっては椅子とテーブルの隙間が狭すぎて窮屈だったに違いない。それでも彼はおそらく仮眠をとるのはここしかないと考えてこの席に座ったのだろう、南側の一番奥にある落ち着ける空間に。

 人が疲れて少し休憩したいとき、そんなときはカフェなんかじゃダメなようだ。ガラーンとした開放的な空間では、人はテーブルに突っ伏して眠り込むなんてことはできそうもない。もう今ではカフェに行ってもお尻がむずむずして、ソワソワしっぱなしの私は正直落ち着いて座っていることすらできない。それに気が付いてみたら、ブックカフェにずいぶん行っていない、というか、コロナが流行る前ですらもうその存在を忘れていたのだ。なぜ行かなくなったのか、それは単純な理由で、沈黙に耐えられなくなったからだ。友だちとのひそひそ話に疲れてしまった私はそれ以来行かなくなった。ああいう場所は本来一人で行くものなのだ。

 私が好きだった「ひとり○○」はデニーズの冬の特別メニューの女性向けの鍋だった。当時はコラーゲン鍋とか美人鍋とか美肌になるための素材がたっぷり入っている鍋物が人気だった。友だちと一緒に行って、それぞれ味が違うものを注文し、自分勝手に好きなように食べるのが楽しかった。ひとりではないけれど、ひとり○○を食べるのが流行っていた。現在では、時代の流れなのか、ひとり焼肉とかひとりすき焼きとかを正々堂々と食べられる世の中になった。ただそれを実行するかどうかは別の問題で、まだ私には積極的に食べようとする勇気はでない。

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