人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

あんなに落ち着ける場所を探していたのに

今週のお題ビフォーアフター

自分の部屋がコージーコーナーだと気付いた

 コロナ禍も3年目になると、自分でも信じられない変化が私の中に起こって、正直戸惑っている。以前はというか、今まで私の中では自分の部屋は何かに熱中するとか、集中して物事をやるには落ち着かない場所だった。何しろあちらこちらに物がありすぎて、それが目に付いて集中できないでそわそわしてしまう。ここぞという時に一点に集中するには甚だ不便な部屋だった。考え事をしようと思ってもついつい注意散漫になってしまい、ホテルのように何もないまっさらな部屋だったら、どんなにいいだろうかと思っていた。

 事実、海外旅行に行って泊まるホテルは必要最低限のものがあるだけで、とても落ち着けて大好きだった。そもそもホテルは脱日常空間なのだから当たり前のことで、それを自分の部屋に求める方がどうかしているのだ。それで、私は自分だけのコージーコーナー、つまりくつろげる空間を外に求めることにした。要するに、いい感じのカフェを捜し、そこで一番落ち着けて、いつまでも居られる席を発掘することに精を出した。

 だが、これが意外と難しい。端っこの席は一見落ち着けそうだが、空調の冷たい風がまともに当たって、夏でも冬でも震え上がって、何度か席替えをする始末だった。それに夏は冷房が苦手なので、身体が冷え切ってしまい、長くはいられない。冬は暖房があまり効いていないのか、寒くて落ち着かなくて敢え無く退散する羽目になった。そうするうちに私はあることを学んだ。天井にある空調の吹き出し口に注目するようになり、そこから出る風に夏は当たらない席を選び、冬は逆にまともに当たる方が暖かいことを知ったのだ。それでも失敗することもあって、日々カフェで挑戦と探求の日々を送っていた。その頃のことを思い出すと、ずいぶん馬鹿げたことをやっていたなあと思うのだが、いやはや当時の私はあくまで真剣そのものだった。

 何かの雑誌に載っていた、外に自分だけのお気に入りの場所が3つぐらいあれば、人生が楽しくなる、という名言!?を信じていたし、またそうできれば理想だと考えていた。もっとも”言うは易く行うは難し”で現実はなにかと問題が発生する。運よくそんな場所が見つかったとしても、あくまでも他人が大勢いる空間のほんの一角に過ぎない。なので、店が空いている時は至上だが、混んでくると他人の動向に左右されることが多くなる。隣の席の人がやたら貧乏ゆすりをしたり、あるいは信じられないことに鼻くそをほじくったりして、いつまでたってもやめてくれなかったりする。また、足を組むのはカラスの勝手だが、どうして靴の裏を私の目の前に向けるのか気になって仕方がない。その圧力でもう少しで「あのう、悪いんですけど、やめてもらえませんか」と言いそうになって、堪らず他の席に移ることになった。

 それから、カフェで英語やフランス語、スペイン語のレッスンをする人が流行っていて、人の話し声だけならそうは気にならない。でも時にはその言語のテープを延々と流す!?人も居て、あれは騒音以外の何ものでもないと閉口したことがある。私もそうだが、普通はイヤホンで皆自分の音が外に漏れないようにしているのに・・・。本人は気づいていないのだろうが、注意することもできないので、自分の世界に入るしか対処法はなさそうだった。だが、あれだけは耐えられなかった、「あれ」とは電卓を機関銃のように激しく叩く音で、さすがに皆恐れをなして逃げ出していた。たとえ、その人のすぐ隣に座っていなくても、ギョッとする衝撃がカフェの空間を襲った。おそらく会計士の試験の勉強でもしていて、必死なのは理解できるが、迷惑だからやめてもらいたい。

 私の切なる願いが届いたのか、あるいは周りの反応を敏感に察知したのか、いつしかその人はもうカフェに来なくなった。私のお気に入りのカフェはひとりのお客さんが多くて、ほとんどの人が皆自分の世界に入り込んでいた。店の中は至って静かで落ち着いた空間だった。だが、コロナが流行り出して状況は一変した。感染を避けるためにカフェに行けなくなり、悶々と自分の部屋で過ごすしかなくなった。

 ところが、今の私は自分の部屋が大好きで、一番落ち着ける場所になった。何ということなのだろう、これは青天の霹靂とも言うべき事態だ。最初は泣く泣く諦めて、絶対カフェでなくてはダメなのに・・・と歎いていたのに。その気持ちが少しずつ少しずつ柔らいでいって、最後には「そんなことないじゃない」と改めて自分の部屋の良さに気づけたのか。まあ、そんなところだ。信じられないことに、最近の私はカフェに何かの用事の時に立ち寄ると、お尻がむずむずして落ち着かなくなる。早く帰りたくなるのだ。

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