人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

アンという名の少女2

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▲”天空の鏡”と呼ばれるウユニ湖の絶景。NHKまいにちスペイン語テキストから。

日本のドラマと違って、毎回新たな発見があって

 去年NHKで放送されていた英国のBBCのドラマ「アンという名の少女」の続編が始まりました。今回のエピソードも毎回驚きと発見の連続です。この間ドラマを見始めたら、冒頭から学校の昼休みにアンがクラスの女の子たちと何やら盛り上がっている場面が出てきました。あんなに楽しそうにいったい何をしているのかと思ったら、なんとそれぞれが唇を突き出してキスをするときの真似をしていたんです。アンの親友のダイアナが目を閉じてやってみせると、「あなたの唇はまるでとろけるバターのようだわ」とアンは絶賛するのでした。アンは14歳の女の子で、日本でいうなら中学生で思春期真っ盛りです。

 でも、キスするときの自分を想像して、それが楽しくて可笑しくてしょうがないだなんてことは、日本人の私たちにはありえないことです。これはもう明らかに文化の違いで、彼女たちにとってはキスがあいさつ程度の行為に過ぎないからなのです。日本人にとってはキスは特別なことで、やたらにするものではないからです。さらに驚かされたのは、学校の昼休みに、男女ともに丸く円を書いたように座り、何をしているのかと思ったら、キスをするゲームでした。全員の中から、誰かひとりを選び、その子が瓶を回すのです。その瓶が止まって、瓶の口が向いていたところに居た子がその子にキスをするというルールです。こんな遊びをしているのを見たら、日本なら親が腰を抜かして椅子からひっくり返りそうです。

 「貴方たちはなんてことをしているの!」なんて怒られそうですが、もちろん日本の中学生はそんな遊びはするわけありません。それに、キスが挨拶程度のことなのですから、ゲームでキスしたとしても、それっきりで深い意味などありません。何かのドラマみたいに、キスしたら、お互いに意識してしまって、恋愛関係になってしまうと言う展開になる、なんてことはあり得ないのです。誰かとキスすることはそんなに大したことじゃない、というのが羨ましいような気がしてきました。キスで心が動くと言うことはなく、何かが変わるわけでもなく、今日が変わるわけでもない、というそんな不思議な世界を体験しました。

 それから、もうひとつ、日本の学校ではありえない場面も出てきました。それは先生が生徒、それもアンとたいして年が変わらない女子生徒と恋愛関係にあることでした。確かに先生は髭を生やしてはいるのですが、見たところまだお若い男性です。美しい少女から慕われれば気持ちが動くのは当然です。その先生が教室の隣にある準備室みたいな小さな部屋で、二人で抱き合ってキスをしているのです。その姿に一瞬仰天してしまいましたが、よく見ると、窓の陰からアンたち女の子が目を輝かせながら、二人をじっと見つめていたんです。好奇心でランランとした眼で、ニヤニヤしながら観察しているのを見ていたら、思わず笑いが止まらなくなってしまいました。

 アンは感受性が豊かで賢い女の子なので、平凡な私などの想像が及ばない行動にでることがあります。義理の父にあたる、と言ってもマシューと呼んでいて、父というより友達のような関係なのですが、そのマシューを思いやるあまりとんでもない行動に出てしまうのです。それは”ラブレター”の代筆、つまり、マシューがなかなか返事を書かないので、自分が仲を取り持とうと考えたのです。本人が何も知らないのに、勝手に返事を書いて相手に送ってしまいます。でも相手は文面が少しおかしいとは思いながらも、自分の気持ちが受け入れられたと誤解してしまうのです。

 マシューに静かに「お前のしたことは間違っている」と窘められて、アンは自己嫌悪で穴があったら入りたい気持ちになりました。マシューは自分を決して許してはくれないだろうと絶望したのですが、それはとんだ勘違いでした。マシューにとって今は手紙の相手よりもアンの方が大事なのだとわかって、アンは大喜びでした。このドラマは次にはいったい何が起こるのだろうと、日曜日の夜が来るのが待ち遠しくなる数少ないドラマのひとつと言えます。

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