人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

彼女が野菜を作らないわけ

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パリオペラ座の天井のシャガールの絵。NHKまいにちフランス語テキストから。

野菜を作らないのにはちゃんとした理由があって

 昨日実家のお嫁さんのミチコさんに電話をしてみました。お盆に一目ぼれしたちび猫のことが気になったからです。あれから元気にしているだろうか、もうチビではなくなって身体も大きくなったかなあ、などとあれこれ思っていたら、そうだ、電話で聞いてみようとスマホに手が伸びました。ちび猫はチビのままなのですが、以前よりも横着になり、先輩猫の真似をしたがります。血はつながっていなくても、兄ちゃんのやる通りどこにでも登るので、飼い主はハラハラドキドキの毎日を送っているのです。一応メスなのですが、あまりにもやんちゃすぎるので、時々いじめたくなるそうです。もちろん、手加減してからかう程度なのですが、知らない人が見たら、「絶対虐待していると思う」とミチコさんは言うのでした。

 ついでにミチコさんに、普通のトマトとミニトマトではどちらが栄養があると思うか、聞いてみました。すると、そんなこと考えたこともないなどという呆れた答えしか返ってきません。どうやら、そんな余計なことを考えながら食べ物を食べるということはミチコさんの辞書にはないらしいのです。何も考えずにただ食べることだけに集中する、う~ん、言われてみれば、ミチコさんらしいお気楽な性格が滲み出ている答えでした。私が最近の野菜の新常識では、ミニトマトらしいよと教えてあげると、「ミニトマトならご近所からよく貰うよ」と嬉しそうに言うのです。

 ミチコさんが住んでいるのは田舎なので、昔ながらの近所付き合いがあります。でも私の同僚の故郷のように息苦しい雰囲気はありません。例えば、コロナが流行っている時に親戚が来ていることが知れたら非難されるとか、そんな厳しさはなく、もっと穏やかな雰囲気です。ご近所では野菜を作っている家、つまり、農業をやっていると言うより、ちょっとした自家菜園で自分の家で食べる分だけを作っている人が多いそうです。ミニトマトもいろんなところから貰うのですが、ミチコさんの家のすぐ前にある家のものが、甘くて美味しいのだそうです。普通、ミニトマトは甘酸っぱいと言うより、あれは酸っぱいと言う方がイメージに合っています。ミチコさんはできれば前の家の人に「 美味しいから、もっとちょうだい!」と言いたいのですが、そんなことは言えないのです。天真爛漫で、あまり人の目を気にしない性格のミチコさんでも、たいして親しくもない前のお嫁さんにはできないのです。

 それなら、庭もあるのだから、「自分で作ればいいんじゃない」と軽く提案してみました。そしたら、あんなに甘くて美味しいミニトマトを作るには、お金も手間もかかるから無理だと却下されてしまいました。発泡スチロールとか、プランターなんかで栽培するのではなく、土からこだわって、もちろん肥料だっていい物を選んで作っている、だからこそ他の人とは味が違う、つまり一線を画しているのだと言いたいのです。確かに前の家の人は自分の家の庭にちょっとした菜園を作っていて、そこで様々な野菜を作っています。それこそ昨日のブログの俳句、三重県の前田まきほさんの ”盛り付けの 最後は庭の トマトかな” の光景が目に浮かんでくるような生活です。

 考えてみると、スーパーでお金を払って買って来なければ食べられない生活は、なんだか頼りない気がします。店が閉まってしまったら、にっちもさっちもならなくてひどく不安になることは目に見えているからです。まだそんな危機的状況になったことがないから、ノホホンとしていられるのです。

 ミチコさんはミニトマトと同様に他の野菜もご近所から頂くことが多いです。それはキュウリとかゴーヤとかで、でも一人暮らしなので食べきれません。そんなときは自分が通っている接骨院に持って行き、受付の人や看護婦さんにお裾分けするのでした。お裾分けのお返しはたいてい、料理好きなミチコさんが作る惣菜です。人と話をすることで、料理をすることで、ミチコさんの頭は活発に動くので、まだまだボケてる暇はありません。

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