人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

『生殖記』を読み終えて

面白かった?と聞かれても返答に困る

 朝井リョウさんの小説『生殖記』が7月3日で新聞連載を終えた。連載前の著者のコメントで、「おそらく、これまでとは違って、より自由で、想像もできないようなものになるはずです」と言っていたのを思い出した。読み終えて、まさにその言葉通り、風変わりな小説で、斬新な試みだったなあと思う。この小説のテーマは、いま最もクローズアップされているLGBTQ(性的少数者)に関することで、主人公は尚成( しょうせい)君という30歳くらいの青年だ。実はこの尚成君は子供の頃、すでに自分が周りにいるほとんどの個体とは違っていることに気が付いていた。子供ながらも、本当のことを言ったらまずいのではという考えから、これまでずうっとそのことを隠し続けていた。今まで他人にそのことを悟られないようにずうっと警戒して生きて来た。経済的基盤を確保するために、ある企業に就職し、総務部のスタッフとして卒なく仕事をこなしていた。

 断わっておくが、尚成君には新卒の大部分の個体とは違って、朝井さんの言葉を借りれば、自ら「進歩、拡大、発展」して、会社に貢献しようなどという野望は皆無だった。入社して、10年余りたった現在でもそのスタンスは何も変わってはいない。尚成君の望みはただひとつ、世の中において、異分子のような存在の自分がひっそりと生きることだった。自分が今国会でさえも審議されている議題のLGBTQの当事者であることを他人に悟られることなく、社会に溶け込んで生きることが最大の願いだった。もちろん尚成君はスマートに仕事をこなすので、何も問題がない。ただ、上司との面談で「今の職場で何か改善すべきことはあるだろうか」などと、独創的な話題をふられると、甚だ困るのだ。小説の中のこういった場面では、『尚成は、そんなことどうでもいいんです』と、語り手である、生殖器に住みついている?”私”が本人に代わって説明してくれる。

 そう、何がとんでもないかって、この小説の語り手は目には見えない”私”であり、主人公である尚成君があまり活動的ではないので、実体のないこの”私”が小説の大部分のパートを担当している。思えば、昨今は俄かに国際基準に迫ろうと努力する事態になっていて、新聞にも毎日のように”認知症やLGBTQの方を理解しましょう”などという啓蒙活動のようなフレーズが載っている。そう言えば、以前、LGBTQの推進運動の指導者と思われる国会議員の「隣に住んでいたら、ちょっと気持ちが悪い」などと言う失言もあった。誰も聞いていない所でこそっというのは自由だが、公の場でつい本音が出てしまったのはいくら何でも忌々しき事態だ、と誰もが思う。

 さて、上司にさらなる飛躍、というか、もっと有効的な意見を求められた尚成君は、「特にないですね」などと言ってしまう。すると、上司は「君っていつも・・・」と言いかけるのだが、何かに気付いて、言うのをやめる。要するに、パワハラはまずいとそう思ったのだ。おそらく、仕事に対する熱意が感じられないだのとか、言われたことしかやらないとかと言ったことを指摘したかったのだろうが、今の世の中ではそれさえもタブーなのだろう。おかげで、尚成君は、すぐに無罪放免になった。社会に浸透したハラスメントに対する厳しいルールが、彼を窮地から救ってくれたのだ。

 尚成君について、どうしてもわからないことがある。それは彼が他人と繋がる努力を積極的にしないことだ。彼はパートナーを求めているわけでもない。でも一人ぼっちではない。それは入社以来、会社の独身寮に住み続けていて、同期の仲間もいるからだ。それに彼はよく人から「あなたは他の人とは違って、何も言わずに話を聞いてくれる」と言われて、とても感謝されている。本人にしてみれば、他人のことなど、別にどうでもいいから、ただ相手の言うことを聞き流しているだけなのに。それくらい、この世の中において、ただ黙って自分の話を聞いてくれる人はいそうでいないものらしい。

 でも、尚成君の意識は、話を聞いている間も自分の世界に飛んでいて、相手の話をほとんど聞いていない。でも、大丈夫、相手は何も意見など求めてはいないのだから。話終えて、すっきりしたのか、「今日は長々と話を聞いてくれてありがとう」などと言われて、困惑するのがいつものことだ。はっきり言って、尚成君の生き方を到底理解することはできないが、面白かった?と人に聞かれたら、「今までとは違った新しい世界を見たいのなら読む価値はある」とでも言っておこう。

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