人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

叔母の突然の死

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お盆に会うはずが会えなくて、永遠のお別れに

 食道がんになった叔母は放射線治療のために病院に入院していました。メールでやりとりして、お盆には会おうと約束していました。でも予定よりも早く家に帰ってきたと言うので、良くなっているのだろうとばかり思っていました。叔母が地元の有名な鰻屋に食べに行こうと誘うので、驚いてしまいました。退院したばかりの人が果たしてそんなに食べられるのかと戸惑ってしまったのです。食べ物が食べられないから入院して点滴を受けていたからなのですが、体力の問題もありました。コロナで誰にも会えず、また病院内を動き回ることもできなくて、相当精神的にも参っていたはずです。好きな新聞も読めなくて、仕方がないので夏目漱石の文庫本を買ってきてもらって読んでいました。病院では栄養士さんにいろいろ気遣って貰ったおかげで、以前よりは食べられるようになって本人も喜んでいたのです。

 でもお盆が近づくと、本人から電話で「具合が悪いので、もう会うのはやめにしたい」と元気のないか細い声で連絡がありました。「食べ物が美味しい」と舞い上がっていたのは最初の2~3日ですぐに具合が悪くなってしまいました。それでも家にいたかったのでしょう、なかなか病院に戻ろうとはしませんでした。親戚の医者をしている甥っ子が救急車を呼んでくれたので病院に行きましたが、まさか二度と家に帰れないとは夢にも思わなかったはずです。叔母の肺には水が溜まっていて、それで苦しくて堪らなかったのです。なんと3リットルにも及ぶ量の水で、それを抜いてもらったら家に戻るつもりでした。本人も家族も「もうこれで終わり」だなんて思いもよらなかったので、病院からの突然の電話には驚愕しました。

 食道がんということで覚悟はしていましたが、まだその時ではないと思っていたからです。いきなりの訃報の電話に呆然としてしまいました。後から知ったのですが、叔母の退院が早まった背景にはコロナの影響がありました。コロナ患者の受け入れのために病棟を空けたかった病院側に「早く出て行ってください」と言われたのでした。家族が点滴の針を抜いていきなり退院では心配なので、1週間ほど様子を見るために置いて欲しいと頼んだのに却下されてしまいました。それほどコロナ患者のために一般病棟は狭められているという現実を知りました。これではコロナ患者でなくても、助かる命も助からりません。そんな厳しい状況の中に生きているのだということを、身をもって感じた出来事でした。

 今年のお正月に叔母に会ったっきりで、あっけなく叔母は旅立ってしまいました。元気で明るく颯爽としていた叔母にしては、あまりにも「らしくない最後」なのではと正直思いました。でも死ぬのにその人らしい死に方なんて存在しないのではとも思うのです。普段の叔母の言動はまるで100歳まで生きるかのような勢いがありました。でも実際はまだ早いのに天国に行ってしまいました。まだお別れの挨拶も何もしていないのに「お先にね」なんて感じで旅立ってしまいました。コロナの影響は知らないうちに私たちの生活に思いもよらないところで忍び寄って来て、コロナに感染しないから関係ないでは済まされないのです。今更ながら、どんな元気な人でも「人は必ず死ぬのだ」という事実を突き付けられて、少し死ぬのが怖くなりました。

 告別式が終わって故人とお別れをした後、火葬場に行きました。その火葬場が今まで見たこともないほど立派だったので仰天してしまいました。マイクロバスを降りて建物を見たら、まるでどこかのおしゃれなホテルのような雰囲気です。私たちの焼き場の番号は19番でしたがその数字は30番までありました。家族は1時間半ほど部屋で待つのですが、そこには番号が振ってあってホテルの客室のようになっています。火葬場に居るのだということをしばし忘れてしまいそうになりました。

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