人生は旅

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コロナ禍で地下の店は大丈夫?

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▲雨の中でもちゃんと可愛い花が咲いていました。世の中の大変さとは関係なく自然があるがままなのが嬉しいです。

地下の店はつぶれてしまう運命?

 昨日の朝いつものように散歩していると、何やら荷物を地下から運び出している人達を見ました。よ~く見てみるとそれはコンクリートの塊でした。彼らは次々と廃材のようなものをトラックに積み込んでいたのです。たしか狭い階段を降りて行くと地下に人気のレストランがあったはずです。「もしかして閉店したの?」と半信半疑でした。店の玄関のドアに歓送迎会などで貸し切りと書かれた紙がよく貼ってありました。自分では行ったことがないので店の中がどうなっていたかは分かりません。コロナのせいでお客さんが来ないので閉店してしまったのでしょうか。地下の店は換気ができないのでお客さんに敬遠されたのか、あるいは休業要請のせいで持ちこたえられなかったのか、真相はわかりません。

 今朝店の前を通ったらやはり店の看板は取り外されていて、そこにレストランがあったという痕跡さえ消えていました。またひとつ街から飲食店が無くなってしまいました。人気があるなしにかかわらずこんなにも突然に閉店に追い込まれてしまうのですね。不要不急のもの!?はだんだん消えていく運命にあるのでしょうか。ささやかな楽しみを奪われた、そんな世界でも生きていかなければならない大変な時代になったものです。これってまさにコロナと共存する社会と言えるのかもしれません。でも、もしかしたら今はまだ物語の序章で想像もつかない本編が待っているのかも、なんて考えたくもありませんが。

 そういえば、都心に行きつけの有名コーヒーチェーン店があり、その店は地下1階にあってとても繁盛していました。もう3か月も行っていないので様子が分からないのですが、コロナ禍の中では地下の店は大丈夫なのでしょうか。つまり利用しても問題ないのか、あるいは感染のリスクをさけるためには控えたほうがいいのか、よくわかりません。その辺のところを具体的に教えてもらわないと、怖くて行けそうにありません。席を1.5m空けて座るとか、頭の位置の高さまである仕切り板を設置して飛沫が飛び散るのを防げばリスクは減らせるそうです。さらに地下の店には特に換気に気を付けて営業をするように注意を促す程度です。新聞でもテレビでも本当のことを教えてはくれません。

これからは「考えて動く」

 だから松岡修造さんのように「考えて動く」しかありません。他人の行動をとやかく言えない雰囲気がある中でそれを実践するのは"言うは易く行うは難し"です。時には人につられて動かざるを得ない時もあると思います。「そんなに怖がっていてどうする、大丈夫だから」と言われてしまうと、自分がただの頑固者にしか思えなくなってしまうのです。コロナに対する考え方の違いは人間関係にも少なからず影響を及ぼしかねないのです。皮肉なことに、感染リスクを恐れていては経済をコロナ以前に戻すことはできないのだと悟りました。見えないウイルスがいたとしても万全の備えがあれば大丈夫だから勇敢に?行動してくださいと暗に言われているようなものです。

 県をまたぐ移動が解除になったらすぐに行動する素直な人?がいなければ、この国の経済は回って行かないのも事実なのです。「まだ早すぎなのでは?」と戸惑いを隠せない臆病者の私などはただ傍観するしかありません。どうやらコロナと共存する社会とは、感染のリスクに怯えながらも普通に生活せざるを得ない社会のようです。何があってもすべて自己責任なので、なおさら自分で「考えて動く」姿勢を貫かないと後悔しそうなのです。

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