人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

牛肉の憂鬱

今週のお題「肉」

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▲スペインのサマランカ大学のファザード。NHKまいにちスペイン語テキストから。

牛肉は大好きなのですが、いろいろと問題があって

 お肉の中で一番好きなのは何と言っても牛肉です。子供の頃、お盆やお正月にみんなで集まったときは必ずすき焼きをしました。円い鉄なべに白いラードの塊を箸でクルクル回して溶かしたら、まず牛肉、あの赤茶色をした脂のぴらぴらが付いたお肉を入れます。見るからに美味しそうなので、生唾を飲み込んで肉から目を離さないようにじっと見つめていたのです。次に白滝や、焼き豆腐、ネギなどの野菜を入れて、醤油、砂糖、で味付けをします。時にはビールを入れたときもありました。材料が煮えて、「もう食べていいよ」と言われたら、皆で牛肉の奪い合いになります。この時とばかりにいい肉を買って来たはずですから、その美味しい事と言ったらありません。ひとときの幸せを味わったものです。

 皆がもう満足した後のすき焼きの鍋の中はネギとか白滝とかの残り物でいっぱいです。おそらく、翌日は朝からすき焼きの残骸が食卓に並ぶはずです。母がよく味が染みていてごはんにとても合うなどと言っていましたが、子供のとっては美味しいだなんてとても思えない代物でした。ほとんど野菜だらけの残り物が美味しいだなんてありえませんでした。その頃は牛肉がお腹一杯食べられたらなあ、などと本気で考えていたのです。それくらい牛肉は憧れの存在でした。

 さて、大人になって世の中の事がだんだんとわかってくると、美味しい牛肉は値段がものすごく高いのに仰天しました。近所のスーパーに行って、国産の牛肉の棚を見たらため息が出ました。とても気軽に食べられる値段ではありません。やはり牛肉というのは特別な時しか食べられないものなのだと痛感したのです。食費の節約という面では牛肉を買うなんて無理なのだと思いました。でも、実際に料理をしてみると、おかずによってはどうしても豚肉では美味しくないというか、物足りなくなることがあります。淡白な豚肉にはない、濃くというか、適度な脂っぽさがあった方が味が良くなるのです。そんなとき手に入らない牛肉が無性に恋しくなります。だから、誰かの誕生日とか、何かいいことがあったときだけ、ほんの少し牛肉を買っておかずを作っていました。

 牛肉がもう少し安く手に入ったらいいのにといつも考えていました。そんなとき新聞に都心のスーパーのチラシが入っているのを見つけました。牛肉の激安セールの文字に惹きつけられて、試しに行ってみることにしました。そこはビルの地下1階にある店でしたが、なんと地下街に通じていて、周りには衣料品の店や靴屋さんなどの様々な店が並んでいました。そのスーパーは店独自に契約している牧場があって、そこから肉を仕入れていました。だから近所にある店と比べると、肉の質は別にして、驚くほど安く買うことができたのです。200gで2千円の牛肉を買ってみると、肉もそんなに固くないので、まあまあ食べられます。残念ながら子供の頃食べたミルクっぽい牛肉の味はしませんが、普段食べるのならこれで十分だと思いました。それ以来、肉を目当てに月に何度かスーパーに通うようになりました。そのうちにその店がけっこう人気があるのだとわかり、制服を着たどこかの飲食店の店員さんの姿もちらほら見かけるようになりました。

 ところが、コロナが流行り出して、「都心には近づくな」と心が警報を鳴らしました。突然いつもの牛肉が手に入らなくなりました。これからどうしよう?で、肉をどうしたらいい?と途方にくれました。とにかく、代替え品を捜さなきゃと手あたり次第スーパーを回ってみました。そして、ようやく見つけたのです、手ごろな値段の牛肉を。それはもちろん国産ではなく、メキシコ産の若牧牛というスーパー独自のブランド牛の名前が付いた牛肉でした。300gで680円の激安ですが、美味しいと言えるほど世の中は甘くありません。でもそれを買わないと、まともな値段の国産牛を選ばざるを得ないので、選択肢はないのです。家族に文句を言われやしないかと、恐る恐る食卓に出してみました。すると、いつもの肉と全く違う味なのに黙って食べているではありませんか。私にしてみれば、「どうしちゃったの?」と突っ込みたくなります。私の家族は誰ひとり肉の味の違いがわからないようなのです。まず、一口噛んでみれば、少し臭みのようなものが鼻について違和感があるのですが、どうやら感じないようです。でも考えてみると、かえって味オンチの家族で正解だったかもと思えてきました。

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