人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

自転車は危ない

自転車があれば、便利だと思わない訳は

 先日テレビのニュースで、来年の4月1日から自転車にヘルメットの着用が義務付けされることを知った。となると、ママチャリの奥様方も対象になるのかと同僚に尋ねたら、「そりゃあそうでしょう」と返された。自転車にヘルメットと言えば、田舎で中学に通っているころを思い出した。あの頃、1年生の時は家から30分ほどの道のりを歩いて通っていたが、2年生からは自転車に乗れるようになった。今考えると、信じられないような話だが、雪道をスイスイと自転車で疾走していた。とくに危ないとも思わず平気の平左でそれが普通だった。数センチほど雪が降った翌朝も、路面がカチコチに凍り付いているにも関わらず、皆上手に自転車を乗りこなしていた。隣の県にある雪化粧をした山並みを背にして、自転車を走らせるのは実に爽快だった。元々たいして雪は降り積もらない地域なのだが、たまに20㎝~30cmほど降るときもあるにはあった。だが、自転車を諦めて中学まで歩いて通った記憶はない。

 ヘルメット着用が義務付けられたその背景には、転倒事故が増加している現実があるそうだ。普段自転車とは無縁で、むしろ自転車のマナーの悪さに辟易している当方には、何のことかだかさっぱりわからない。要するに、つぶさにそういう場面に遭遇したり、遠くからでも目撃したりして、関わったことが無いのでピンとこないのだ。ママチャリで二人乗りや3人乗りをしている人たちは私から見れば、まるで曲芸をしているようだった。彼らはうまくやっている人たちであって、それはそれでよかったのだが、彼らのマナーは歩行者にとってはヒヤリとさせられることが多かった。自転車は怖い乗り物で、時には人の命を奪ってしまうこともある。昔はこれほど自転車の怖さを意識したことはなかったが、今は身の危険をひしひしと感じてしまうのはなぜなのだろうか。

 例えば、横断歩道を渡るとき、もちろんこちらは信号が青であっても左右を確認して渡る。青だからと気を抜くととんでもない怖い思いをすることになるからだ。怖いのは車ではなく自転車の自由過ぎる運転マナーで、ちゃんと確認したのに、それでも一瞬のスキを突いて私の目の前をサアッと風のように通り過ぎる。危機一髪。まさに忍者のごとく行動する彼らを見ていたら、自転車が嫌いになってしまった。あれは風を切って走る気持ちのいい乗り物だったが、人を死なせてしまう凶器にもなり得るのだとわかったらもう無理だった。益田ミリさんがエッセイの中で、電動自転車を買ったら行動範囲が広がってとても重宝していると書いていたが、それを読んでも私にはとても共感はできない。私にとっては誰もいない田舎の道を自由にペダルを漕いで走らせる自転車だけが理想としか思えないのだ、危ない現実を見てしまったからには。

 自転車に乗る人自身の危ない現実についてはもっぱら新聞記事を見て知るだけだった。例えば、先日の記事は生後4カ月の赤ちゃんを抱っこ紐で前抱っこして自転車に乗っていた男性が強風に煽られて転倒してしまったというものだった。運転していた男性は無事だったが、赤ちゃんは頭を打ってケガをするという可哀そうな目に合った。何が言いたいかと言うと、抱っこでもおんぶでもひとたび自転車が転倒すれば子供の安全が脅かされることをもっと自覚して欲しいという内容なのだ。確かに車と違って自転車は便利でリーズナブルな輸送手段かもしれないが、子供の命までも運に任せていいものかどうか、そこのところを今一度よく考えてみた方がよさそうだ。何事も”後悔先に立たず”、”覆水盆に返らず”で起こってしまってからでは遅いのだから。

 以前韓国語を勉強していた時に初めて知ったのだが、日本で普通に自転車の前後ろに子供を乗せる、あのやり方は韓国人にとっては”サーカスの曲芸”のようなものなのだ。日本人が子供を乗せていとも簡単にペダルを漕ぐ姿を見た感想は”スゴイ”と”アブナイ”の二つに分かれる。もっとも韓国にはそういう文化はないので、きっと第三者的な立場から揶揄しているのだろう。私はと言うと、自転車の前後に子供を乗せることが、日本特有のものだと知って目から鱗だった。そう言えば、ヨーロッパに旅行に行っても、街中でそういう姿をあまり見たことがなかった。

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