人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

新年早々の転倒で「災」

今週のお題「現時点での今年の漢字

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▲色鮮やかなグアテマラの民族衣装。NHK旅するスペイン語テキストから。

雪道での転倒、でも災いを転じて福と為す

 新年早々転倒したことはすでにブログに書いた。左足を踏み出して着地しようとしたら、ツルッと滑って、身体が横に傾いた。その時、自分でも不思議な感じがして、目の前を見たらなんとそこには綺麗な青空が見えた。そうなったら、次に起こることは容易に想像できた。それは自分の身体が間違いなく舗道の上に横たわってしまうことだった。普通に考えたら、自分があの冷たい路面に天を仰いで寝てしまうだなんてことはありえないことだった。今まで、雪が降って路面が凍り付くと、転んで救急車で運ばれる人がいるとニュースになった。そんなことは全くの他人事だったのだが、今は自分事になった。幸運にも救急車のお世話にはならなかったものの、一つ間違えば大事になっていたかもしれない。

 今も自分の身体が落ちる瞬間を思い出すと気持ちが悪くなる。思い出したくもないのだが、皮肉にもそんな経験がブログのネタになるのだと実感する。どんな体験でも話の種になり、読んでくれる人の何らかの参考になるのかもしれない。いや、というより自分のためというか、自分に起こったことを記録しておくことに意味があると思う。

 転倒した日はちょうど午後に歯医者の予約が入っていた。何事もなかったかのように歯医者に行ったのだが、先生に「今日は掃除をしましょう」と診察台を倒されたとき、違和感を覚えた。急に頭を軽く打ってしまったことを思いだした。だから言わないつもりだったのに、正直に早朝に転倒したことを話した。「すみませんけど、今日はやめときます」とだけ言って、そそくさと帰ってきてしまった。どうしても診察台に頭をつけるのが嫌だったから。先生に「頭、大丈夫ですか?」と心配されたが、「大丈夫、何ともありません」と気にする素振りは見せなかった。

 あの時私はダウンコートのフードがクッションになって幸運だったなどと言い訳をした。でも先生が言う通り、頭は打ちどころが悪いと、一つ間違えば最悪の事態を招くことになる。1週間ほどしたら、それまで何ともなかったのに、お尻と左肩が痛くなって来た。おそらく転倒した時に最初はお尻で次に左肩を打ったのだろう。幸いなことに、痛いことは痛いのだが、意識しない限り、痛みに襲われて生活に影響することもない。日常生活には何の問題もなく、楽しく過ごせているのが本当に有難い。自分はこの上なく「ついている人間なのだ」とつくづく思わずにはいられない。

 考えてみると、これまで雪道で転んだことがなかった私は絶対的な自信を持っていた。転ぶなんてことは自分の身には起こるはずもないと思っていた。でもそれは大間違いで、あの時履いていた長靴は滑りやすい靴だったらしい。そのことをあまり長靴を履いたことがなかった私は知らなかっただけのことだ。改めて長靴の裏を確認してみたら、たいしてギザギザもない、全く普通の靴と変わりない代物だった。こんなんじゃ、滑るのは当たり前で、長靴なら何でもいいというステレオタイプな考えがいけないのだ。 もちろんその長靴は見るのも嫌なので、ゴミに出してしまった。今度はもっと使える長靴を見つけようと思うが、未だに見つけられない。その理由は周りに適当な店がなく、あるいはあっても気にいる物がないからだ。

 ネットでよさそうな長靴を見つけたが、品切れ中なので入荷の連絡を待つことにした。それで、とりあえず雪が降ったら役に立つものを買おうと探してみた。雪国の人たちが使っている”かんじき”のようなものがある事を知って、さっそく注文してみた。それはゴム製で丸いわっかのようなもので、靴に取り付けて使うようになっている。ゴムなので、最初はこれをどうやって靴に?と戸惑っていたが、試してみるとぴったりとつけられた。靴の裏の前あたりに5本の鋲が付いているので、ツルツルの雪道でも滑ることがないと能書きには書かれている。ただなにぶん試してみたことがないので効果のほどはわからない。

 正直言って、また転ぶのではという恐怖心は少なからずある。だからこそ万全の備えをしようと思う。怖いから外に出られないのは悲しすぎるし、後悔したくないから。それに“天災は忘れたころにやって来る”と言われるように、転倒の恐怖が薄れた頃が一番危ない。そんな訳で、私の今年の漢字は「災」で、今のところは「災」だけど、いかにして「福」とするのかが楽しみでもある。

mikonacolon