人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ドラマ「silent」の結末

聴者と聾者のカップルの未来は明るい?

 とうとう今後の展開が気になっていたドラマ「silet」が終わってしまった。ネット上では「だれも幸せになれない予感がする」だなんて言われていたが、予想外に明るい希望に満ちた結末だった。二人がこれからどうなるかは分からないが、少なくとも焦らずゆっくりとマイペースで付き合っていくことは間違いない。答えを急ぎ過ぎない、結婚とか同棲とか、そう言うことではなくて、まずはお互いを理解することが先決なのだろう。聴者である紬(つむぎ)は聾者の想(奏)の手話だけでは相手が何を言いたいのかわからないという。つまり、相手が何を思っているのか不安になってしまうのだ。もちろん手話も立派な会話の手段だが、やはり「伝える」という点においては言葉の持ち力には匹敵しない。少なくとも聴者である紬にとっては、まだ全然手話を取得できていない彼女にとっては想とお互いに分かり合うまでには至らない。

 思いがけずに8年ぶりに再会して、付き合う、いやまだそこまでは行かないのだが会いたいから会っていた。だが、お互いの気持ちにすれ違いがあった。想は自分が聾者であることに引け目を感じていた。ある日ファミレスで紬の仕事先のバイトの男性に二人が会っているところを見られたときなどは、「僕と一緒に居るのを見られて大丈夫?恥ずかしくない?」などと真顔で言うのだった。また当の男性も何か見てはいけない物を見たような唖然とした顔をして、挨拶をするなり早々にその場を立ち去った。

 紬は想の信じられないような質問に「全然大丈夫」と答えてみたものの、自分と想との間に横たわる壁の大きさに気づかずにはいられない。目の前に居るのは高校生の頃大好きだった想に間違いないのだが、何一つ変わらないように見えてもやはり聴力を失ったことは想にとって大きな打撃なのだろう。それでも紬は想と一緒に居られればいいと、会い続けるのだが、想はいつも悲しそうな顔をする。それはなぜなのか、どうしてなのか、聴者の紬には到底理解できないことだった。ドラマの最終回に想が自分の想いを告白する場面がある。「人の声が聞えないことが当たり前になっていたのに、青葉(紬のこと)の声が聞えないのが、受け入れられなかった。一緒に居て辛い時がある」と赤裸々に自分の気持ちを紬にぶつけてきた。

 一度は「もう会わない方がいい」と別れの言葉をほのめかした想だが、本当のところは紬への気持ちは抑えられないのだ。二人の今後は「この先一緒に居れば、辛いことが増えていくと思う」と想がネガティブに予感するようにいばらの道になりそうだ。それでも二人は一歩踏み出す決心をする。それはどんな理屈よりも自分たちの「とりあえず今は一緒にいたい。だって一緒に居ると楽しいから」という素直な気持ちに従ったまでのことだ。それに想の行動にも少し変化があった。あんなに人前で声を出して話すのを嫌がっていたのに、積極的に声を出すようになった。友だちのミナトがスマホ音声認識機能を使おうとするとそれを手で制したので、相手は仰天した。自分の声を自分で聞くことができないのが嫌だからという理由で声を出すのを拒否していたが、手話ができない相手とは声で会話する方が楽だからだ。

 今まで暗いイメージが付き纏っていた聾者の想が、打って変わって明るい人になり、笑顔になることが増えた。まるで暗い牢獄から一転”光の中へ”と踏み出した人みたいで、世間でいう”聾者は可哀そうな人”というイメージを払拭してくれているようだ。

 ただ、私にはどうしても気になることがある。それは聾者である想に紬が「どれでも好きなの選んでいいよ」と自分のコレクションの音楽CDの山を指さす場面であり、タワーレコードの店舗で、想が何かいいものがないだろうかとCDを物色している場面だ。ドラマではその不可解な行動を仕事先のバイトの男性に敢えてこう言わせている、「耳が聞こえないのに、よく店に来れますよね。僕だったら絶対あり得ないですよ」と。

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