人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

人並みな運動神経

今週のお題「自分に贈りたいもの」

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もしこれがあったら、私の人生変わったかも

 正直言って、私には子供の頃から運動神経というものがなかった。だからせめて人並みな運動神経があったらなあと思う。私がこんなことを言っても、人並みの運動神経を持ち合わせている皆さんには何のことだかわからないかもしれない。でも生まれながらにして運動神経が欠如していると大変な思いをすることになる。努力して何とかすればいい?とんでもない!あれだけはどうにもならなかった。うちの家の一番上の姉は卓球の選手で中学の頃はよく他の学校に試合に行っていたらしい。それに運動は何でも得意だったと父が言っていた。全部運動神経は姉たちと兄たちに取られて、末っ子の私にはカスしか与えられなかったのか。

 周りの子が普通にやっていることがどうしても人並みにできなかった。体育の時は最悪で、皆の前で跳び箱や鉄棒をしなければならない。皆が軽々と飛べる高さの飛び箱を私が飛べないと皆が呆れた顔をした。「どうしてあの子、あんなのが飛べないんだろう?」。でもそのうち慣れてきて、気にもされなくなった。問題児だが、いつものことなので完全に無視だった。だから学校で一番嫌いなのは体育の時間で、運動会も中止になればいいのにと思っていた。皆が普通にできることが自分だけできないのが惨めで辛かった。

 小学校の時は1年に一度、自転車教室という行事があって、近隣の警察署のおまわりさんが交通指導にやって来た。その時はみな自分の自転車を持って来ることになっていた。校庭にコースが作ってあって、そこで自転車の正しい乗り方を教わるためだった。でも私は当時悲しいことに自転車に乗れなくて、見学するしかなかった。皆がスイスイと気持ちよさそうに自転車に乗るのを見ていたら、羨ましいと同時に惨めな気持ちになった。自己嫌悪で穴があったら入りたいとはこのことだ。その後、中学に入ると自転車通学をすることになったので、必要に迫られて猛練習をした。その結果、自転車に乗れるようになったのだが、考えてみると、あれは”習うより慣れろ”で身体が自然と覚えるのだとわかる。運動神経の有無は関係ないので、私にも乗れたのだった。

 中学に入るとバレーボール部に入った。見学に行ってみたら、私にもできそうな気がしたからで、自分でも何かできるようになりたかったからだった。バスケットのような素早い動きには到底ついて行けないから夢のまた夢だった。それに小さなボールを使ってやる競技は全くお手上げだった。テニスなどは自分でも笑いたくなるほど、ラケットにボールが当たらない。傍からはふざけているのかと誤解されるほど、空振りを連発した。皆二人組になって楽しそうにラケットでボールを打っていた。でも私はそのレベルではないので、相手の人に迷惑をかけてしまう。だから私だけは一人でボールを打つ練習をひたすらやった。体育館の壁に向かってボールを打つ”壁打ち”と皆が呼んでいることだが、私の場合は壁にはうまく当たらなかった。

 後になって、運動神経が鈍いと友達関係にも影響を及ぼすことを知った。仲良しグループで温泉などに行くと、必ずああいう場所には卓球台があった。必ず誰かが、「卓球やろうよ!」と声をかけると皆が「そうだね、やろう、やろう」と賛同する。卓球ができない私は見学にまわるしかなくて、「やらない」と断ると変な人と言った顔をされた。皆が楽しそうにしているのを見て、私も楽しいといいのだが、本当はみんなの輪に入れない自分がのけ者にされていると感じてしまうのも事実だ。この場に居てはいけない自分を強く意識してしまうのだ。

 また、仲良しの友だち達にテニスクラブに入らないかと誘われても、断るしかないのもすごく寂しいことだ。本当なら入りたいのだが、ついて行けなくて惨めな思いをするのが嫌なだけなのだ。そのうち、たまに会っても話題がテニスクラブのことで勝手に盛り上がり、こちらは完全に話について行けなくなる。「ねえ、あの○○先生って素敵だね。みんなあの人の噂ばかりしているよ」「そりゃ、○○ちゃん(先生を名前で呼んでいる)は若くてカッコいいもんね。私も好きだよ。皆狙っているみたいだね」

 こんな話ばかりされると、相槌も打てなくて困惑するばかりだった。だから自然とその友だち達とは疎遠になったのも無理はない。でも、もし私が彼らの仲間に入ることができていたら、どうなっていただろうと考えるとなかなか面白い。今まで私の人生にはなかった可能性を感じてしまうからだ。

mikonacolon