人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

図書館でDVDを借りたら

 

本屋に愛想をつかした私は、ついに図書館でDVDまでも

 最近私は本屋から足が遠ざかっている。いや、正確に言うと、月一回のNHKの語学講座のテキストを買う時だけは、仕方なく行っている。そんなことになった原因は、自分にしっくりくる本が見つからないから、あるいは、面白そうな本の情報がさっぱり入ってこないからに尽きる。それに加えて、以前とは打って変わった、あの活気の無い寂しい雰囲気が耐えられないからでもある。お昼休みにも関わらず、書店には人気がなく、やたら書店員の話し声だけが聞こえてきて、どうにもこうにもそこに居づらくなる。当然、立ち読みもしにくくなり、気になる本があったとしても、以前なら気軽に手に取れたのに、今はその気にもなれない。なので、毎月18日のテキスト発売日は、店に入ったら、NHKのコーナーだけを目指し、わき目もふらず、レジに直行する。嘘のように書店での滞在時間が短くなり、どれだけ書店に何も求めていないかがわかるというものだ。

 正直自分で認めたくはないが、楽しくなくなったのだ。本屋に行っても、ドキドキ、ワクワクしなくなった。本屋に愛想をつかした私は、その虚しさを図書館で埋めようとしている。新聞のエッセイや書評、新刊の広告などで、見かけて、良さそうだなと思った書名をやたらと図書館サイトの”簡単検索”のスペースに打ち込む。そうやっているうちに”予約カート”はたちまち20冊以上にもなった。だがそれはあくまでも予約したい本の待機リストであって、実際の「予約」とは異なる。偶然かもしれないが、私の予約カートに入っている本はほとんどが予約ゼロで、いつでも借りられる本である。だから、そのことに大いに満足し、余裕があるからとても幸せな気分を味わっている。

 ある日いつものように図書館サイトを閲覧していたら、貸出資料の項目にDVD(映画)というジャンルを見つけた。あ、そうか、DVDも借りられるのかと、初めて気づいた私は「どれどれ、何かよさそうな作品はあるのかなあ」と、できるだけ新しい映画を見つけようとした。すると『アメリ』があった。この作品は新聞の映画欄でも話題になって、”人を幸せにする映画”として有名になった。私も当時は見に行きたいとは思っていたが、実際に自分で映画館に足を運ぶほどの情熱は持ち合わせていなかった。正直言うと、何も目新しいものなどない、単なる恋愛映画だと勝手に誤解していただけのことだった。実際に見た今はそう思う。

 映画を見て思うのは、この映画がとても哲学的で、内容がとても凝った作りになっているということだ。それにアメリの行動にも驚かされた。自分の住むアパルトマンの浴室の片隅に彼女はちいさな穴を見つける。もちろんそれは普段は塞がれていて、傍目には小さな亀裂としか思えない。だが、不思議に思って中を覗くと、元はお菓子が入っていたと思われる小さな四角い缶を見つけた。その缶の中には写真とおもちゃがいくつか入っていて、まさに子供にとっては宝箱だった。普通は見つけてそれで終わりなのだろうが、アメリは違った。彼女は、この宝箱の持ち主が今これを見たら、どれだけ感激するだろうかと想像した。いや、想像しただけでなく、実際にその持ち主を探そうと奮闘する。いわゆる、誰かを幸せにすることで、自分も幸せな気分になろうとしたのだ。ついに持ち主を見つけて、宝箱を返そうとするのだが、その方法がまたアメリらしくてさりげない。40年の年月を経て、自分の宝物と再会した初老の男性の頬につたう一筋の涙がとても印象的だった。

 また、アメリが恋する青年ニノもアメリと同様に個性的な人物だ。彼は駅前や街中にある、写真スタンドに捨ててある写真を集めている。せっかく写真を撮ったのに、うまく撮れなかったりした写真を破って捨ててある、ゴミ箱から写真を集めて、それをアルバムに貼ってスクラップしている。どうしてそんなことをと、こちらは不思議でならないが、それにはちゃんとした理由があった。彼はあちらこちらの写真スタンドで写真を撮ってはそれを持ち帰ろうとはせず、それを必ず破って捨てていく人がいることに気付いた。一体その人は何者なのか、それを知りたくて堪らないのだ。映画の最後でその謎は解ける、何のことはない、写真スタンドのメンテナンス担当の人だったのである。なんとも、ごく当たり前の落ちだが、見ている当方は気になって仕方がなかった。なので、『アメリ』を見て、幸せになった?とか、感動した?とか聞かれても、甚だ返答に困るのだ。

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