人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

パン屋が閉店した日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

f:id:mikonacolon:20210721175008j:plain

▲アルゼンチンのウマワカ渓谷。NHKまいにちスペイン語7月号から。

書店の変化に気付いたら、パン屋のことを思いだして

 昨日久しぶりに都心の大型書店に行きました。たぶん3カ月ぐらい行ってなかったと思うのですが、まず入口のところにあまり人がいないのに気が付きました。書店の中に入ると、いつも混んでいるエスカレーターもガラガラですぐに乗れました。新刊本や話題の本が平積みしてあるコーナーにも人がまばらです。「これはいったいどうしたことか?」といつもと違う雰囲気に違和感を持ちました。実はある本を急に読みたくなって近所の本屋や歩いて30分の場所にある中規模書店にも捜しに行ったのですがありません。それでここなら絶対あるだろうと信じて、品ぞろえの良い大型書店にやって来たのです。ところが、どうやら以前とは様子が違うようなのです。検索機で調べて印刷し、本の置いてある棚を探しました。たしか在庫6冊と書いてあるのに見当たらなくて、何とか見つけたのは同じ著者のシリーズの続編の1冊だけでした。明らかに更新されていないのではと疑ってかかったのですが、とりあえずその本を買うことにしました。

 エスカレーターに乗るといつものように各階のフロアーが見えてきました。以前はそこには椅子が並べられていて、熱心に本を選ぶ人の姿があったはずです。でも昨日は当たり前だった光景は消えていて、そこにはただの空しい床しかありませんでした。座り読みするための椅子は全階すべて撤去されたのでした。見たこともない制服を来た保安員の男性の姿を発見し、私が来なかった間に起きた変化を実感しました。それから向かったのは児童書のコーナーで、以前は子供が絵本を見たり、おもちゃで遊べるようになっていたはずでした。やはり小さい子供のための空間も消滅していました。どうやら大型書店を取り巻く環境は厳しさを増しているようです。

 この書店に来ていたお客さんは、もう気軽に本が読めないとわかったら足が遠のくのでしょうか。それより本を探しに来たのに検索機能が無意味だとわかってしまった私のような人はどうすればいいのでしょうか。やはりネットに頼るしかないのでしょうか。リアル書店のこれからを思うと、強烈な日差しの中で寒々とした気持ちになってしまいました。と同時に、以前にも日常生活の中のささやかな楽しみを奪われたことがあったのを思いだしました。それは帰りに立ち寄ったスーパーのことで、新装開店の時はパン屋が併設されていたのです。

 そのパン屋には珍しいことにそれぞれのパンごとにいつも試食が置いてありました。イートインのスペースがあって、大型書店に行った帰りには必ず立ち寄る場所でした。家から都心の書店までは歩いて1時間程度でしたが、散歩好きの私にとっては問題ありませんでした。そのパン屋はちょうど中間地点あって、休むにはもってこいの場所でした。トマトやカボチャ、ホウレンソウなどの野菜のディニッシュが美味しくて、私にとってオアシスのような場所でした。観葉植物が置かれた広い店内で一息ついてから家に帰るのが休みの日のお決まりのコースでした。その日もお気に入りのトマトディニッシュとアイスカフェラテで合計350円を注文しようと思っていました。当たり前の一日を過ごそうとして店に近づいて行くと、何やら張り紙がしてありました。「当店は閉店いたしました。今までご利用有難うございました」。その文面を読み終わったら、身体中から力が抜けていきました。深いため息をつきながら、自分にとってのオアシスが奪われてしまった事実を受け入れられませんでした。

 突然オアシスが消えてしまったわけですが、それでも何とか気を紛らわせて忘れる努力をしてきたのです。ほぼ完全にそんな昔のことなど記憶から消したはずでした。それなのに昨日書店の立ち位置が危いのではと思った瞬間、あのときの感覚を肌で感じてしまいました。目の前の光景が突然消えてしまうのではないかという恐れを抱いたのです。考えたくはないのですが、冷静に観察してみると、やはり空前の灯なのではないか、プラス思考の私でもそう考えざるを得ないのです。私事で言うと、検索機能が使い物にならない本屋に果たしてこれから先行くのだろうか。でも大型書店が無くなってしまうのも悲しすぎるではありませんか。書店からの帰り道、ひとつの時代が終わったのかもしれないと複雑な思いに駆られながら歩きました。

mikonacolon