人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

活力の源はブログを書くこと?

連日の暑さでもはやヘロヘロ、でも心強い味方が・・・

 自慢にもならないが、私は暑さに甚だ弱い。いつもそうなのだから、最近の”地球沸騰化”とも言われる想定外の暑さには、「生きているのがやっと」と言っても過言ではない。思えば、以前は早朝散歩の途中で7時から開いているチェーン店のコーヒーショップで、一時休憩を取ったこともあった。一番安いアイスコーヒーを買って、5分ほど冷房の中で涼むと、すぐに復活してまた歩き出せた。ところが、今は以前よりも時間が早めなので、どこも開いている店などない。それにだいたいが、朝起きたときからすでにヘロヘロで、寝ぼけ眼で身体が重い。それでも、身体はちゃんといつもの時間に起き上がるようにプログラミングされていて、私の体調などお構いなしで、決められたルーティンを実行しようとする。

 「ちょっと、今日は無理みたいだけど」とか、「なんだかフラフラして、歩けるかどうかわからない」と訴えても頑として聞き入れてはくれない。それで、仕方がないので、行けるところまで行くかと譲歩して歩き出す。嫌々歩き出すのだが、本当のところは、途中の自動販売機でBOSSのカフェラテを買ったら帰ろうなどと考えている。気分は相変わらず最悪なのだが、少し歩くと、もうちょっとという気になる。それはたぶんいつもの日課をこなさないと気持ちが悪いからという些細な思い込みからなのだが、まるで"慣性の法則”でもあるかのように何とか歩く。そうやって、やっと家にたどり着くと起きたときよりも、ヘロヘロに磨きがかかっている。

 冗談じゃない、こんな状態で、ブログなんてとても書けやしない。今日は無理だなあと、ソファーに寝っ転がっていると、なんだか変な気分になる。何かし忘れているような、そうだブログを書かなきゃ、でも今の体調では集中力が1分も続かない気がする。だが、もうひとりの自分が「書けなければ書けないでそれでいいよ。途中まででもいいから試して見なよ」と私を唆した。それで、そんなんでいいのなら、ダメだと思うけどやってみるかと、ついついその気になる。すると、最初はヘロヘロが気になって頭の中に何にも浮かんでこなかったが、不思議なものですぐに”ブログモード”にすり替わった。身体は疲れているのに、心は逆に解き放たれて、快活になっている。身体に纏わりついて離れなかった夏の疲れが少しずつ解けていくようにも感じられていい気分になった。

 ブログを書いたことによって、私は無事にいつもの一日を始めることができた。正直言って、目から鱗だった。だいたいが、私の文章なんて、駄文で誤字脱字のてんこ盛りでいい加減で、何の役にも立たないのは明かだ。それでも、自分を何とかする、つまり、弱っている自分を勇気づけるための特効薬ぐらいにはなれたかなあと思えるのが嬉しい。今こうやってやる気になって、このブログを書いているが、これを書く前の自分ときたら、最低最悪のヘナヘナ状態でどうしようもなかった。朝起きてから、重い足を引きずるように嫌々早朝散歩に行って帰ってきたら、1時間程経ってはいたが、心身共にボロボロの状態だった。ところが、パソコンの前に座り、ブログを書き始めたら、嘘のように気分がよくなり、いや、というよりもなんだかこの先いいことがあるような予感がしたのだから、お目出たい。こんな何でもない、些細で、もちろんお金などいらなくて、しようもない独り言の連続ともいうべきものを書き連ねることが、活力の源になるだなんて、誰が信じるだろうか。当の本人の私だって戸惑っている。

 今日は何も書くことが思い浮かばないなあという時でも、不思議なもので、パソコンの画面をじっと見つめていると何かインスピレーションのようなものを感じることがある。そんなときは、予期せぬ宝物を見つけてしまった気分になって、大いに悦に入る。一方で、書きたいことが無数にあるときは頭の中がごちゃごちゃになって、いったいどれにするか途方に暮れる時もある。一つに決まらないで、上手く書けるかどうか自信がなく、暫し悶々とするときは、ブログなんてもうやめようかとなどとやけになってしまう。それでも、大した理由がなくても、ブログの効用など信じているわけでもなくても、どういうわけか書き続けている。これはやはり、慣性の法則なのだろうか、いや、単なる惰性に過ぎない。

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