人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

バスに乗って名画座へ

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名画座にバスで行くのが楽しい?

 音楽家小西康陽(こにしやすはる)さんは、旧作映画を上映している映画館にバスで行くのが楽しいそうです。住んでいる恵比寿から阿佐ヶ谷や池袋のある名画座に向かう、その始発から終点までのどちらの路線も楽しい。これは、新聞に載っていたエッセイの中での話で、具体的に何が楽しいのかは書いていないので想像するしかありません。座っていながらにして、目の前の景色がめまぐるしく変わっていく。車窓から見える街の喧噪と人々の生活を垣間見るのが新鮮に感じられる。まあ、私ならそんな風にバスから見える光景を捉えます。見知らぬ誰かの生活をのぞき見しているかのように、無防備な他人の姿を観察するのは密な楽しみでもあります。

 でも、私は日常生活においてめったにバスには乗らないのです。なぜなら、歩いて行けるところはできるだけ歩こうと決めているからです。だからバスに乗るときは具合が悪い時と重い荷物を持っている時だけなのです。そんな時でも、だいたいバスの中は混んでいるので、小西さんと違って私の場合はあまり楽しくはないのです。人込みが嫌いなので、早く目的地に着かないかなあとそればかり思っているのです。バス停が家から歩いて目と鼻の先にあるにも関わらず、あまりバスを利用しない理由はそこにあるのです。それに時間も体力も十分あるのに、それでもバスに乗ってしまったら、自分がひどく年取ったような情けない気持ちになってしまうからなのです。

旅行先の見知らぬ街のバスは楽しい

 とは言っても、バスがあまり好きではない私も、外国の街のバスなら大好きなのです。以前乗ったロシアのバスは現代においては化石のように思える車掌さんがいてびっくり。それに運賃がタダみたいなものだったので二度びっくりしました。何よりも右も左もわからない異邦人には頼りになる存在で有難かったです。それとパリの街を走るバスは日本のバスと比べると、どんな狭い通りでもお構いなしに入って行きます。そこにはひしめき合って商店が立ち並び、何やら賑わっている様子、面白そう。できることなら今すぐ降りたいと思ってしまうこともありました。だから、バスに乗ることは大通りしか知りようがない旅行者にとっては、パリに住む人々の日常が見られる絶好の機会と言えるのです。ただ、旅行者がバスに乗るのを阻むものは、ガイドブックの「バスの利用は初心者にとっては敷居が高い」という余計な一言だけなのです。確かに失敗は何度もあります。でもそんな時は騒いで周りに助けを求めれば救われるのです。心模様は曇りのち快晴で「案ずるより産むがやすし」なのです。

バスは早朝の化粧室に変わる

 昔、書道を習っていた時の先生は東京の中野に住んでいて、毎朝新宿までバスで通っていました。神奈川の相模大野の中学校の先生をしていた彼女は、とにかく朝は時間がないので化粧はバスの中ですることにしていたのです。いわゆる時間の節約をしていたわけなのですが、そんなことをして人目は気にならないのか聞いてみたことがあります。すると、彼女の乗る早朝のバスはほとんど人が乗っていないから全然平気だと笑うのでした。確かに人目があるのとないのとでは「ここで、こんなことしていいのか」という後ろめたい気持ちの分量は全く違ってくるのだと思うのです。よく電車の中で人目も憚ることなく、堂々と化粧をしている女性に批判が集まることがあります。それは化粧という行為は人目に付かないところでするものだという考えからです。外国では人前で化粧するのは娼婦だけだと聞いたことがあります。外国の電車には居眠りしている人はいないとよく言われますが、化粧をしている人も実際には見たことはありません。

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