人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

あなたはスイカ派?それとも、メロン派?

イカが高級品になったような気もするが

 夏の食べ物で思い浮かべる果物と言ったら、スイカ?、それともメロン?だろうか。先日の朝日新聞の土曜版に載っていたアンケートでは、どちらが好きかと尋ねた結果、スイカ派が64%、メロン派が36%だった。特に、スイカ派は子供の頃の懐かしい思い出が今でも後を引いているようで、忘れられない食べ物として胸に焼き付いているようだ。一方のメロン派にとっては、メロンは庶民には高根の花で、特別なときしか食べられないもの、例えば、病気で入院した時にお見舞いに誰かが持って来てくれる貴重なもの、みたいなイメージらしい。アンケートのなぜメロンが好きかという理由に、「入院した時にお見舞いにメロンを貰ったら、研修医たちが羨ましがった。それで担当医にプレゼントしたら仲良くなって、結婚してしまった」という仰天エピソードを披露してくれた方もいた。メロンが愛のキューピッドというわけで、その方の年齢は確か65歳ぐらいだから、当時としてはあるあるなのかもしれない。考えてみれば、人に頂いたもので魚を釣ってしまったのだから、ある意味うまいことやったなあとなるが、前提となるのは本人同士の相性なのだから縁があったのだろう。

 さて、私はいったいどちら派なのだろうと考えてみると、正直言って、どちら派でもない。確かにスーパーでスイカを見かけると、「ああもう夏なのだなあ」と思うが、買ってまで食べようという気にはならない。メロンもそうで、マスクメロンはもちろんのこと、プリンスメロンにだって、あまり興味はそそられない。そう言えば、もう何年もスイカもメロンも食べていない。食べなくても、何の違和感も感じず、本当は食べたいのにというフラストレーションも抱くことなく、今日まで生きてこれたのだ。 

 そんな私も、たまにスーパーの野菜売り場に並ぶスイカが美味しそうに見えて仕方がないこともある。どれどれ、今日は気分を変えて、スイカを買って食べてみてもいいかなあと一瞬思う。思うのだが、値段を見て、ギョッとなる。スイカひと切れがこんなにするの!?とまずは驚きの方が勝り、自分の欲望は二の次になる。そして、ふとその横を見ると、一口大にカットされたスイカがお行儀よく小さなプラスチック容器に入った商品があって、値段は298円だった。手を汚さずに食べられて、手ごろな値段だからか、けっこう売れている。みたところ、中身はどう見ても一口サイズのスイカが4個入っていればいい方だ。正直、これでは少し物足りないなあと思ったら、一回り大きいパックがちゃんとあって、それが498円とわかって、二度ビックリする。

 田舎で育った私には、スイカがこんなにも高級な値段の食べ物になってしまったことが信じられない。子供の頃、母が家計の足しにとひとりでやっていた畑には、夏になると、スイカがごろごろ転がっていた。指ではじいて音を確かめ、一番いいものを選んで家に持ち帰って井戸水で冷やして食べた。もちろん、素人の母が育てたスイカと、店に並べられているスイカの味とは比べ物にならないことはよくわかっている。それでも、スイカは庶民の味だというステレオタイプな考えが頭の中を支配している私にはしっくりこない。あの時のスイカの味はもう覚えていないが、塩を振って食べるのが定番で、いわゆる、食べるジュースのようなものだった。あの頃、畑ですぐ飲めるジュースはサトウキビだったが、あれは汁のみだったから、少し物足りないと言えば物足りない。

 メロンに関して言えば、マスクメロンなんて夢のまた夢だったが、プリンスメロンなら、これも畑にゴロゴロあった。当時はそれを「うり」と呼んでいて、お店にあるような薄緑色のうりの他に鮮やかな黄色のうりもあったが、実際食べてみると、見かけほど美味しいものでもないことが分かった。やはり、プリンスメロンの方が断然その甘みもそうだが、触感も柔らかくて美味しかった。

 いずれにせよ、スイカプリンスメロンも自分が食べたければ、いつでも取ってきて、食べられる身近なおやつだった。それが当たり前で,実に自然な行為だった、当時のあの環境においては。だが、現在では町中に住んでいるせいか、昔のことをすっかり忘れて、それがなくてもなんとも思わない身体になってしまったというべきか。

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