人生は旅

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コロナで変わっていくカフェの存在理由

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▲これはもしかしてアジサイ、それとも別の花なのかネットで調べたけどわかりません。ただ、葉っぱだけ見たらやはりアジサイなのですが。

コーヒー専門店ができるらしいが

 昨日午後買い物に行ったら、スーパーの近くにある花屋だった建物に何やら人が大勢いたのです。その人たちは改装工事をしているらしく、店頭には大きめの木材を使ったベンチが置かれています。そのベンチに座っている男の人と道行く中年の女性が話をしていて、女性の方が「すごく楽しみ!」と喜んでいたのです。ふと店内に目をやるとコーヒーショップでよく見かけるカウンターができているのが見えました。しかし、この店にはコーヒーを飲みながらお客がゆっくりするできるほどのスペースがありません。あれ、ここはいったい何の店なのだろうと疑問に思いました。

 今朝散歩の途中にその店の前を通りかかってようやく謎が解けました。店のウインドウにポスターが貼ってあって「こだわりのコーヒー専門店」と書かれてありました。店の名前は聞いたこともなかったので、ネットで調べると人気のあるコーヒー豆専門店のようです。店の奥にはイートインスペースもあるというのですが、どう見てもコーヒー豆販売と持ち帰りでの利用に限られそうです。そもそも人気のあるセブンイレブンの100円コーヒーに勝てるのかどうかも疑問です。今気が付きました!あの木のベンチは買ったものをそこで飲むためだったのですね。

 コロナ禍で店内の席数を半分に減らし、感染対策を徹底しているのにも関わらず、近くにあるドトールはお客さんが入っていません。コロナ前は朝行列ができるほど繁盛していたのに、まさに夢の跡というしかありません。そういえば、昨日の報道番組で話題になっていたのは「空気感染」という聞いたことのない言葉でした。「飛沫感染」とか「接触感染」とかのワードは誰でも知っていますが、「空気感染」は初めて聞く言葉です。人と人との距離は1,5mではダメで、もっとあったほうがなおいいのではと専門家が指摘していました。つまり、人が大勢いる空間では社会的距離を取っていたとしても、なお感染のリスクがあると言いたいのです。感染を避けるためには店内の「換気」をするしかないのだと警告を発していました。

スーパーの隣にカフェができたら

 冒頭で話題にしたカフェの開店は店内で飲むことに抵抗があるのなら、持ち帰りならば需要があるのではという戦略なのでしょうか。本格的な専門店のコーヒーを買い物帰りに気軽に楽しめるという地の利を利用したとも言えます。みんながどうしてもいく必要があるスーパーのすぐ隣にコーヒーショップがあったなら、人はどのような行動に出るのか興味深いです。なぜなら今まで住んでいた地域ではスーパーの隣にカフェはなかったからです。そもそもカフェはスーパーの隣にある必要はなかったからで、「落ち着ける」という点でもむしろ離れていた方がよかったのです。ところが現在では勇気を出してカフェに行ったとしても、感染が心配でソワソワして落ち着かなくて早く帰りたくなってしまう、そんな想像が容易にできます。だから、もう3か月もカフェに行っていないのです。ただ店の前を通り過ぎるだけで、今のところ行く予定もありません。

「どこかでお茶しない?」が懐かしい

 どうやらウイズコロナの世界では「カフェでくつろぐ」という言葉自体が死滅していくようです。ふと気が付くといつの間にか、あきらめというか、不便を感じなくなっている自分がいるのです。ないものねだりはしない、置かれた立場で満足して生きるのを実践している最中です。以前は普通に使っていた「どこかでお茶しない?」という常套句も今で死語と化してしまいました。以前旅行したスウェーデンストックホルムでは街の中心にカフェがなくてほとほと困り果てました。歩き疲れたのにマクドナルドしか休むところがないのです。後で知ったのですが、給料のほとんどを税金に持って行かれるのでカフェなどの外食をする文化は根付いていないそうです。日本もそんな国のようにこのままではなってしまうのではと心配です。

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