人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

まるでSF小説の世界に生きている私たち

お題「#この1年の変化

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カフェに行けなくなって

 私にとってこの1年の最も大きな変化はカフェに行かなくなったことです。正確に言えば、新型コロナウイルスに感染するのが怖くて近寄れないのです。不特定多数の人々が出入りするわけですし、ウイルスは目に見えないのですから、君子危うきに近寄らずなのです。武漢コロナウイルス患者が出たらしいとニュースで知ったときは、まだ対岸の火事にすぎませんでした。ダイアモンドプリンセス号の感染者数の多さに衝撃を受けて、これはもしかしたらと危機感を抱きました。そんな私も3月の中旬ぐらいまではマスクなしでカフェに通っていたのです。でも日を追うごとに国内の感染者が増えているのを見ていたら、急に怖くなってカフェには行けなくなりました。と言うのも、以前インフルエンザにかかってしまったときに、いったいどこで感染したのだろうと考えたのです。家の中でもない、職場でもない、そうなると、そのころ足げく通っていたカフェしかないのでした。後から知ったのですが、トイレのハンドドライヤーは菌を空中にばらまくらしいのです。もしかしたら、それが原因なのか。本当のことはわからないのですが、人が大勢いて密になっていたことは確かなのです。

 そんなわけで、カフェを避けるようになったのですが、これからいったいどうしたらいいのか頭を抱えてしまいました。カフェは自分にとって、コーヒーを飲むためだけの場所ではないのです。一番の集中できる場所であり、ホッとできる場所であり、見知らぬ人達との交流の場所でもあったのです。今思うと、韓国ドラマに熱中し、ハングルを勉強したのもカフェでした。検定試験に合格できたのは、あのカフェのお気に入りの席があったからなのです。家だとどうしても身の周りに気が散ってしまって、あれほど自分だけの世界には入り込めないのですから。それと会社と家との中継地点にあるカフェは気分転換には不可欠な場所です。夕方、ガラス張りのカフェからはせわしなく通り過ぎする人々が見えます。ぼおっとしてコーヒーを飲んでいる私はその光景を眺めて結構楽しんでいたのです。これって人間ウオッチングですよね。

カフェに代わる何かを探して

 それから、嫌なことがあったときには余計に行きたくなる場所、それが一時避難場所としてのカフェの役割でした。見たくないものから逃れ、ほんのひと時だけでもそれを忘れるための場所。だからって現実はなにも変わるわけではないのです。でも熱くなった頭を冷やし、冷静になるように自分をなだめて、気持ちに折り合いをつけるだけでいいのです。自分だけの世界に入り込みたくて行くのに、他人の話につい耳を傾けてしまうこともあります。決して盗み聞きしようとしているのではないのですが、聞いたこともない世界の話には好奇心が掻き立てられます。ついつい惹きつけられて、結果的にはその話を聞いて気分転換できてしまったこともありました。

 最初はカフェ時間が消えてしまって、しばらくは嘆いてばかりで呆然としていました。そのうち、早朝の朝5時か5時半ごろ起きるようになり、人があまり歩いていない町を散歩するようになりました。すると、見飽きてしまっている町が今まで見たこともない別の世界に感じられて、なんだか心地いいのです。何があっても朝は来るとはよく言ったもので、朝の静寂の中にいる自分は何の根拠もないのに希望を感じられるのです。現在のような、まるでSF小説の世界に住んでいるような状況の中でも、朝が来ると心の平安をその時だけは得られるのです。だから、先の見えない靄がかかったような世界でもなんとか生きていけるのです。

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