人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

缶コーヒーをやめたら

意外なことに、何の問題もない

 1週間ほど前から、朝の散歩の途中で、缶コーヒーを買うのをやめた。毎日、BOSSのカフェラテを当然のことのように、買っていた。BOSSのカフェラテが大好きで、飲んだ時の「美味しい」と感じるあの瞬間が大好きだった。だが、毎日「美味しい」を実感していたかというと、そうでもなくて、たまには、「今日のはコクがないなあ」とか「これはミルクが足りないなあ」とかと正直感じる時もあった。その時の私の体調や、缶コーヒーの中身の具合で、たまたまそう感じただけなのかもしれない。それに、自動販売機によっても微妙に味が違うのだとわかっていた。缶コーヒーの外見は同じだが、中身は違うことはありうることだった。

 それでも、缶コーヒーを買わないと言う選択肢はなかった。なぜなら、缶コーヒーを飲むことは自分にとってとても大切な事だったからだ。朝から「美味しい」を実感できる飲み物は缶コーヒーのBOSS以外にありえないと固く信じていたからだ。それに、このブログを書くための時短の手段として、食パンをトーストして、バターを塗ったものを食べていた。缶コーヒーはパンととても相性がよかったので、何の疑問も持たずに、今から思えば、惰性で缶コーヒーを飲み、パンを食べていた。

 その朝の習慣が変わったのは、変わるきっかけとなったのは、管理栄養士の中城美雪さんの『脱うつごはん』を読んだからだった。全く予想だにしなかったことだが、この本を読んで以来、自分の食生活を根本から見直さなければと思った。実を言うと、私はあまりパンが好きではない。好き好んで毎朝パンを食べているのではなかった。ただ簡単でいいとか、片手で食べられるから都合がいいとか、そんなコスパ優先で、全く自分の感情など無視していた。心の片隅で、密かに、「やっぱり、パンは飽きるなあ」とか「パサパサして美味しくないなあ」とか思っていたにも関わらず、やめられなかった。

 だが、『脱うつごはん』を読んで、パンがどれだけ身体によくないかを知って、目から鱗だった。私が食べるべきは、お米で、ご飯なのだった。「食べ物で心は作られる」ことを知った私は、朝はおにぎりを食べるようになった。おにぎりの具はたらこでも、シソ昆布でも、野菜を炒めたものでも何でもいい。その時のあるもので何とかなる。おにぎりは口の中で、30回以上は噛むようにしている。そうすることによって、血糖値が安定し、そのことは心の安定にも繋がっている。

 そうだ、缶コーヒーを辞めた理由を書くのを忘れていた。中城さんは、著書『脱うつごはん』の中で、カフェインがどれだけ身体に悪影響を与えるかについても、詳しく説明している。カフェインを全く摂らないことが理想だが、そうもいかないだろうから、できるだけ減らす意識を持って生活することがベストだと書いている。私にしても、長年続けて来た、インスタントコーヒーを飲む習慣をスパッとやめるつもりはない。はっきり言って、コーヒーが好きなのではない。ただ、昔からコーヒーを飲むとなんだかほっとする、つまり、気分転換と言うか、ストレス発散のために飲んでいたに過ぎない。

 私の場合、お茶を水代わりに飲んでいたこともあって、自分の異常な行動に初めて気づかされた。ビタミンCだの、風邪予防にいいだのと、お茶の効能ばかりを真に受けて、明かに飲み過ぎていた。今は反省もあって、煮沸した水道水を冷やしたものを飲むようにしている。お茶にこだわらなくなって、自由になれた気がする。

 さて、朝の缶コーヒーをやめてどうかというと、不思議なことに、缶コーヒーへの恋しさは皆無である。あんなに好きだったのに、我ながら拍子抜けしてしまう。毎朝、自動販売機の前を通っても、買おうという気は起きず、身体も反応しない。やめようと決めたとき、どうしても飲みたかったらたまには買ってもいいと緩く考えていたが、そんな心配は必要なかった。缶コーヒーのBOSSのカフェラテなしでは生きていけないとさえ、そうまで思っていたのに、実際は薄情なものである。

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