人生は旅

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携帯小説に仰天したあの頃

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

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▲北京で開催された氷祭り。NHKまいにち中国語テキスト1月号から。

携帯でも小説が書けるとわかって、目から鱗

 もう何年も前、大型書店で新刊コーナーを見ていたら、話題の本として注目を浴びていたのは「携帯小説」と呼ばれるものでした。それはあの携帯の文字盤を使って書かれた小説?らしいのです。携帯で小説が書ける、ただの言葉の切れ端しか打てないと思ったのに、文章が作成できたなんて、驚きでしかありませんでした。当時の携帯小説で一番記憶に残っているのは『恋空』で、本屋で立ち読みしました。だいたいが文字が少なくて、ページ数もたいしてないのですぐに読めてしまいます。そのとき読んだ感想は、ストーリーが面白くて読者の好奇心を見事にくすぐっているなあということです。どうやら読者の最大の関心事は恋模様なので、それに恋人の病気と死を絡めたら落涙必至です。自分の身の回りでは起こりそうもない世界の恋物語にドキドキしたり、ショックキングな結末に涙しました。たちまちセンセーションを巻き起こして、新垣結衣さんと三浦春馬さんが主役を演じて,ドラマ化されたのを懐かしく思いだします。

 個人的には、当時は本来連絡用でしかなかった携帯で文章が綴れるという事実に仰天したのです。文章を書くなら、パソコンの方が便利でしょうと言うのが正直な意見なのですが、これは携帯のメールが苦手な私のいいわけなのかもしれません。そもそも文章を書くのには、落ち着いた環境が必要と決めつける方がおかしいのかもしれません。要するに自分がガヤガヤしたところでは文章が書けないし、集中力も2時間程度しか続かないだけなのです。いつでもどこでも勝手に自分の頭の中に文章が浮かんでくるわけではないのです。

 だから、当時は携帯で小説が書けることが信じられませんでした。携帯で創作するのですから、時間や場所にとらわれる必要などありません。通勤、通学の電車の中でも、駅のホームでも人に知られることなくこそっと小説を書くことができます。周囲の喧噪もお構いなしに、自分の世界に浸れるのです。ただし、それも頭の中に別世界を描ければの話なのであって、読書で本の世界に浸ることとはまた別のことなのです。どうやら携帯小説の作者は普段メールを打つのと同様な感覚で、文章を紡いでいるようなのです。それは友だちにおしゃべりするような感じで、気が付いたら知らない間に長くなっていたのです。

 小説を書くきっかけは、どこにでもあるような恋の話、それは自分の片思いの話でもいいのです。そう、最初は日記のようなもので始まって、書いてみたらせっかくだから誰かに読んでもらいたくなりました。最近読んだ本によると、密かに誰にも読まれる可能性がない文章を書いている人でさえ、無意識のうちに「誰かに読まれることを期待している」のだそうです。つまり、文章を書くということ自体、誰かに読まれる宿命を背負っている行為だと言えるのです。文章は常に読み手を求めて止まないのです。

 そのうち自分の恋話はありきたりでちっとも面白くないと思うようになりました。そしたら、料理のようにスパイスを加えるのを思いつき、話の展開を工夫するようになりました。自分が書いた話が第三者の目で見られるようになり、そうなると読者の共感が得られるかどうかわかってくるのでした。当時『恋空』が有名になって以来、「私にも書ける」と背中を押されたのか大勢の人たちが小説に挑戦しました。それなのに、私の記憶にあるのはなぜか『恋空』だけなのです。たぶん、携帯小説の大部分は恋愛ものなので興味がなかったので覚えていないのです。

 ところで、最近私はまた自分にとっては意外なことを知ってしまいました。それは作家の町田そのこさんがデビュー前は携帯で小説を書いていたことでした。以前から作家志望だったのですが、いつの間にかその夢を忘れて、育児に没頭していました。でもある時その夢を思い出させてくれる瞬間があって、小説を書こうと決心しました。子供が寝ている隙を狙って書くのですが、その時役に立ったのは携帯でした。というよりあの状況では携帯がベストだったのです。パソコンではダメで携帯の方が最適で、それしかない環境でした。諦めずに努力を続けた結果、R-18の女のための文学賞を受賞してデビューできたのでした。あの本屋大賞を受賞した「52ヘルツのクジラ」の著者の町田さんが携帯で小説を書いていたことに衝撃を受けてしまいました。

 そういえば、『JR上野駅』で全米図書賞を受賞した柳美里さんもスマホで執筆しています。それに、日本経済新聞の夕刊にコラムを連載している尾上松緑さんも「実はこれをスマホで書いています」と綴っています。つまりその執筆スタイルは当人にとって、面倒でも何でもなく自然で楽なのだと言いたいのです。

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