人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

テーブル周りをきれいにしたい

今週のお題「きれいにしたい場所」

混沌としているのは新聞のせい

 私が本当に綺麗にしたい場所は、とりもなおさず、今こうしてブログを書いているテーブル周りで、いっこうにスッキリしない。テーブルと言っても、昔一人暮らしの時に貰ったこたつをテーブルとして使っている。今まで足の折れる折り畳みのテーブルを使っていたこともあるが、どうしても足が壊れてしまうので、これが一番長持ちしている。ブログを書く時には、テーブルに何も置いていない状態が集中できて一番いい。筆記用具やNHKの語学テキスト、メモ用紙などをすぐ側に置いてある本棚に一時避難させる。だが、実を言うと、私のひざ元の、テーブルの下にはごっそりと紙の山ができている。何の山かというと、新聞の切り抜きの山で、興味のある記事や、人として知っておくべき環境問題などが話題に上っているとついついハサミで切りぬく。

 切り抜く側から、スクラップすればいいのだが、それが面倒でできない。切り抜くだけで、本人は満足し、以前は横にある本棚にポイと投げて終わりだった。そのままで取っておいたことさえ、忘れている。次の日もその動作を繰り返すものだから、新聞の切り抜きでうず高い山ができて、肝心の本が見えなくなったので、やむなく別の場所に移す。何のことはない、単に目の前から紙の山が消えただけのことで、ちゃんと押入れに存在している。本棚に投げ込むのは邪魔でしかない。となると、空いているのはテーブルの下で、本人はとりあえずのつもりで気軽に置くのだが、これが結構な量になっているのを発見する。新聞の切り抜きだけではない、図書館で借りた本も、NHKの語学テキストも、全て一緒くたになっている。まさに混沌の極みだが、なんせ忙しいので、テーブルの下を覗く暇がない。要するに、見えないものはないのと同じで、私の神経を逆なですることもなかった。だが、一度でも見てしまったら大変で、たちまち何とかしなければと強迫観念に駆られてしまう。それもその時だけで、すぐ忘れるのだが。

 こんな時何をすればいいのかはちゃんとわかっている、整理整頓すればいいのだ。気まぐれに手に取った新聞記事の切り抜きを、とっておくべきかどうかの見極めるために、読み始めた。すると、面白いので興が乗ったせいか、気が付くと結構な時間が経っていて、あれあれ、こんなことしている場合ではないと気付いて慌てた。まだ、新聞の切り抜きを処分する頃合いではないらしく、またその判断をする決断力さえも皆無なのである。恐ろしく時間がかかる作業なので、おいそれとは取り掛かれない。それに、毎日来る新聞を読まなければならないのだから、時間が足りない。

 新聞を3紙も取っていると、とても楽しくて毎日が充実していると同時に、その処分が面倒臭いことこの上ない。つい最近も新聞をビニール紐で縛る作業をしていて、新聞なんてなければいいのにとふと思ってしまった。新聞をわざわざ取っているからこんなに手間がかかるのである。今にして思うと、ただ新聞をビニール紐で束ねるぐらいたいして時間はかからない。なのに、そんなふうに思ってしまったのは、私の心に何か問題があったのだろう。毎日の食べる行為にしたって、必ずゴミは出るのだから、それと一緒だと考えれば、納得がいく。

 新聞なんて、お金がかかるだけで、何の役にも立たないと、思ったかどうかは定かではないが、一時新聞を取るのをやめてしまったことがある。そうしたら、すぐに寂しくなって、新聞販売店の前に設置されている販売機の新聞を買いに行くようになった。何日か経って気が付いた、こんなことをしているくらいなら、月ぎめで取った方がいいと。新聞は私にとって空気のようなもので、あって当たり前で、無くなったら、どうにもこうにも落ち着かない存在だ。

 なので、テーブル周りを綺麗にしたいと切に願うが、当分、いや、まずはそんなことは到底無理なのだ。何かに熱中すると、すっかり新聞の存在を忘れ、一面だけ見て終わりの時もある。だが、それでいいのだと思うことにしている。ただ、最近気になる連載小説が新しく始まった。数々のテレビドラマの原作者で、有名な人気作家の湊かなえさんが介護問題を扱った連載を開始した。タイトルは『C線上のアリア』で早くも11回になり、これからの展開が楽しみだ。

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