人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

押入れの中、何とかならないものか

今週のお題「きれいにしたい場所」

押入れの中は、私にとってはパンドラの箱

 先日、新聞を見ていたら、能登半島地震に関連した記事が載っていました。石川県主催の防災アドバイザーの木下千鶴さんが災害時に役に立つアドバイスをされていて、次のような究極の提案でした。「たくさんの物を家に置かないで。地震の後の片づけが大変で、捨てるにお金がかかってしまう」。

 こんなことを言われて、ふと自分の家のことに思いをはせると、自然と押し入れの中のことが気になりました。何を隠そう、うちの押入れは何でもかんでも要らないものを入れてある、一時避難所なのですが、いつの間にか永遠の置き場所になっているんです。とりあえずのつもりが、定位置になってしまって、処分するにも踏ん切りがつかないのです。いつか使うだろう、そのいつかが永遠に来なくても、保険みたいに、御守りみたいに置いておきたいのです。そりゃ、私だって、嫌々ながら、一発奮起して、押し入れの中の衣装ケースをチェックし、綺麗さっぱり要らないものを処分したこともありました。

 ところが、コロナが流行って世の中は激変し、冷蔵庫代わりに利用していたスーパーや、日用品の倉庫だとばかり思っていたドラッグストアからもあらゆるものが消えました。溜め込むという行為を必要ないと判断し、家に物がほとんどない状態の私は焦りました。マスクが売っていないので、手造りしようにも、材料の布がないし、ゴムひももありません。あの時捨てていなければ、困らなくて済んだはずです。ミシンだって通販で買った安物があったはずなのですが、あまり役にも立たないからと処分して、いい気になっていました。

 考えてみると、まさかあんなに物がない世界が突然やって来るとは考えが及びませんでした。ミニマリストを目指していたはずの私は急遽方向転換を余儀なくされました。不用品をすっぱり手放すのではなくて、一応キープしておくことにしたのです。それはとりもなおさず、いつか必ず来るだろう不用品でさえも役に立つ”そのとき”のためなのです。何もないより、せめて何かあった方がいいに決まっているという考えから溜め込もうとしているのです。コロナ禍の時の苦い経験が私にそうさせているのは明かです。

 私はできれば、押し入れの中をほぼ占領している衣装ケースを開けたくありません。パッと見ただけで、透明なケースの中に何が入っているかは一目瞭然です。いくつもある衣装ケースの中身はどう考えてもあまり着ない衣服が大半です。普段着る服はもう決まっていて、その他の着ない服は処分したいのですが、これがなかなか難しいのです。着ないともうわかっているのに、もしかしたら着るかも、とか、後でとっておいてよかったと思うかもとか、不毛な自己問答を繰り返し、うんざりします。最低最悪な気分に陥り、見るのも嫌だとばかりに衣装ケースの中の物を元に戻し、押し入れを閉めてため息をつくのです。

 それと、私にはもう着なくなった下着やTシャツを捨てないで取って置く習慣があります。それは海外旅行の時に持って行って、帰国時に現地で捨ててくるためです。もちろん、出発時と帰国時には自分の身体には綺麗なものを身につけます。つまり少しでも荷物を軽くするためで、昔読んだ旅の達人の海外旅行術の本にアドバイスとして書いてありました。実際、この裏ワザは物凄く役立っていて、以来ずうっと利用させてもらっています。一方で、そんなこととは露知らない誰かが、私の衣装ケースを覗き見したとしたら、なぜこんなものを溜め込んでいるのかと怪訝に思うでしょう。その誰かから見れば、私は”変な人”に違いありません。

 となると、私は溜め込んだ古い下着やTシャツを処分するために海外旅行に行く必要があるわけですが、とんでもない、そんなストレスは一切ありません。それらに関してはイライラさせられることはありません。必ず役に立つモノたちですから。むしろ、私を悩ますのは、存在する意味がないのに、そこにあるモノたちのことです。単にあれば安心できるからとか、後で後悔するのは嫌だからと言った、訳のわからない、まどろっこしい理由で捨てられないでいる、優柔不断な自分の心を何とかしなければならないのです。

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