人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

外食での席取り、何を置いておけばいい?

とりあえず置いておいていいもの、にクスッ

 朝日新聞に連載されている4コマ漫画『ののちゃん』は正直言って、さあッと目を通す程度で、その間、1,2分で済んでいた。ところが、先日の回はう~ん?となって、二度見してしまった。それはおばあさんと母親のマツコさんとののちゃんが3人で、ショッピングセンターのフードコートにでもいる場面だった。3人はテーブルに座って何やら話し込んでいる。おばあさんが「何を置いとこう」と尋ねると、マツコさんが「とりあえず、置いといてもよくて、断固として、場所を取っているもの」と答える。となると、何がいいだろう、とあれこれと提案するのだが、ティシュも、ペットボトルも、競輪新聞も却下される。「だから、とりあえず置いといてもいいもの」とマツコさんがどれも違うとダメ出しをする。

 それで、当方はこのマンガを見て、しばし考えてしまった。「とりあえず置いといてもいいもの」とはいったい何なのだろうと。確かに、ティシュやペットボトルや競輪新聞では存在自体が弱すぎないだろうか。それが置いてあるのを見て、もしかしたら、「忘れたんだ」と思う人もいるだろう。その場合、忘れて行ったのだから、ということはもうこの席は空いているのだと、判断してもおかしくはない。そうなると、「断固として場所を取っている」とは言い難く、誠に頼りない存在なのだ。もしかしたら、食べ物を買っている間に誰かに席を取られるのではないだろうかという不安に苛まれるのが落ちだ。なので、その辺のところは十分に考慮する必要がある、とマツコさんはその点においては抜け目がない。

 漫画の4コマ目を見た途端、クスッとなった。なんと、ののちゃんがテーブル席でひとり「フン、とりあえずいいんだ」と拗ねていた。要するに、マツコさんが考える「とりあえず置いといてもよくて、断固として場所を取っているもの」に当たる理想的なものはののちゃん!だったのだ。まあ、確かにこの選択は間違いがない。誰だって、人間がそこに座っていれば、それが子供だったとしても、「ここは私の席です」と立派に主張しているのだから、「塞がっているな」と判断するに決まっている。ティシュやペットボトルや競輪新聞では思わぬ誤解を招くことがあるが、人間なら安全安心である。ののちゃんには気の毒だが、マツコさんはなかなか鋭い判断力の持ち主だと感心する。まあ、マツコさんはこんな時だからこそ、内に秘めた潜在能力と言うか、ある種の感を働かせるのが得意なのだろう。

 考えてみると、その場所が混んでいる時の席取りは、たいていは荷物を置いておくのがいいように思う。もちろん、貴重品が入っていなくて、どうでもいいようなものが入っているものに限る。あるいは、読みかけの本とか、冬ならコート類とかをわざと無造作に置いておく。そうやって、「ここはすでに私が取っています」とアピールしなければならない。生半可で、中途半端な見かけでは、到底サバイバルするのは難しい局面なのだ。もっとも、こんなふうにやりたい放題に自由にできるのは日本だけで、外国ではとてもできない。それに、皆の様子を観察していると、荷物を席に置いたまま、注文しに行ったり、あるいはトイレに行く人は誰一人いないことがわかる。危険情報を嫌と言うほど聞かされているので、当然大荷物を抱えてはいても、一緒にトイレに入る。空港のトイレはスペースが広めなので、何の問題もないが、街中の店のトイレとなると狭くて閉口することが多い。

 席取りの話に戻ると、「ここは私の席です」という目印のつもりで、赤い手袋を置いて行ったことがある。そこは大きなセルフサービスのフードコートで、モスクワのグム百貨店の中にあった。数種類の料理と飲み物が乗ったトレーを持って戻って来たら、なんと、お気に入りの赤い手袋が消えてた。どこの誰が、なぜ、あんなものを持って行ったのか、今でも不思議でならない。

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