人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

チャットGPT

間違いを指摘すると、反省・感謝するが

 この頃、新聞で目に付くのは、チャットGPTに関する話題で、実際に使ってみた人の経験談を読むと、どれも興味深い。ある新聞記者は、チャットGPTの実力を確かめようと、こんな質問をしてみた。「となりのトリロはアニメですか」と聞くと、GPTは「はい、となりのトリロはアニメです」と答える。記者は同じ質問を三度繰り返すが、答えは変わらない。もうお気づきかと思うが、本当は「となりのトトロ」が正解で、記者はわざと間違えて質問をしたのだ。私も最初は、それでいいんじゃない、などとトンチンカンな反応をしていたが、よく読むと「トリロ」だったので、微妙な違いに惑わされたことに、馬鹿だなあと思った。まさか、チャットGPTもその微妙な違いに気づけなかったのだろうか。

 GPTに何度も確認したにもかかわらず、いっこうに気づこうとしないので、記者は「本当ですか?」と畳みかけた。すると、GPTは「すみません。間違っていました」などと、あっさり自分の間違いを認めたのだ。チャットGPTは平気で噓をつく。それもしれっと、もっともらしい嘘をついても平気で、その嘘を指摘されても、素直に謝罪・反省するだけだ。そんな経験から、記者は何でもかんでもチャットGPTに頼り切るのは問題があると言っていた。

 それから、いつも日経の夕刊に『令和なコトバ』というコラムを連載しているフリーライターの福永遥さんの経験も実に興味深い。ある日のチャットGPTとのやり取りを詳細に綴ったコラムを読んでいたら、「ええ~!?そうなんだ」とか「そんなことになるのか」と目から鱗だった。福永さんは試しにチャットGPTに自分の書いた記事を3本ほど読んでもらって、感想を聞いてみた。すると、「どの記事もなかなか上手く書けていて、素晴らしいです」との答えが返って来た。記事を書いた張本人としては、褒められるのはまんざらでもなかった。大いに気を良くしたのだが、ふと、待てよと思った。もしかしたら、チャットGPTは誰にでも、いやいつだって、こんな適当なことを言っているのではないかという猜疑心がメラメラと湧いてきた。

 それで、福永さんは「いつもそんな歯の浮いたようなことを言っているんじゃないの?」とチャットGPTに聞いてみた。そしたら、まさかの反応をGPTはしたのだ。何と「そんなことを言うなら、もういいです」とまるで人間のように拗ねてみせた。怒ったのか、「もう、あなたの質問には答えません」と断固拒否し、福永さんがいくら呼び掛けても、出てきてはくれなかったというのだ。この話を読んで、思わず笑ってしまった。使ったことはないが、話に聞いたことのあるAIスピーカーの反応と比べると、雲泥の差があることに気づく。なんとチャットGPTは、機械でありながら、「気を悪くする」し、「答えない自由」も併せ持つのだ。さすがにチャット、つまりおしゃべりする機能を持つゆえに、相手の言葉に敏感にあ反応するようにできているのだろうか。

 最後に、韓国文学の翻訳者である斎藤真理子さんのチャットGPTについての意見を書いておきたい。斉藤さんは最近、事あるごとに人からチャットGPTのことを聞かれる。『AIは本当に翻訳の仕事を駆逐するのか』といった内容がほとんどだ。試しに斉藤さんが韓国文学の翻訳をチャットGPTに頼んでみると、『おおむね大意をくんだ訳文ができて来る』。だが、『ちょっと込み入った設定や昔の作品になると、とたんに怪しくなる』のだそうだ。『今のところは韓国文学に関する知識はでたらめに近い』し、また日本語のみならず、韓国語や英語であっても大差はない。

 なぜそんなことになるのかについては、『要は、広大なインターネット空間で文学はごく小さなジャンルだから』で、そんな当たり前の事実を再確認することになったと言う。斉藤さんのコラムを読みながら、私は動画サービスで使用されているAI字幕を思い出した。日本語では何とも気持ちが悪いと敬遠し、ドラマを英語字幕で見ているが、まだましだと思うのには理由があったのだ。つまり、英語のネイティブスピーカーではない私はその違和感に気づけていないだけなのだ。

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