人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

子供たちと無理してまで付き合わない

今週のお題「下書き供養」

 世の中には几帳面な人がいて、毎日日記をつけるのが習慣になっている人がいます。私もそんな友人の真似をして、お気に入りの日記帳を買ってみたことがあります。残念なことに何事にも飽きっぽい性格が災いしたのか、三日坊主で終わってしまいました。でも、もし奇跡的に続いていたとしたら、それらの日々の記録は間違いなくブログのネタの尻尾となっていたはずです。つまり、下書きの卵のようなものです。私の場合、日常で出会った忘れられない出来事を書き留めて置くのに利用しているのは、NHKの語学講座のテキストの余白です。そこで試しに当時のテキストのページをペラペラと捲っていたら、こんなことが書いてありました。

 ご近所に住む森田さんは結婚した子供たちと距離を置くことにしたという。子供たちといつまでも仲良く楽しくやるのがモットーだったのに、そう決心したのには訳があった。家に居るときは我儘でも何でも許せたのに、彼らが他所の人になると付き合うのがもう限界になってしまったのだ。

 

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若い人たちの価値観について行けなくて

 森田さんは60代の女性で、二人の子供はすでに結婚して家を出ています。子供がなかなか結婚もしないし、独立もしようとしないことに悩む兄弟たちから羨ましがれているのです。「あんたのところは二人とも片づいてよかったわね」と言われても、森田さんは困惑するばかりです。なぜなら、近頃は彼らとの見えない壁を感じていたからです。結婚当初、彼らはそのまま家の鍵を持ち、自由に実家に出入りしていました。まあ、それくらいは何でもないことでした。でも、ある日、娘夫婦が家に遊びに来た時の行動に仰天したのです。その日は日曜日で、お昼にみんなで食べようと彼らのためにお寿司を用意して待っていたのです。可愛い孫に会いたい気持ちでいっぱいの森田さんは嬉しくて堪りません。子供がいると何かと準備に手間取るのか、来るのがだいぶ遅れてすぐにお昼の時間になりました。

 「お腹空いたでしょう、お寿司があるよ」と言うと、娘が信じられない発言をしたのです。「私たちは用意してきたからいいよ」とコンビニの袋を取り出したのです。テーブルに広げて、次々とスパゲッティやらお弁当やらを並べていきます。その様子を呆然と夫とふたりで見つめながら、「なにも私たちの分まで買ってこなくてもいいのに」と内心思いました。そう思った瞬間、いやいや、どうもそういうことではないらしいと気が付きました。なんと二人とも両親の見ている前でさっさと食べ始めたからです。この想定外の行動に買っておいたお寿司の存在は影が薄くなってしまいました。「ねえ、お寿司どうして食べないの?」自分たちの世界に浸っていた娘が、黙って見つめているだけの両親を変に思ったようです。たぶん娘は自分たちの行動は思いやりなのだと勘違いしているようなのです。「あなたは本当に私の娘なの?」と究極の問いを投げかけざるを得ない事態です。

 森田さんの気持ちを代弁すると、なぜ娘が実家に来てまで自分たちの好き勝手をするのか、到底理解できないのです。でも彼らにとっては嫌がらせではなく、良かれと思って取った行動なのです。他人に迷惑をかけないための手段であり、気を使わせないための合理的な方法だと考えたのです。そして、自分たちの行動の正当性を両親も理解して、納得するだろうと信じて疑いませんでした。物事の道理を彼らに説いて聞かせるほど偉くもないので、一言ぐらい何か言いたかったのですがやめておきました。それ以来、やはり気持ちの上でのボタンの掛け違いによってさざ波は何度も起こりました。それで森田さんは娘との付き合いをできるだけ減らすことにしました。娘が実家に遊びに来るのは母親に会いたいのではなく、羽根を伸ばすためだとわかっているのです。だからそれまで月に3回だったのを1回にして貰って、忙しいふりをして避けるようにしました。つまり、自分でも何か没頭できるものを捜し始めたのです。そうしていたら、幸か不幸かコロナウイルスによる感染症が流行って、自然と娘と疎遠になったのでした。

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