人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

本来の自分を取り戻す

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

見えない心の洞窟から抜け出すために

 星占いのフレーズ「来年のために今日からできる事を探して」に導かれるように、私はおもい腰を上げた。少しは変わろうと、いや、変わる振りだけでもしようとネットで検索をした。「海外旅行用品、変圧器」と打ち込んでみた。実に3年ぶりのことで、以前はどうしても見つからず諦めていた変圧器を探すためだった。といっても、まだ本気になっているわけではなく、試しにちょっと見てみようぐらいの気持ちだった。ところが、技術の進歩は目覚ましいらしく、苦労することなくお目当てのものが見つかった。正直言って、予期せぬ出来事に私の心は踊った。もしかしたら、行く気になりさえすれば、また海外旅行に行けるかもしれないという、ささやかではあるけれども、確かな希望が生まれた瞬間だった。

 以前買った変圧器は役には立つが、持ち歩くには重たかった。でも旅の相棒で必須のものだったから、いつも機内に持ち込んでいた。空港に着いたら、すぐに行動するために荷物を預けることを避けていた。ロシアのサンクトペテルブルグの空港で変圧器を没収されたのは遅かれ早かれ起こりうる出来事だった。いつだって、何処の空港でもスムーズにはいかなかったからだ。要するに、変圧器は手荷物に入れず、預ければいいだけのことだった。それを面倒だなんだかんだと言い訳をして、やらなかったのがそもそもの間違いだった。

 ネットで見つけたなんだかよさそうな変圧器は、商品の説明文を読んでみると、「当社の技術革新により、従来の製品より軽量になっており、旅行には最適」と書かれている。そんなになくてもいいのに、6つもコンセントが付いており2300Wも使用可能とあるのには仰天した。これを買うかどうかはすぐには決められないが、とにかくずうっと気になっていた障壁はひとつ取り除かれた。そのことで、私の心の中にあった濃い霧が少し晴れた気がした。たったそれだけのことで、と他人には感じられるかもしれないが、もうこれで、海外旅行に行かない理由は無くなった。それでもまだ、実際には心も身体もスタンバイはできておらず、以前の記憶を反芻し懐かしく思う程度にとどまっている。これは私の中ではかなりの進歩と言える。コロナ禍になってから、思い出すことさえも虚しく思えて、できるだけ考えないように努めてきたからだ。

 だが、これからは飛び立つことを考えていいのだ、と思ったらウキウキが止まらない。役にも立たないから意味ないとサボりがちだった語学の勉強にもやる気が出そうだ。目の前に人参がぶら下がっていないと走れない馬のように、ご褒美なしではやる気が出ない私でも頑張れる気がする。だが世の中には現地に行けなくても、純粋にその言語が好きで長年にわたって学習なさっている奇特な方も少なからずいる。時々NHKの語学講座の後ろの方に載っている視聴者からのお便りを読むと、「一度も現地に行ったことはないのですが・・・」などとあるので、椅子から転げ落ちそうになってしまう。映画やドラマを原語で楽しみたい、あるいはオペラや演劇の世界をどうしても原語で味わいたいとの思いに突き動かされているのだ。

 私は今ある本を読んでいる。それはアゴタ・クリストフの『悪童日記』で、この本のことは最近知った。文庫本の最後のページを見てみると、「2001年5月31日発行、2022年6月15日 25刷」とあるので、人知れず相当に売れている本であることには間違いない。なぜ、この本を読んでいるかというと、問題作であることだけでなく、ブログに記事を書きたいと思っているからだ。はっきり言うと、海外旅行に行っている間のブログを書き溜めておくという目的のためだ。何もそんなことをしなくても、PC(パソコン)を持参すればいいだけの話だが、事はそんなに簡単ではない。軽そうに見えても実際はPCは重くて荷物になって厄介だ。だからPCを連れて行くなんてことは問題外でありえない。

 一つ目の心の”重荷”だった変圧器の問題が解決し、一条の希望の光が見えた気がした。さらに自分の心を解放するために「いつでも行ける」という安心感というか、心の余裕が欲しかった。だから旅行の日数分だけブログを書いてみようと思う。いや、思うじゃなくて現在進行形で、その行動はもう始まっている。すべて書き終えたとき、果たして心は今より晴れているだろうか。その先が楽しみでもある。

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