人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

雪道を歩くのが怖い

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

雪道での転倒、今年はもう御免

 新年になって思い出したのは、忘れもしない去年の1月7日の出来事だ。あの日、私はいつものように早朝散歩に出かけた。外は一面の雪景色だったが、躊躇はしなかった。むしろ白銀の世界の美しさに感動していた。足元が悪いだの、滑るから嫌だなんて、これっぽっちも思っていなかった。雪が降り積もっていると言っても5cm程度なので、歩くのに大して支障はなかった。それに長靴を履いているのだから、何の問題もなかった。今から思えば、その長靴がそもそもの元凶だったのかもしれない。そんなことは考えもしない私は、長靴を全面的に信じていた。雪道では決して滑ることなどないのだと。

 ところが、あろうことか散歩の帰りに坂道で滑って転倒してしまった。自分でも情けないことに舗道に仰向けになって天を仰いでしまった。雪道に横たわって見た空は、青く透き通ってそれはそれは綺麗だった。滑った瞬間の出来事はまるでストップモーションのようで、自分の身体が後方に傾いているのがわかる。ああ、このままでは身体は路面に叩きつけられるだろうし、間違いなく私は頭を強く打つだろう。そのことを想像するだけで気持ちが悪くなった。だから何とかしたい、自分の身体を守りたいのだが、なす術がない。私はあの時ほど自分の無気力さを感じたことはない。宙を舞う身体は無情にもだんだんと地面に近づいていく、ああ、もうなるようになれと諦めたその瞬間、私は尻もちをついた。意識してそうしたのではなかった。あくまで無意識に身体が反応したとしか思えない。幸運にも頭から落ちるのを免れたのだ。ドスン!という音の次にゴン!という軽めだが、気味の悪い音がした。私の頭が路面に落ちた音だった。ちっとも痛くはなかったが、それよりも不気味な音に私は震え上がった。

 天を仰いでいたのはほんの数秒間で、「こうしてはいられない」とすぐに立ち上がった。周りには誰も歩いていない時間なので面倒なことにならずに済んでホッとした。一つ間違えば救急車などを呼ばれて大事になってしまうからだ。頭のダメージが少なかったのはその時着ていたダウンコートにフードが付いていたからだと勝手に思っている。折も折その日は歯医者の予約が入っていた。いつも通り行くには行ったのだが、診察台に頭を乗せたら少し後頭部に痛みがあった。我慢してそのまま治療を受けようかとも思ったが、やはり気になる。先生に朝方の出来事を話すと今まで嘔吐などの症状がなければ大丈夫ですよと言われた。結局その日は何もして貰わなかったので、お会計はゼロ円だった。診察台で頭を乗せたままじっとしていられないのだから、仕方がない。

 転倒した日は病院に行かなかったが、その数日後にいつも行っている診療所に行く羽目になった。左の肩がひどく痛んで上がらなくなったからだ。転倒して肩を打った記憶は全くないが、何らかの影響があるのだろうか。先生に「何か変わったことがありましたか」と聞かれたので、雪道で転倒したことを話した。レントゲンを撮った後、診察を受けたら、左腕を回してみてくださいと言われて、何回も腕を回してみせる。すると「左肩の痛みは転倒とは関係ないですよ」と先生は言うのだが、原因はわからないらしい。とりあえずの痛み止めと湿布薬を貰って終わりだ。

 去年の転倒で懲り懲りした私は、ネットですべらない長靴を買った。靴底に深めのギザギザが付いている、いかにも降り積もった雪にガサッと突き刺さるような気がするタイプの長靴だ。だが、残念なことにあれ以来その長靴の出番はまだない。ぜひ実際に試して、自分の選択に間違いがなかったことを証明したいのだが、なんせ雪が降らないのだから致し方ない。かと言って、正直なところは雪が降り積もったら怖いに決まっている。今まで雪道で転倒という経験に縁がなかった私としては、どうしてもトラウマを払拭できないでいることも確かなのだから。

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