人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

私は早朝ウォーカー

今週のお題「わたしは○○ナー」

早起きが大好き、なわけない、でも身体が動いて

 私は毎朝ウォーキングをしているが、早起きが好きなわけでもないし、また健康にいいからという殊勝なことを考えているわけでもない。ましてや痩せたいからなどとは夢にも思っていない。確かにウォーキングは有酸素運動だが、それでダイェットできるわけではなく、食べないことが第一なのだ。ただ単に、私にはやらないと言う選択肢はなく、それをパスすることを想像するだけで、なんだか後ろめたい気持ちになるだけなのだ。外に出て、朝の新鮮な空気を吸いこみ、朝日を浴びて歩くことは清々しくて気持ちいいことだ。でもそれをやる時間帯は何も今のような5時台でなくてもいいはずで、以前のような7時で十分なのだ。

 でも今の私には2年以上にも及ぶ習慣を今さらやめることはできない。その理由は7時よりも5時台の方が人が少なく、空気が澄んでいて気持ちがいいと知ってしまったからだ。早朝のウォーキングの習慣はコロナの流行によってつくられたと言っても過言ではない。コロナ禍が始まった頃、今となっては想像もつかないが、町はウォーキングする人で溢れていた。カップルや夫婦で、あるいは家族一緒に、談笑しながら皆仲よく歩いていた。三密回避を目指しているのに、通りは混雑していた。そうだ、ちょうどあの頃は桜の季節だったから余計に散歩が楽しい時期だった。

 だが、私は人の多さに敏感に反応し、感染が怖くなった。毎日がまるで”みんなで歩こう、ウォーキングデー”みたいな状況に耐えらず、すごすごと退散した。つまり、歩く時間を早めることに決め、5時半に起きてすぐに家を飛び出す生活になった。すると、今まで知らなかった世界が見えてきた。今まで見たこともない、昼間の世界とは別の夜でもない、朝でもない微妙な時間帯の不思議さを垣間見ることが出来た。まだ薄暗いうちから働いている人がいる。ある日、歩いていて、後ろからガラガラと何やら音がしたかと思ったら、それはおしぼり屋さんだった。こんな朝早くから居酒屋や飲食店におしぼりを配達していた。また別の日はラーメン屋さんの前に車が止まったかと思ったら、もやし詰め放題の大袋と野菜を店の前に置いて立ち去った。

 早朝の5時台というのは私の経験では人よりも、犬のためにあるようだ。もちろんジョギングをしている人もちらほら見かけるのだが、それよりも犬の散歩の方がはるかに多い。以前、その広さで有名な公園に立ち寄ってみたら、そこで目にした光景に仰天した。そこはまさにドッグランと化していて、近所の犬が全員集合しているようだった。犬が思う存分暴れ回っている傍らで、飼い主たちは呑気に井戸端会議をしていた。まさに犬の散歩というより、犬の運動会のようなものだが、さぞかし犬にとってはストレス発散となるだろう。ただ心配なのは”祭りの後”で沢山の落し物が見つからないことを祈るだけだ。

 早朝に目にするもので仰天するもの、それは特に土曜日の早朝に集中して発生する。コロナ禍にあっても、金曜の夜に飲んで発散する人たちは存在する。それで翌日はこちらが困惑するような、いや思わず立ち往生してしまうような醜態を見せられることになる。例えば、土曜日はゴミの日らしく、道端にポリバケツが出してある。そのポリバケツを枕にスヤスヤ寝ている若い女性。白いブラウスに緑のスカートを身に着けていて、見たところ普通の人?だが、「なぜあなたはここに居るのですか?」と聞きたくなってしまうのは私だけか。

 また、ある時は私が家に帰ろうとすると、前方に道路を蛇行して歩く、たぶん服装からし若い女性と思しき人が見える。側で彼氏らしき男性が抱き止めようとするが、彼女はその手を振り切ってふらふらとあらぬ方向に歩いて行ってしまう。その光景を見ていたら、私はもう前には一歩も進めない。彼女は道端に仰向けに倒れそうになるが、すんでのところで男性に助けられた。路上に座り込んでしまった彼女は立ち上がれそうもない。

 

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